布志名焼窯元を巡る島根の陶器と歴史の旅

島根・松江に息づく布志名焼の窯元を深掘り。雲善窯・湯町窯・舩木窯それぞれの個性や来待石の黄釉、スリップウェアの技法とは?陶器好きなら一度は訪れたい窯元の魅力を知っていますか?

布志名焼の窯元と歴史・技法・訪問ガイド

茶陶の窯元だった布志名焼が、今は食卓の日用器の方が9割以上を占めています。


布志名焼 窯元 3つのポイント
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現存する窯元はわずか3〜4軒

江戸時代に隆盛を誇った布志名焼だが、現在活動する窯元は雲善窯・湯町窯・舩木窯など数軒のみ。それぞれが異なる作風と個性を守っている。

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来待石が生む唯一無二の黄釉

宍道湖畔でしか採れない来待石(きまちいし)を釉薬の原料に使用。国内でも大変珍しい、温かみのある黄色い釉が布志名焼最大の特徴。

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英国人陶芸家が伝えたスリップウェア

1935年にバーナード・リーチが来訪し直接指導。英国伝統のスリップウェア技法が布志名焼に根付き、現在も湯町窯・舩木窯の代名詞となっている。


布志名焼 窯元の歴史と成り立ち―江戸から令和まで300年の系譜


布志名焼の歴史は、今からおよそ300年前にさかのぼります。江戸時代中期、舩木与次兵衛村政が現在の島根県松江市玉湯町に窯を開いたことが始まりとされています。その後、1780年頃に松江藩の藩命で楽山窯から土屋善四郎が移住し、技術指導を行ったことで品質が格段に向上しました。


この土屋善四郎こそが、布志名焼特有の「黄釉(きぐすり)」を生み出した人物とされています。つまり、現在も各窯元に受け継がれているあの温かみのある黄色い釉薬は、240年以上前に確立された技術なのです。これは日本陶芸史の中でも異彩を放つ存在です。


その後、御用窯(殿様のための窯)と民窯(日用品を焼く窯)の棲み分けが進みました。御用窯は松平不昧公(大名茶人として江戸時代を代表する茶人)好みの茶道具を作り、民窯は北前船に積んで全国・海外へ日用雑器を出荷していました。明治時代には全盛期を迎え、特有の黄釉色絵陶器は海外にまで販路を広げるほどでした。


衰退期を経て、昭和初期に転機が訪れます。柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司・バーナード・リーチという民藝運動の立役者たちが相次いで布志名を訪れ、指導を行いました。民藝運動の恩恵は大きかったですね。特に1935年に舩木道忠宅に逗留したバーナード・リーチは、スリップウェアの技法やハンドルの付け方などを直接伝授。これが現在の湯町窯・舩木窯の作風の根幹となっています。
































時代 主な出来事
江戸中期(1700年代) 舩木与次兵衛村政が開窯。布志名焼の原点
1780年頃 土屋善四郎が楽山窯より移住し黄釉を確立
明治期 全盛期。海外への輸出まで拡大
昭和初期(1935年) バーナード・リーチが来訪。スリップウェアが伝播
昭和57年(1982年) 島根県伝統工芸品に指定(湯町窯・雲善窯)
現在 窯元3〜4軒が各自の個性で作陶継続


参考:布志名焼の歴史的背景と島根県による伝統工芸品指定の詳細が確認できます。


島根県公式:布志名焼(ふじなやき)松江市玉湯町


布志名焼 窯元の最大の特徴「来待石の黄釉」とスリップウェアの技法

布志名焼を他の陶器と決定的に差別化するのが、「来待石(きまちいし)」を原料とした黄釉です。この来待石は宍道湖南岸でしか採掘されない凝灰質砂岩で、江戸時代には松江藩が他藩への持ち出しを禁じるほど貴重なものでした。つまり来待石の黄釉は、布志名だからこそ生まれる色です。


黄釉は一色ではありません。淡いクリーム色から山吹色まで、鉄分の含有量や焼成温度によって幅広い色調が生まれます。さらに、鉄分の多い陶土との化学反応で茶褐色・赤褐色にもなります。同じ来待石の釉薬でも、窯元ごとに表情が異なるため、見比べる楽しさもあります。


スリップウェアは、布志名焼の現代を語る上で欠かせない技法です。もともとは紀元前5000年ごろの中国・中東に起源を持つ古い技法ですが、17〜18世紀の英国で特に発展しました。「スリップ」とは泥状に溶いた色土のこと。生乾きの器の表面に弁柄酸化鉄)のスリップを全体に掛け、その上からスポイトや筆を使ってさらにスリップを流し描きや筒描きで文様を描きます。日本の「筒描き(イッチン盛り)」と似た技法です。


バーナード・リーチが1935年に舩木道忠宅に逗留し、この技法を直接指導しました。そのとき湯町窯2代目の福間貴士さんや出西窯の多々納弘光さんも合流して指導を受けています。布志名の土質と来待釉は、英国の土質・釉薬と似た条件だったため、スリップウェアが非常に馴染みやすかったといいます。これは偶然ではなく、地理的・地質的な共鳴とも言えます。



  • 🎨 スリップウェアの手順:生乾きの器→弁柄スリップを全体に掛ける→スポイト・筆で模様を描く→来待釉を掛ける→本焼き(1,000〜1,300度)

  • 🟡 来待釉の色変化:クリーム色(低温)→山吹色(中温)→茶褐色・赤褐色(高温)

  • 🇬🇧 スリップウェアの起源:英国コーンウォールで盛んだった伝統技法を民藝運動が日本に移植


参考:布志名焼湯町窯のスリップウェアや来待石の黄釉について詳しく解説されています。


やきもの紀行(セラミックラボ):布志名焼―多様なる選択


布志名焼の各窯元ガイド―雲善窯・湯町窯・舩木窯の個性と違い

現在、島根県の伝統工芸品として指定を受けている布志名焼の窯元は主に3〜4軒です。それぞれがまったく異なる個性を持ち、同じ「布志名焼」という名のもとで実に多様な表情を見せてくれます。


雲善窯(うんぜんがま)は、松平不昧公が「雲善」と命名した由緒ある御用窯です。260年以上の歴史を持ち、現当主は10代目・土屋知久さん。初代から続く海老・大根といった縁起物の絵付け茶碗を守り続けながらも、1,000パターン以上の釉薬実験から生み出した「コバルトブルー」と「ミントグリーン」を新たな看板カラーとして加えています。現在は日用陶器が売上の約9割を占めており、月2回のペースで窯焼きを行っています。電動ろくろ体験も実施しており、料金は4,000円+送料(要予約)。スープカップは1,870円から、マグカップは1,760円からと、比較的手に取りやすい価格帯です。


湯町窯(ゆまちがま)は大正11年(1922年)開窯の窯元で、布志名焼の中でもとりわけ民藝の精神を忠実に体現している窯として知られています。バーナード・リーチ直伝のスリップウェアを三代・四代にわたって守り続け、「元祖エッグベーカー」が生まれた窯でもあります。看板商品のエッグベーカー(小)は4,730円で、直火・オーブン・電子レンジの三通りで使える実用性の高さが人気の理由です。JR玉造温泉駅からすぐという好立地で、年中無休(年末年始除く)で営業しています。棟方志功がパンフレットのイラストを描いているという逸話も残っています。


舩木窯(ふなきがま)は、元禄年間(1695年頃)に布志名に移り住んだ舩木与次兵衛村政を起源とする、布志名焼の「元祖」にあたる窯です。現在は6代目の舩木伸児さんが継承しています。5代目の研児さんは1967年に渡英し、バーナード・リーチ本人とその息子デビッド・リーチの窯で研鑽を積んだ、文字どおり「本場仕込み」の陶工でした。現代感覚を持ったスリップウェアから鉄釉の器まで、民藝の域を超えた現代的な作品も手がけています。


| 窯元 | 開窯 | 代表の特徴 | 体験・見学 |
|---|---|---|---|
| 雲善窯 | 江戸時代(御用窯) | 黄釉茶碗・コバルトブルー・ミントグリーン | 電動ろくろ体験あり(4,000円〜・要予約) |
| 湯町窯 | 大正11年(1922年) | スリップウェア・エッグベーカー・黄釉 | 見学自由・購入のみも可 |
| 舩木窯 | 元禄年間(1695年頃) | スリップウェア・鉄釉・現代陶芸的作品 | 要問合わせ |


参考:雲善窯の詳しい作品紹介と現当主のインタビューが読めます。


ミライノミンゲイ:気負わず、自由に。雲善窯 土屋知久さんインタビュー


布志名焼 窯元を訪れる前に知っておきたい実用情報とアクセス

実際に布志名焼の窯元を訪れるには、JR山陰本線を利用するのが基本です。湯町窯はJR玉造温泉駅からすぐ(徒歩圏内)という好立地で、旅行と組み合わせやすい窯元です。雲善窯はJR玉造温泉駅から車で5分ほどの距離にあります。松江市中心部から宍道湖沿いに西へ車で20〜30分ほどの道のりです。


訪問の前に確認しておきたいのが、各窯元の営業時間と定休日です。雲善窯は月曜定休で10:00〜17:00の営業、舩木窯への訪問は事前に連絡を入れることが推奨されています。湯町窯は年中無休(年末年始除く)で、平日8:00から営業しています。突然の訪問で空振りになると、交通費や移動時間が丸損になります。訪問前に各窯元のInstagramや電話で営業状況を確認しましょう。


器の購入については、現地に行かなくても入手できる手段が複数あります。雲善窯は島根県物産観光館(松江市)やいろは舎(松江市)でも取扱いがあります。楽天市場などのオンラインショップでも湯町窯のエッグベーカーや布志名焼の器を購入できます。購入前に現物を見たい場合は、松江市のセレクトショップや道の駅での取扱いも要チェックです。


また、器の価格帯について整理しておきます。布志名焼の日用器は比較的手頃で、スープカップが1,870円〜、マグカップが1,760円〜(雲善窯)、皿類が1,650円〜という水準です。湯町窯のエッグベーカー(小)が4,730円、片口が4,070円など、機能性を持つ調理器具は4,000〜5,000円台が目安です。陶器市や全国のクラフトマーケットでも入手できる機会があります。



  • 🚉 湯町窯アクセス:JR玉造温泉駅からすぐ(営業8:00〜17:00、年中無休/年末年始除く)

  • 🚗 雲善窯アクセス:JR玉造温泉駅から車で約5分(営業10:00〜17:00、月曜定休)

  • 📱 訪問前の確認方法:雲善窯はInstagram(@unzengama)で休業情報を公開中

  • 🛒 オンライン購入:楽天市場・Yahoo!ショッピングでも湯町窯の器を購入可能


参考:松江周辺の窯元訪問の実用情報と各窯元の商品価格・アクセスが確認できます。


布志名焼 窯元だけが知るディープな魅力―英国との意外なつながりと釉薬の謎

布志名焼と英国には、陶芸ファンでも意外と知らない深い関係があります。スリップウェアの技法を伝えたバーナード・リーチは、来日後に日本各地の窯を指導しましたが、その中でも布志名焼に注目したのは理由がありました。英国コーンウォール地方で使われていたガレナ釉(鉛の硫化物を使った釉薬)の色調と、来待石を原料とした布志名の黄釉が非常に近かったのです。さらに、土質・釉薬・焼成温度といった条件まで英国の環境と似通っていました。これが原因です。


驚くべきことに、後年英国でガレナ釉を研究・再現する際、布志名焼が参考にされたという逆輸入的な事実もあります。英国の陶芸家たちが、日本の地方の窯から学んだのです。これは知ると得をする情報ですね。


また、雲善窯の現当主が1,000パターン以上の釉薬テストから生み出したコバルトブルーも、もとをたどればこうした釉薬研究の精神が受け継がれています。岐阜の陶磁器試験場での伝習生時代に積み上げた膨大な実験の中から、偶然とも必然とも言えない「ちょっとイメージと違う色」が生まれ、それが今や雲善窯の代名詞となっています。


舩木窯5代目・研児さんが1967年に単身渡英し、バーナード・リーチ本人の窯(セント・アイブスのリーチ・ポタリー)で直接指導を受けた事実も見逃せません。父・道忠さんが日本でリーチから学び、息子・研児さんが英国の本家で学ぶ。親子二代にわたって英国とのリレーが続いた窯元は、日本全国を見渡しても極めて稀なケースです。まさに唯一無二の継承です。


さらに隠れた事実として、来待石は江戸時代に松江藩が他藩への持ち出しを禁じた「藩の秘密の原料」でした。その来待石が今日も宍道湖南岸で採掘され、窯元の釉薬として使われ続けています。採掘できる場所が限られているため、仮に他の産地の陶芸家が来待釉を再現しようとしても、原料の入手から難しいのが現実です。この地にしか作れない、唯一性こそが布志名焼の最大の価値といえます。


参考:布志名焼舩木窯と英国バーナード・リーチとの関係、スリップウェアの技法の詳細。


Google Arts & Culture:布志名舩木窯




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