「青い焼き物」なのに、実物は緑色に見えることがあなたを困惑させるかもしれません。
青九谷(あおくたに)は、正式には「青手九谷(あおでくたに・あおてくたに)」とも呼ばれ、石川県(主に加賀藩・大聖寺藩)で生産されてきた九谷焼のうち、器の表面(見込み)に青色系の色彩を多用した磁器のことを指します。コトバンクの解説では「赤えのぐを使わない色絵磁器」と定義されており、これが最大の特徴です。
実はここに最初の驚きがあります。青九谷の「青」は、現代の感覚でいえば青というよりも緑に見える色です。日本では古来より緑色のことを「青」と表現する慣習がありました。信号機の「青信号」が実際には緑に近い色であるのと同じ感覚です。つまり青九谷の「青」は、現代語の「緑」と重なっています。
| 使用色 | 使用の有無 |
|---|---|
| 緑(青) | ✅ メインカラー |
| 黄 | ✅ 使用 |
| 紫 | ✅ 使用 |
| 紺青 | ✅ 使用 |
| 赤 | ❌ 一切使わない |
青手には「青手古九谷」と呼ばれる最古のタイプがあり、緑・黄・紺青・紫のうち三彩または二彩のみを使い、器体の表裏を塗り埋める「塗埋手(ぬりうめで)」という技法を用います。余白を一切見せないほど絵具を盛り上げるこのスタイルは、まるで日本絵画の障壁画を器の上に凝縮したような大胆さがあります。専門家の間では「日本の油絵」とも評される理由がここにあります。
もう一つ注目すべき点があります。青九谷は「磁器」と分類されながら、一般に「半陶半磁」と呼ばれるほど陶器に近い質感を持っています。通常の磁器よりも素地に温かみがあり、陶器好きの方が見ると「磁器なのに陶器みたい」と感じるのはそのためです。これが骨董市場でも独特の立ち位置を持つ理由のひとつといえます。
つまり青九谷とは、「青と呼ばれるが緑、磁器と呼ばれるが陶器に似た、赤を使わない九谷焼」ということですね。
参考リンク(青手九谷の定義と特徴について)。
青手九谷 - Wikipedia
青九谷の歴史を知るには、まず「古九谷」から話を始める必要があります。1650年頃(慶安年間)、加賀藩の支藩である大聖寺藩の九谷村で焼かれた作品群が「古九谷」と呼ばれており、青手古九谷はその中の一様式として伝わっています。
注目すべきは時代背景です。慶安年間は関ヶ原の戦いから50年を経た頃であり、長い戦乱からようやく解放された町人文化が花開いた時代でした。自由闊達な気運の中、空を飛ぶ兎、大胆にデフォルメされた大樹、四彩で彩られた百合の花など、現代の目から見ても驚くほど個性的な意匠が生まれました。この時代の空気感が青手古九谷の大胆不敵ともいえる作風を生んだとされています。
しかし古九谷は約50年で廃窯となり(完全には80年後)、その後約100年にわたって九谷焼は作られない空白期が続きます。再興の気運が高まったのは文化年間(1804年以降)のことです。その中で最も重要な役割を担ったのが「吉田屋窯」でした。
明治維新以降、九谷焼は大きな転機を迎えます。明治政府が殖産興業政策として伝統工芸品の輸出を奨励し、1873年(明治6年)のウィーン万博を契機に九谷焼の名が世界に広まりました。この時期、なんと九谷焼の8割が輸出に回され、輸出陶磁器の1位を占めたとされています。野球場(東京ドーム)に例えると、国内向けがたった2割という規模感です。「ジャパン クタニ」というブランドはこのようにして生まれました。
ただし、明治期に輸出された九谷が現代に逆輸入されて市場に出回っているケースもあります。これが現代のコレクター市場での真贋判定を複雑にしている要因の一つです。
明治以降は厳密な意味での青手が主流とはなりませんでしたが、人間国宝・三代 德田八十吉(とくだやそきち)をはじめとする作家たちによって青手の様式は現代まで受け継がれています。
歴史が体系的にまとめられた参考リンク。
九谷焼の歴史 - 九谷満月
青九谷の技法的な核心は「塗埋手(ぬりうめで)」にあります。これは器の表面全体を絵具で塗り埋め、素地の余白をほとんど見せない技法です。一般的な絵付けが「絵を描く」ものだとすれば、塗埋手は「器全体を絵で包む」感覚に近く、見た目の圧倒的な存在感につながっています。
実際に手に取ると、絵具の盛り上がりが指先で感じられるほどの厚塗りになっています。釉薬の上に絵具を盛り上げて再焼成する「上絵付け(うわえつけ)」という技法が使われており、絵具が立体的に浮き出ているのが触れればわかる特徴です。これは市販の食器とは全く異なる感触です。
九谷焼全体の様式を整理すると、以下の3つが代表的です。
| 様式名 | 使用色 | 特徴 |
|---|---|---|
| 青手(青九谷) | 緑・黄・紺青・紫(赤なし) | 塗埋手、大胆な意匠、重厚感 |
| 五彩手(色絵) | 赤・黄・緑・紫・紺青の5色 | 呉須で輪郭線を描き、5色で厚盛り |
| 赤絵・金襴手 | 赤が主体+金彩 | 細密画、金の豪華さ、明治輸出品の主流 |
青九谷が独特なのは、赤を完全に排除した点にあります。九谷五彩は5色全部を使う豊かさが特徴ですが、青九谷はあえて赤を除いた寒色系の世界を徹底します。これが「日本の油絵」と評される沈んだ重厚さの源泉です。
もう一点、五彩手との大きな違いは構図の取り方にあります。五彩手では「窓絵」と呼ばれる区画を設けてその中に図案を描く手法が多いのに対し、青手の塗埋手では器の全面が一つの絵として扱われます。構図の自由度が高い分、作者の個性や時代の空気感がより直接的に反映されやすいのです。
吉田屋窯の作品は、青手古九谷より幾分落ち着いた色みを持ち、白素地を部分的に見せることで独自の軽快さを加えています。この違いを見分けられると、市場で青九谷の時代判定をする際の手がかりになります。青手九谷の様式については基本が理解できれば見分け方も変わります。
参考リンク(九谷焼の三様式の詳細な解説)。
九谷焼伝統の様式 - 九谷焼ガイド
陶器好きの方が骨董市や古道具店で青九谷らしき作品を見つけたとき、最初に目が向くのが器の底・高台の裏にある「銘(めい)」です。青九谷には「角福(かくふく)」と呼ばれる特徴的な銘が多く見られます。
角福とは、二重四角の枠の中に「福」という吉祥文字を書いた銘のことです。これは作者のサインではありません。中国磁器の影響を受けた吉祥銘であり、「福を招く器」という意味合いで入れられたものです。骨董を見るとき「裏の銘=作者名」と思い込んでいる方には驚きかもしれません。
ただし、この角福があっても「古九谷時代のもの」「吉田屋窯のもの」とは限りません。Wikipediaの記述によると、現在市場で古九谷や吉田屋窯として流通している青手九谷の多くが、実際には明治以降に作られたものである可能性が高いとされています。理由はいくつかあります。
こうした背景を知ると、骨董市で「吉田屋窯の青九谷」として高額で販売されている品の見方が変わります。価格だけで判断するのは危険です。これは金銭的なリスクに直結します。
青九谷を見極める際の基本的なポイントをまとめると次のようになります。
確実な判定が必要な場合は、専門の骨董鑑定士や信頼できる古美術商に確認することをお勧めします。参考として、骨董品の裏印全般に関する情報はこちらが詳しいです。
参考リンク(九谷焼の裏印・角福の見方)。
九谷焼・角福の読み方と見方 - 古美術八光堂
「青九谷は古い骨董の世界だ」と思っている方も多いかもしれません。しかし現代においても、青手の技法は石川県・金沢を中心に多くの作家や窯元によって息づいています。
その象徴的な存在が、人間国宝・三代 德田八十吉(1933〜2009年)です。三代目は青手の塗埋手技法を受け継ぎながら、より鮮やかで独自の色彩感覚を加えた作品で国内外の高い評価を受けました。「燿彩(ようさい)」と呼ばれる独特の発色は、伝統の青手が現代アートとして進化した姿といえます。
現代の青九谷を楽しむ方法はいくつかあります。
「加賀 伝統工芸村ゆのくにの森」では、古九谷から吉田屋窯・松山窯・宮本屋窯の再興九谷、そして近代・現代作家の作品が一堂に展示されています。青九谷の流れを一度に追いたいなら最適な場所です。
現代の作品を眺めながら「この青い色は350年以上続いてきた表現だ」と感じると、一枚の皿に乗っている時間の重みが違って見えてきます。これが使えそうですね。
また、近年はキャラクターとのコラボ商品など、若い世代向けの九谷焼も増えています。青手様式を取り入れたモダンなデザインの器は、インテリアとしても人気を集めています。伝統を大切にしながら現代の暮らしに溶け込む形で、青九谷の世界は今も拡張し続けています。
参考リンク(吉田屋窯の歴史と技法の詳細)。
九谷焼 吉田屋窯の特徴と歴史 - 大志窯コラム