ざびえるを長崎銘菓だと思い込んだまま買い損ねると、大分でしか出会えない正規品を手に入れる機会を永遠に逃します。
「ざびえる」という名前を初めて聞くと、長崎のお菓子だろうと想像する方が多いかもしれません。確かにフランシスコ・ザビエルといえばキリスト教布教の象徴であり、長崎や南蛮貿易のイメージと重なりやすいものです。ところが実際は、ざびえるは大分県大分市の銘菓です。
天文20年(1551年)、フランシスコ・ザビエルは豊後の国(現在の大分県)を訪れ、戦国大名・大友宗麟の庇護を受けました。ザビエルはここで布教活動を展開するだけでなく、小学校や大病院を相次いで建設し、府内の街(現在の大分市)に南蛮文化の種をまきました。つまり大分こそが、ザビエルが日本で最も深く根を下ろした土地なのです。
こうした史実を讃えて生まれたのが「南蛮菓ざびえる」です。バター風味豊かな洋風のビスケット生地と、純和風の白餡という組み合わせは、まさに「和と洋の融合」を体現しています。和洋折衷そのものがコンセプトというのが、ポイントです。
陶器に興味を持つ方なら、大友宗麟の時代の豊後府内が南蛮貿易の拠点でもあったことをご存じかもしれません。実際、大友氏の館跡の発掘調査では、アジア各国から輸入された陶磁器が多数出土しており、当時の府内がいかに国際色豊かな都市であったかを示しています。ざびえるというお菓子は、そうした陶磁器文化とも通じる「南蛮文化が花開いた大分」の象徴とも言えるのです。
南蛮菓子が日本に伝わったのは、1543年にポルトガル人が種子島に漂着した頃とされています。カステラ、ビスケット、ボーロといった洋菓子がこの時代から日本に入ってきました。ざびえるはそうした南蛮菓子の系譜を受け継ぎながら、61年以上の歴史を重ねてきた大分の代表銘菓です。
大分市歴史資料館ニュース「豊後大友氏と南蛮文化」(PDF)― 大友宗麟とザビエルの会見、南蛮文化繁栄の歴史的背景について詳しく解説されています
ざびえるには「金」と「銀」の2種類があります。これは見た目の個包装の色から来ており、箱全体は黒を基調に赤い線の入ったビロード風のデザインで、キリスト教の聖書をイメージしたものとされています。重要です。
「銀」は、精選された純和風の白餡を洋風ビスケット生地で包んだシンプルな組み合わせです。白餡のなめらかさとバターの香りが混ざり合う上品な味わいで、お茶との相性も抜群です。「金」は、ラム酒に漬け込んだ刻みレーズンを練り込んだ餡を同じ生地で包んでいます。ラムレーズンの甘い香りとアルコールの余韻が、洋酒好きの方に特に喜ばれます。
気になる点として「アルコールが入っているのでは?」という声をよく聞きます。ざびえる本舗の公式情報によると、ラム酒を使用している商品でも、高温の窯で焼成するためアルコール成分は0.05%以下に抑えられています。これなら問題ありません。
生地の表面はサクサクとしながら、中はしっとりした独特の食感を持っています。これは全長6メートルの専用トンネル窯を使い、まずガスでじっくり火を入れ、最後に電気で色づけするという二段階の焼成によるものです。手のひらにすっぽり収まるほどのコンパクトなサイズ感(約5〜6センチ程度)ながら、食べ応えは十分です。
陶器の銘々皿に「金」と「銀」を1個ずつ並べて出すと、黒いビロード箱のイメージとの対比が際立ち、茶の場でのもてなしとして映えます。白磁の豆皿や、少し青みがかった染付皿など、シンプルな器に乗せるとざびえるの存在感がより引き立ちます。これは使えそうです。
ざびえる本舗よくある質問(公式)― アルコール成分や賞味期限など購入前に知っておきたい詳細情報が確認できます
ざびえるの歴史には、劇的な復活劇が刻まれています。元々「ざびえる」を製造・販売していたのは大分市の老舗菓子メーカー「長久堂」で、1957年の創業から1961年(一部資料では1962年)にかけてこのお菓子を世に出しました。発売当時、黒いビロード風の箱はお菓子業界に衝撃を与えたといいます。
40年以上にわたって大分県民に愛されてきたざびえるでしたが、2000年10月、長久堂は自己破産し生産がストップしました。大分の土産菓子コーナーからざびえるが姿を消した日、地元では「あの味がなくなる」という喪失感が広がりました。
しかし、消費者からの「復活させてほしい」という声は予想をはるかに超えるものでした。地元メディアがこぞって取り上げたこともあり、大分県全域から復活を求める声が続々と届いたのです。
その声に応えたのが、長久堂でお菓子部門の課長を務めていた太田清利氏(現・会長)を中心とする元社員8名です。破綻からわずか半年後の2001年4月、「ざびえる本舗」を設立して製造・販売を再開しました。これが異例の速さです。
再開後の売れ行きは予想を大幅に上回り、わずか4ヶ月後の8月には黒字化を達成。2年目には姉妹品「瑠異沙」も復活させ、2期目の売上は4億円に達しました。あれから20年以上、今も順調に売上を維持しています。
ざびえる本舗は現在も製法をほぼ変えていません。新しいフレーバーの要望やコラボのオファーはすべてお断りしているというほど、オリジナルの味を守ることを信念としています。「受け継いだものを変えずに守る」という姿勢が、60年以上愛され続ける理由です。
大分銘菓 南蛮菓 ざびえる(note)― 長久堂の創業から自己破産、ざびえる本舗による復活までの詳細な経緯がまとめられています
陶器好きの方にとって、ざびえるは「器との組み合わせを楽しむ菓子」としても一級品です。その理由を、少し掘り下げて考えてみましょう。
ざびえるは和洋折衷のお菓子です。このため、和風の器にも洋風の器にも不思議なほどなじみます。たとえば、民藝調の素朴な刷毛目の陶器皿に乗せると、バター風味の洋風な生地と白餡の和の美しさがより際立ちます。一方、白磁の繊細な小皿や、波佐見焼のシンプルなプレートに合わせると、モダンな雰囲気が生まれます。
実際、ざびえるは茶の席での干菓子に近い立ち位置で使われることがあります。茶道の場では、銘々皿に乗せて黒文字(楊枝)を添えて出すのが正式な作法ですが、ざびえるは個包装をそっと外してコンパクトな豆皿に乗せるだけで絵になります。これだけ覚えておけばOKです。
おすすめは大分県内で作られた小鹿田焼(おんたやき)や小石原焼の皿との組み合わせです。小鹿田焼は飛び鉋(とびかんな)や刷毛目の素朴な模様が特徴で、ざびえるの黒い包装紙を外した後の焼き色と絶妙に呼応します。小石原焼も同様に民藝的な温かみがあり、大分・福岡の陶器文化とざびえるを同時に味わえるという意味で、この取り合わせは旅の記念にもなります。
また、ざびえるはオーブントースターで2分ほど温めると、焼きたてのような食感が復活します。温めたざびえるを少し厚みのある陶器の小皿に乗せ、緑茶や煎茶を小ぶりの湯飲みで添えると、南蛮文化と茶文化が一枚の食卓に共存する瞬間を味わえます。陶器の世界観とざびえるの歴史的背景が重なる、この組み合わせは唯一無二の楽しみ方です。
| 器の種類 | 合わせる餡の種類 | 雰囲気 |
|---------|--------------|------|
| 小鹿田焼(飛び鉋模様) | 銀(白餡) | 民藝・侘び感 |
| 白磁豆皿 | 金(ラムレーズン) | モダン・シンプル |
| 染付の銘々皿 | 金・銀どちらでも | 和の正統派 |
| 小石原焼の小皿 | 銀(白餡) | 素朴・温かみ |
美味しい和菓子を器と楽しむ(暦生活)― 銘々皿の選び方や和菓子と陶器の合わせ方について丁寧に解説されています
ざびえる本舗は、南蛮菓ざびえる以外にも注目すべき和洋折衷菓子を複数展開しています。陶器に興味がある方が大分を旅する際、手土産や自分へのご褒美として覚えておきたいラインナップです。
姉妹品の「瑠異沙(るいさ)」は、ざびえるとセットで語られることの多い銘菓です。大分県佐伯市宇目に眠るキリシタン少女の面影を偲んで作られており、バイオレットリキュール(スミレのリキュール)で香り付けした紫色の餡を、ミルクとバター風味のカステラ生地でくるんでいます。口に入れた瞬間に広がるすみれの香りは繊細で、女性に特に人気があります。
「南蛮菓 Bungo(ぶんご)」は、キリシタン大名・大友宗麟の功績をたたえて誕生した比較的新しいシリーズです。ラム酒漬けレーズンを練り込んだ餡をカカオ風味のチョコレート生地で包んでおり、豊後とヨーロッパをつなぐ南蛮文化の象徴として位置づけられています。
「月さらさ」はゴーフレット(薄焼きクッキーのサンド菓子)で、チーズ味と黒糖味の2種類があります。和洋の素材を取り込みつつも、シンプルで食べやすいお菓子です。
また、大分県は南蛮菓子文化の土地柄からか、大分以外にも九州には類似の和洋折衷銘菓が多く存在します。佐賀の「丸ぼうろ」はポルトガル語で菓子を意味する「ボーロ」が語源で、まさに南蛮菓子の直系にあたります。長崎のカステラも同じ系譜です。九州の陶器の産地を旅しながら、各地の南蛮菓子をその土地の器で食べ比べるという旅のスタイルは、陶器好きにとってひとつの理想形と言えるかもしれません。
大分のお土産として選ぶ際は、ざびえるの賞味期限が常温で30日間ある点も覚えておくと安心です。常温保存できるので、帰宅後に旅の余韻とともに陶器の器で味わう楽しみをとっておくのもよい選択です。
大分のキリシタン縁のお菓子と南蛮菓子(にっぽん食べる旅)― ざびえる以外の大分南蛮菓子・キリシタン銘菓が一覧できる参考ページです
株式会社ざびえる本舗 公式サイト ― ざびえる・瑠異沙・南蛮菓 Bungo など全商品の詳細と購入情報を確認できます