仁清の国宝は2点あるが、日本産の陶磁器国宝5点のうち2点を独占している。
野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村(現在の京都府南丹市美山町)の生まれとされる江戸時代前期の陶工で、本名を清右衛門といいます。生没年は不詳ですが、17世紀後半に活躍したことは多くの記録から確認されています。
若い頃は丹波焼の陶工として出発し、その後、陶芸の聖地・愛知県の瀬戸で轆轤(ろくろ)技術の修業を積んだとされます。意外ですね。「京焼の祖」として名高い仁清が、実は京都以外で技を磨いた人物だったのです。
1647年(正保4年)頃、京都洛西にある仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開きます。「仁清」という号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を組み合わせたもの。この号が今日まで語り継がれるほど、彼の存在は京焼の歴史に深く刻まれました。
仁清の窯を後押ししたのが、茶人・金森宗和(1584〜1656)です。金森宗和は飛騨高山を治めた金森家の嫡男でしたが廃嫡され、京都で茶人として活動した人物。後水尾天皇や東福門院とも深いつながりを持ち、仁清のプロデューサーとして華麗な陶器を宮廷文化に売り込んでいきました。
仁清が活躍した頃、仁和寺は応仁の乱(1467年〜)以降の荒廃から立ち直り、3代将軍・徳川家光の命によってちょうど再建されていました。その最高格式の門跡寺院のすぐそばで窯を開いたことが、仁清の作品に特別な箔をつけたともいえます。これが条件です。
公家や大名が求める典雅な茶道具を次々と生み出した仁清の作品群は、現在2点が国宝、20点が重要文化財に指定されています(2019年時点)。
サントリー美術館「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」展示構成|野々村仁清の御室窯開窯の背景や年代が詳しく解説されています
石川県立美術館が所蔵する国宝「色絵雉香炉(いろえきじこうろ)」は、1951年に国宝認定された仁清の最高傑作のひとつです。全長48.3センチ(だいたいA4用紙の縦と横を足したほどの大きさ)という迫力ある雉の形をした香炉で、緑・紺青・赤などの絵具と金彩で羽毛や顔が精密に描かれています。
この作品で特筆すべきは「不完全の美」という概念です。正面から観ると、雉の首はわずかに傾いており、顔面も完璧な左右対称ではありません。これは仁清が意図的に取り入れた美意識であり、均整が取れた美を超えた独特の存在感を生み出しています。
2020年のコロナ禍、石川県立美術館の休館中に学芸員・村瀬博春さんが香炉のケースを清掃した際、370年間誰も気づかなかった製法の秘密が明らかになりました。首の内側に継ぎ目の痕跡が発見され、「首(頭)」「胴」「尾」が別々に成形されてから接合されていたことが判明したのです。意外ですね。
首の部分は高さ1〜2センチほどの粘土の輪を積み重ねることで成形されており、この手法は仁清のオリジナル技法とされています。九州・有田の色絵磁器の影響を受けつつも、あえて輪積み成形で「不完全の美」を作り出した仁清の意図が、400年の時を超えて解明されました。
制作の背景も謎が多い作品です。加賀藩3代当主・前田利常が家臣に下賜したという言い伝えはありますが、誰が発注し、いつ作られたかは不明のまま。その後、前田家の子孫から出入り商人の山川家に渡り、明治時代には数寄者が「金沢の山川家で拝見した」と記録を残しています。石川県立美術館への寄贈も山川氏からです。
この香炉が実際に焚かれていたかどうかも気になるところです。背面の煙出し孔が茶色に変色していることから、飾り物としてだけでなく、実際に香炉として使われたことが確認されています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 色絵雉香炉(銘:吉光) |
| 時代 | 江戸時代 17世紀 |
| 全長 | 48.3センチ |
| 指定 | 国宝(1951年指定) |
| 所蔵 | 石川県立美術館(金沢市) |
| 製法 | 上下二分割構造・輪積み首成形 |
石川県立美術館 公式コレクション詳細|色絵雉香炉の仕様や来歴が公式に掲載されています
MOA美術館(静岡県熱海市)が所蔵する「色絵藤花文茶壺(いろえふじはなもんちゃつぼ)」は、仁清の茶壺中でも最高傑作として名高い作品です。高さ28.8センチ、胴径27.3センチとほぼ正円に近いバランスで仕上げられており、その端正な姿だけでも見る人を圧倒します。
驚くべきは、日本で作られた焼き物で国宝に指定されているものは5点しかないという事実です。残り4点は「志野茶碗 卯花墻」「白楽茶碗 銘 不二山」「秋草文壺」そして「色絵雉香炉」。国産陶磁器の国宝はこれだけです。
温かみのある白釉地の上に、赤・紫・金・銀で彩られた藤の花穂と蔓が描かれ、緑の葉には一枚一枚葉脈まで施されています。ただ美しいだけではありません。全体が均等に薄く挽き上げられており、高い轆轤技術と絵付け技術が高い次元で融合していることが、国宝に選ばれた最大の理由です。
この茶壺はもとは丸亀藩・京極家に伝来していました。現在はMOA美術館に収蔵され、常設展示室では別室仕立ての空間に単独展示されており、暗闇の中から光の中に浮かび上がる茶壺の姿が圧巻だと来館者の間で評判です。つまり作品の存在感そのものを最大限に引き出す展示環境が整っているということです。
底裏には「仁清」の小判形の大印が捺されており、本物の証とも言えるサインが刻まれています。この印の有無は真贋を判断するうえで重要なポイントのひとつであり、後述の仁清写やコピー品との見分け方にも関係します。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 色絵藤花文茶壺 |
| 時代 | 江戸時代 17世紀 |
| 高さ | 28.8センチ(胴径27.3センチ) |
| 指定 | 国宝 |
| 所蔵 | MOA美術館(静岡県熱海市) |
| 伝来 | 丸亀藩・京極家 |
MOA美術館 公式コレクションページ|色絵藤花文茶壺の詳細な解説と寸法データが掲載されています
仁清が陶芸史において革命的だったのは、色絵(上絵付け)技法、なかでも安定した赤色の発色を確立したことにあります。それ以前の陶器の色彩は、緑や青が主体で、鮮やかな赤色を安定して出すことは非常に困難でした。
色絵とは、本焼きを終えた器の釉薬(うわぐすり)の上に絵具で模様を描き、低温で焼き付ける技法です。つまり2度焼く工程が必要で、絵具の配合と焼成温度の管理に高度な技術が要求されます。
この赤色発色の技術は九州・有田の柿右衛門がほぼ同時期に磁器で確立していますが、仁清は柔らかみのある陶器(磁器ではなく)の上で完成させた点が独自です。白く温かみのある陶胎と鮮やかな色絵の組み合わせが、仁清スタイルの核心です。これが原則です。
また仁清の作品には、当時の狩野派などの画派の技法も取り入れた絵付けが見られます。当時の公家や大名が愛した宮廷絵画の美意識を、立体的な器の表面に展開するという発想は、仁清以前の陶工にはなかったアプローチでした。
仁清の高い轆轤技術も見逃せません。「焼きたてのパンのようにふっくらとした造形」と表現されることがあるほど、均一に薄く挽き上げられた器は、仁清の真作を見分けるひとつの基準とされています。なんでも鑑定団でも、仁清として持ち込まれた茶壺が偽物と判定された際、「形がなっていない、仁清はろくろの名手」と評された事例があります。
色絵技法の完成を神仏への感謝として形にしたエピソードもあります。1657年(明暦3年)に、仁清は作陶技術の上達を大原野・安養寺に祈願し、満願(技術が自分の思うレベルに達したと実感した年)の御礼として同型の香炉を3点制作し、安養寺・仁和寺・槇尾の3か所に奉納しました。このうちの1点が現在、藤田美術館に重要文化財として所蔵されています。
京焼色絵再考-仁清|仁清の色絵技法と御室窯の成立を詳細に考察した専門的な解説ページです
仁清の名声は江戸時代から現代に至るまで非常に高く、その結果、「仁清写(にんせいうつし)」と呼ばれる模倣作品が数多く生まれました。仁清写とは、野々村仁清が作った作品のスタイルや意匠を模倣して作られた陶器のことです。これはコピーというネガティブな意味だけでなく、仁清の美意識を後世に継承するという文化的な意義もあります。
問題なのは、仁清写を本物の仁清作品として偽装した「偽物」の存在です。なんでも鑑定団に持ち込まれた「仁清の茶壺」は、鑑定の結果、「近代以降、京都のいずれかの窯で作られた偽物」と判定されたことがあります。同番組に持ち込まれた「仁清の茶碗」も「裏に仁清の幕印を押した仁清ブランドの偽物」と評価されました。
国宝作品と偽物・仁清写の差はどこにあるのでしょうか? 専門家が指摘するポイントをまとめます。
陶器に興味を持ち、仁清作品の購入や骨董市での出会いを楽しんでいる方にとって、この知識は非常に重要です。仁清作品の真贋は専門家でも難しいケースがあります。骨董品の購入を検討する際は、信頼できる鑑定機関や専門家への相談を一度はされることをおすすめします。
また、国宝作品を「本物」として肉眼で見たい場合は、石川県立美術館(色絵雉香炉)やMOA美術館(色絵藤花文茶壺)への来館が確実な方法です。本物を目に焼き付けることが、真贋を見極める目を養う最短の近道ともいえます。
茶の湯いろは「仁清写とは何?茶道具でよく見る用語」|仁清写の意味や歴史的背景をわかりやすく解説しています