茶碗の高台を裏返したとき、その中央に小さな山のような突起が立っているのを目にしたことはないでしょうか。それが「兜巾(ときん)」です。
「兜巾(ときん)」という言葉を初めて聞いた方は、少し戸惑うかもしれません。もともとは修験道の山伏が頭にかぶる、黒い布製の小さな頭巾のことを指します。その独特の先がとがった形が、茶碗の高台内に現れる突起とそっくりだということから、陶芸の世界で「兜巾」という名称が使われるようになりました。
茶碗を裏返してみると、底には「高台(こうだい)」と呼ばれる台座のような輪があります。その高台の内側、つまり「高台内(こうだいうち)」と呼ばれる空間の中央部分に、小さく盛り上がった山状の形が残っているものがあります。これが「兜巾」です。
兜巾の構造は、陶芸の削り工程で自然に生まれます。作者がヘラ(篦)で高台内を円を描くように削っていくとき、中央の土を削り残すことで生じる突起が兜巾となります。茶碗を作る職人は、この削りの際に兜巾の大きさ・高さ・渦の太さを意識的にコントロールします。
なぜ意図的に残すのかというと、実は機能的な理由もあります。高台内を完全に摺り鉢状に削ってしまうと、茶碗の底を削り抜いてしまうリスクが生じます。中央を残すことで底の厚みを確保しながら、同時に美しい景色を生み出せるのです。つまり兜巾は、合理的な製作技法と審美眼が同時に宿った部分といえます。
陶芸の世界では「器好きは裏を見る」という言葉があります。高台の削り方や兜巾の表情に、作者の技量と個性があらわれるからです。茶碗の表面だけでなく、裏側にも目を向けることで、鑑賞の幅は一気に広がります。これが基本です。
参考:茶碗の高台と兜巾の名称・意味について詳しく解説しています。
茶碗鑑賞のポイントと用語集「茶碗鑑賞の知識:2」 - chiyoku.com
兜巾は、茶碗の種類によってその表情が大きく異なります。同じ「兜巾がある茶碗」でも、井戸茶碗と楽茶碗では見た目も意味合いもまるで違います。種類ごとに整理してみましょう。
井戸茶碗の兜巾
井戸茶碗は朝鮮半島の李朝時代(15〜16世紀)に焼かれた高麗茶碗の一種で、茶人の間では「一井戸・二楽・三唐津」とまで称された最高峰の茶碗です。井戸茶碗には有名な「七つの条件」があり、その第5条が「高台内の兜巾」です。他の条件として枇杷色の釉薬・轆轤目・梅花皮(かいらぎ)・竹節状の高台・細かい貫入・杉なりの形が挙げられており、兜巾はそれらと並んで井戸茶碗を語るうえで欠かせない要素となっています。
井戸茶碗の兜巾は、高台内を彫る際に中央が兜の頭頂部のように尖った形状になるのが特徴です。大井戸茶碗では特にはっきりとした兜巾が現れ、その周囲には梅花皮(釉薬が縮れてできるザラザラの質感)が美しく咲くことが多く、これが茶人に珍重された景色のひとつとなっています。
楽茶碗の兜巾
楽茶碗は千利休の発案のもと、16世紀後半に長次郎が京都で生み出した手づくねの茶碗です。ロクロを使わず手で形を作り、ヘラで削って仕上げる楽茶碗では、高台内の削り方に作者の個性が強く出ます。
楽茶碗の兜巾は「渦兜巾(うずときん)」と呼ばれる渦巻き状になることが多いのが特徴です。ヘラで高台内を回しながら削ると自然に渦状の兜巾が生まれます。渦の太さや深さ、残し方によって、同じ楽家の作品でも代ごとに個性が表れます。穏やかな渦の兜巾もあれば、鋭くくっきりと際立つ渦兜巾もあり、楽茶碗の鑑賞でも重要な見どころとなっています。
唐津焼の兜巾
唐津焼は佐賀県北西部を中心に焼かれた陶器で、茶碗の中でも「三唐津」として茶人に愛されてきました。唐津の土は鉄分を多く含む荒々しいものが多く、ヘラで削った際に縮緬皺(ちりめんじわ)と呼ばれる独特のシワが生まれることがあります。唐津の兜巾は比較的丸みを帯びたものが多く、鋭い形の井戸茶碗とは対照的に柔和な表情をしています。
このように、産地・時代・作者によって兜巾の表情はまったく異なります。これが基本です。
参考:井戸茶碗の七つの条件と兜巾の位置づけについて、写真付きで詳しく解説されています。
井戸茶碗(いどちゃわん)とは|高麗茶碗で人気の高い種類の特徴 - touji-gvm.com
茶道の稽古や茶会の場では、茶碗の「拝見(はいけん)」という作法があります。これは点前が終わった後に、その場に集まった客が茶碗を手にとって鑑賞する場面です。この拝見の際、高台と兜巾をどう見るかを知っておくと、鑑賞の深みが格段に増します。
茶碗を拝見する際の一般的な順序は、口縁→胴→腰→高台の順です。高台を見るときは、茶碗を両手でそっと逆さにし、高台が見えるように持ちます。このとき注目するポイントは次のとおりです。
美術館や博物館で茶碗を展示している場合、残念ながら高台が正面を向いて展示されることはほとんどありません。展示ケース越しに覗き込むか、図録などで確認するしかない場合がほとんどです。しかし茶道の稽古の場や、骨董市・茶道具展では実際に手に持って確認できる機会があります。その際に兜巾を意識して見るだけで、茶碗の見え方がまったく変わってきます。
また、楽茶碗師・迷雲氏のような現代の作家が制作解説を公開している動画や資料を見ると、兜巾がどのように作られるかを追体験できます。実際に作る工程を知ることで、完成した兜巾の景色を何倍もリアルに楽しめるようになります。これは使えそうです。
参考:茶碗の拝見作法と高台・兜巾の見所について詳しく説明されています。
茶碗を自分で作ってみたい方、あるいは陶芸教室に通っている方にとって、高台内に兜巾を削り出す工程は「茶碗づくりの仕上げ」として特に重要な場面です。ここでは楽茶碗を中心に、兜巾を削る際の手順と注意点を解説します。
まず大前提として、兜巾を削るのは「成形→乾燥→削り」という流れの、最終工程に近い段階です。高台の輪郭を削り出し、見込み(茶碗の内側)を削り終えた後に、最後に高台内の兜巾を仕上げます。この順番に意味があります。茶碗全体の表情を確認してから兜巾の削り方を決めるため、最後に取り掛かります。たとえばシンプルで落ち着いた造形の茶碗には兜巾をしっかり入れ、動きのある個性的な形の茶碗には平らに削るか控えめな兜巾にする、という判断ができるのです。
| 茶碗の表情 | 推奨される兜巾の削り方 | 理由 |
|---|---|---|
| おとなしく静かな造形 | しっかりした兜巾を入れる | アクセントになり全体の調和がとれる |
| 動きのある個性的な造形 | 平らに削るか控えめな兜巾にする | 全体がくどくなるのを防ぐ |
| 楽茶碗のような端正な形 | 渦状の渦兜巾を入れる | 楽茶碗らしい景色が生まれる |
兜巾を削る具体的な手順は以下のとおりです。
兜巾の高さは控えめに仕上げても、焼成後にはくっきりと際立ちます。削りすぎると底が薄くなりすぎて割れやすくなるため、薄さを手で触って確認しながら進めることが大切です。
陶芸教室でこれを実践するときには、まず参考作品の高台を観察してから臨むのが最短の近道です。近くに陶芸教室がある場合は「兜巾のある楽茶碗を作りたい」と伝えれば、講師から具体的なアドバイスを得られることも多いでしょう。これが条件です。
参考:楽茶碗の削り工程と兜巾の削り出し方法について、写真と動画つきで詳しく解説されています。
楽茶碗の作り方3/5|削りと仕上げ - touroji.com
茶碗コレクターや骨董好きにとって、兜巾は茶碗の価値を判断するうえで重要な手がかりのひとつです。特に井戸茶碗においては、兜巾の状態が茶碗全体の評価に直結することがあります。
井戸茶碗の場合、李朝初期(15〜16世紀)に焼かれたものは、骨董市でほとんど見かけることがなく、専門の骨董商を通じてしか入手が難しいのが現状です。価格は素材・時代・保存状態によって大きく異なりますが、李朝初期のものは状態が良ければ50万円を超えることが多く、名品クラスになると数百万円に及ぶこともあります。李朝後期のものでも状態の良いものは10万円を超えてくることがあるため、それ以下の価格で出回っている場合は現代作品の可能性が高いと考えた方が安全です。
朝鮮半島の陶磁器として唯一、日本の国宝に指定されている「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」(大阪・藤田美術館蔵)も、七つの条件を見事に満たした作品として知られており、高台内の兜巾と梅花皮の美しさが特に評価されています。国宝に指定されるほどの作品に、兜巾が大きな役割を果たしているという事実は、この小さな突起の重要性を物語っています。意外ですね。
骨董市や茶道具店で茶碗を手にする際、兜巾を確認するポイントとしては以下が挙げられます。
一方、現代作家の井戸茶碗や楽茶碗も、兜巾の質で作家の技量がよく見えます。入門として現代作家の作品から入り、骨董への目を養っていくアプローチも有効です。「井戸茶碗 現代作家」「楽茶碗 現代作家」などで検索すると、数万円前後から良質な現代作品を見つけられることがあります。骨董に挑戦する前の目を養う場として、ぜひ活用してみてください。
参考:骨董の井戸茶碗の価格相場と購入の注意点について解説されています。