呉器手とは何か・紅葉・撥高台・作り方を解説

呉器手は高麗茶碗の一種で茶道具として重視されてきました。紅葉呉器や撥高台などの特徴、織田信長との関係、そして現代の陶芸での作り方まで知っていますか?

呉器手の基本と特徴

紅葉呉器を作るには兜巾のない平らな高台で良い。


この記事の要点
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呉器手とは高麗茶碗の一種

16世紀李朝時代の木椀形茶碗で、撥高台と白釉が特徴。紅葉呉器は最上手とされる

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織田信長が茶器として活用

一文字呉器茶碗を本願寺顕如に贈呈。茶器を恩賞として戦国政治に利用した

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撥高台の作り方がポイント

外に開いた高台削りと中心合わせが重要。轆轤技術で高台径を決める

呉器手とは高麗茶碗の一種

呉器手は、16世紀の李朝時代中期に朝鮮半島で作られた高麗茶碗の一種です。


呉器、五器、御器とも表記されます。



参考)収蔵品紹介 公益財団法人鍋島報效会 徴古館


形状の特徴として、大振りで見込みが深く、丈が高い木椀形をしています。高台が高く外に開いた「撥高台(ばちこうだい)」が最大の特色です。素地は堅く白茶色で、薄青みがかった半透明の白釉がかかります。胎土は細かく鉄分を含んでいるため赤みを呈することが多く、薄手で端正な作りになっています。


参考)http://verdure.tyanoyu.net/gokicyawan.html


呉器手の中でも「紅葉呉器」は胴の窯変が赤味を見せることからその名があり、呉器茶碗中の最上手とされています。その他に「錐呉器」は見込みが錐でえぐったように深く掘られ、高台の中にも尖った兜巾が見られるものです。


「大徳寺」という種類もあります。



参考)https://item.rakuten.co.jp/kyoto-denoyou/2308007/


呉器手と織田信長の茶道政治

織田信長は呉器茶碗を政治的な道具として活用しました。1580年、本願寺との和睦が成立した際、信長は顕如上人へ一文字呉器茶碗を贈呈しています。この贈呈の一週間後、信長は京都妙覚寺で茶会を催し、京都や堺の茶人17人を招待しました。


参考)茶道とは。何モノか。 その5「大坂 堺 織田信長と茶の湯政道…


信長は茶の湯を家臣団掌握の手段として政治的に活用し、名器と称される茶道具を領地や金銭に代わる恩賞として与えました。限りある国土の中で恩賞と領地加増の問題を解決する手段として、茶器は一国に値するほどの価値がありました。集めた名物を手柄のあった部下に与え、その茶器を使って茶会を開く権利も与えることで、部下のプライドをくすぐり信頼関係を築いたのです。


参考)血で血を洗う戦国時代。織田信長ら武将たちが、茶の湯にはまった…


戦国時代の武人にとって、茶の湯は共通の一般教養でありステータスシンボルでした。茶の湯の作法に通じ、茶道具の目利きができることは、富と権力を持つ一流の武人である証だったのです。茶室は社交の場、密談の場としても機能していました。


呉器手の撥高台の作り方

撥高台は外に向かって広がっていく形状の高台で、呉器手の最大の特徴です。


作陶の際は轆轤技術が重要になります。



参考)【公式】匠頭漆工 Shozu Shikko|otaku_vo…


高台削りの基本手順は以下の通りです。まず器を轆轤の中心に置き、中心合わせを行います。ずれている場合はポンポンと叩いて中心に合わせます。次に削る位置を決めるため、高台の外側と内側に目印の線を引きます。底の厚さを確認し、穴が開かないよう注意しながら削る範囲を設定します。

削り作業では、指で押さえながら
カンナを使って削っていきます。撥高台を作る場合は、高台の側面を外側に向かって斜めに削り、外に開いた形状にすることがポイントです。高台が太ければ安定し、細ければスタイリッシュになりますが、その細さや角度によって難易度が変わります。お椀と高台の継ぎ目が鋭角になればなるほど職人泣かせの難しさになります。


半泥子の技法では、高台削りで高台径の大きさを決めるのではなく、粘土を挽き上げると同時に高台の大きさを決めて高台の畳付脇は削らず、轆轤まかせにする方法もあります。


参考)『巨匠の高麗茶碗』‥‥炎芸術別冊 高麗茶碗: 黒田草臣ブログ…


呉器手の白釉と窯変の魅力

呉器手に施される釉薬は、薄青みがかった半透明の白釉が基本です。この白釉が焼成時の窯変によってさまざまな表情を見せることが、呉器手の大きな魅力となっています。


紅葉呉器の場合、胴の窯変が赤味の窯変を見せることが最大の特徴です。釉調がときに赤く、ときに青く、紅葉盛んな秋の山容を見るごとき様相から「紅葉」の名が付けられました。この華やかな窯変が紅葉呉器を呉器茶碗中の最上手とする理由です。


参考)紅葉呉器茶碗 もみじごきちゃわん


胎土に鉄分が含まれているため、焼成すると素地が赤みを呈します。この鉄分と白釉の組み合わせが、独特の色調と窯変を生み出す要因となっています。総体に淡紅色を呈する作品が多く、これが呉器手特有の温かみのある美しさを作り出すのです。


窯の温度や雰囲気、釉薬の厚みなどの条件によって窯変の出方は変わります。同じ作り方でも一つとして同じ表情にならないところが、陶芸の面白さです。


呉器手茶碗の歴史的価値

呉器手茶碗は李朝時代中期の16世紀に制作されたもので、歴史的に高い価値を持ちます。初代藩主鍋島勝茂が所用した「呉器茶碗 銘 嵯峨野」は現在も徴古館に収蔵されており、紅葉呉器の代表作として知られています。


江戸時代の日本では、呉器手茶碗は茶の湯の世界で珍重されました。17世紀後半の福井城跡からは並製品の呉器手碗が出土しており、山形県の江戸時代後期の遺跡からも呉器手の碗が複数見られます。


つまり上級品だけでなく並製品も。



参考)https://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/kaisetsusheets/41.pdf


呉器手は高麗茶碗の中でも端正な作りと美しい釉調で評価され、茶人たちに愛されてきました。高台が高く端正な呉器手碗は、大振りで丁寧な作行きのものと一般的な大きさの並製品に分かれます。どちらも当時の陶磁器流通を示す重要な資料となっています。


現代でも呉器写の茶碗が制作されており、例えば原清和作の紅葉呉器写茶碗や駕洛窯の高麗呉器写茶碗などが茶道具として販売されています。伝統的な技法と美意識が現代の陶芸家にも受け継がれているということですね。


鍋島報效会徴古館の呉器茶碗コレクション
呉器茶碗の代表作「嵯峨野」の詳細な解説と画像が見られます。呉器手の特徴を理解する際の参考資料として有用です。