フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートが愛した高級陶器ヘレンド

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃に愛されたハンガリーの名窯ヘレンド。ハプスブルク家御用達となった高級陶器の歴史やウィーンの薔薇など代表的なシリーズについて、どのような魅力があるのでしょうか?

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート

この記事のポイント
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ハプスブルク家の高級陶器

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃に愛されたヘレンドは、19世紀にハンガリーで誕生した世界的名窯です

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皇妃専用の絵柄

ウィーンの薔薇やエリザベートのバラなど、皇妃ゆかりの優雅な陶器シリーズが今も人気です

手作業による芸術性

創業から200年近く、すべて職人の手作業で製作される最高品質の磁器として評価されています

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの出会いと結婚

1853年8月、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は避暑地で運命的な出会いを果たしました。当初、皇帝の母ソフィーは長女ヘレーネとの結婚を計画していましたが、フランツ・ヨーゼフは一目で妹のエリザベートに心を奪われたのです。
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18歳で即位したフランツ・ヨーゼフと、バイエルン公女として奔放に育ったエリザベートは意外な組み合わせでした。23歳の皇帝と16歳のエリザベートは1854年4月24日に結婚し、広大な領土を持つオーストリア帝国は祝賀ムードに包まれました。エリザベートは「私は皇帝を愛しています。彼が皇帝でなかったら」と語ったと伝えられています。
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フランツ・ヨーゼフは、宮廷にほとんど居着くことがなく身勝手と評されるエリザベートの肖像画を書斎に掲げ、彼女の存在を常に身近に感じるようにしていました。二人の間には4人の子供が生まれましたが、エリザベートは因習的なウィーンの宮廷を嫌い、好んで山野連なるハンガリーに滞在しました。
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フランツ・ヨーゼフ1世とヘレンド陶器の深い関係

1826年、ハンガリーの首都ブダペストから120キロ離れたヘレンド村で、小さな窯が開かれました。当時のハンガリーはオーストリアのハプスブルク家の統治下にあり、経営者モリッツ・フィッシャーはイタリア・トリノの王に作品を献上した後、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の庇護を受けるようになりました。
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ヘレンドがハプスブルク領内で着実に名を高めていった背景には、皇帝フランツ・ヨーゼフの強力な支援がありました。1872年3月27日、フィシェルは皇室御用達の称号を獲得し、ウィーンで開かれた万国博覧会がヘレンド史始まって以来最高の名誉と評価をもたらしました。フランツ・ヨーゼフ一世は、多くの親戚や外交関係にある国々への贈答品としてヘレンドの製品を買い上げたのです。
宮廷食器博物館と王宮の皇帝アパート博物館には、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート妃が使用していた食器が展示されています。地元ウィーンのアウガルテン陶器だけでなく、ヘレンドの作品も皇室の食卓を飾りました。白と金の色遣いが美しいセットや、ハプスブルグ家の双頭の鷲が描かれた国賓用の食器など、豪華な陶磁器コレクションが残されています。
参考)フランツヨーゼフ皇帝とエリザベート妃の食器 : ザルツブログ…

 

エリザベート皇妃が愛したウィーンの薔薇シリーズ

白地に一輪のバラが描かれた「ウィーンの薔薇」は、本来ハプスブルク家で使用されていた食器シリーズです。1864年に旧ウィーン窯が閉鎖されると、ハプスブルク家門外不出だったウィーンの薔薇が、皇帝フランツ・ヨーゼフの命によりヘレンドに受け継がれることになりました。
参考)[ウィーンの薔薇・シンプル] スイートディッシュ

 

絶世の美女とも唄われたエリザベート皇妃は、もともとお転婆娘で乗馬好きでした。因習的なウィーンの宮廷を嫌い、好んで山野連なるハンガリーに滞在し、自然に囲まれた生活をこよなく愛したエリザベートにとって、ブダペスト郊外のゲデレ宮殿はお気に入りの滞在地でした。そんな華麗な生活の中で、ウィーンの薔薇などヘレンドの器が身近にあったことは言うまでもありません。
参考)ヘレンド商品 ウィーンの薔薇

 

しばしばハンガリーに滞在し、後にオーストリアとハンガリー王国の皇妃となった絶世の美女エリザベートも、ウィーンの薔薇をお気に入りのシリーズとして愛用していました。たおやかな一輪の薔薇が白磁に映える優雅なこのパターンは、もともとハプスブルク家の内遣い用の作品で、ハプスブルク帝国が終わる1918年まで、ハプスブルク家の門を出ることのない高貴なものでした。

フランツ・ヨーゼフ1世時代のヘレンド発展史

ヘレンドを世界的な名窯へと押し上げたのは、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会でした。美しい陶磁器をこよなく愛する英国のヴィクトリア女王がその場でディナーセットを注文し、そのうわさを聞きつけたヨーロッパの王侯貴族たちは、女王にならえとばかりにヘレンドに器を注文しました。
ヘレンドの名作「インドの華」に似た「アポニーグリーン」は、1860年代後半、ハンガリーのアポニー伯爵から特別なパーティーのために急遽製作を依頼されたシリーズです。あまりにも急な依頼だったため、ヘレンドはインドの華を模したパターンの食器を作り、それがアポニーグリーンと呼ばれるようになり、いまやヘレンドの人気定番シリーズとなっています。
パリ、ウィーン、ペテルブルクなどで開かれた万国博覧会にも出品し、次々と賞を獲得していったヘレンドの名声は揺るぎないものになりました。フランツ・ヨーゼフ1世の庇護のもと、ヘレンドは貴族や上流階級の名家を続々と顧客にしていったのです。

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート記念の陶器コレクション

2017年はオーストリア・ハンガリー二重帝国成立で、皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式が行われ王妃となった150年目の記念年でした。これを記念して、エリザベートが最も愛した花をモチーフにした記念作品が製作されました。
1996年には皇妃エリザベートのハンガリーのゲデレ宮殿の修復完成を記念して「エリザベートのバラ」シリーズが発表されました。可憐で愛らしいヘレンドの薔薇として、エリザベートの優美さを表現した作品となっています。
参考)[エリザベートの薔薇] ティーカップhref="https://herend.jp/SHOP/re_00724000.html" target="_blank">https://herend.jp/SHOP/re_00724000.htmlamp;ソーサー

 

エリザベートは今もハンガリーで深く慕われており、ブダペスト市内を流れるドナウに懸かる橋のひとつに彼女の名前が付けられています。そのエリザベート橋は毎日夕陽と共に美しいイルミネーションで飾られて夜景を彩りますが、これは2009年、日本とハンガリーの国交樹立140周年を記念して日本がハンガリーにプレゼントしたものです。
オーストリア・ハンガリー二重帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝一族のための「フランツ・ヨーゼフ」シリーズや、イギリスのウェールズ公への贈り物となった「ウェールズ文」など、皇室にまつわる陶器シリーズが数多く製作されました。これらの作品は、ブダペスト国立工芸美術館やハンガリー国立博物館などに所蔵され、開窯から今日に至るまでのヘレンド芸術を物語っています。
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現代に受け継がれるフランツ・ヨーゼフ1世時代の陶器製作技術

ヘレンドの最大の特徴は、創業から200年近く経った現在も、すべての製品が熟練した職人によって手作りされていることです。繊細な絵付けと鮮やかな色彩が特徴のシノワズリシリーズには、中国・清朝の宦史を模した人形が付いていて遊び心いっぱいです。
参考)https://www.le-noble.com/d/s/sm.php?ph=2amp;key_or=1amp;md=60amp;bo=amp;st=amp;et=amp;ng=amp;og=amp;ra=amp;zo=0amp;so=amp;ps=0amp;ma=0amp;set=0amp;nst=amp;o_all=1amp;uw_or=2amp;mk=022amp;sr=02515amp;l=1

 

アウガルテン磁器工房は1718年にウィーンで誕生し、1744年に女帝マリアテレジアによって皇室直属の磁器窯となりました。ハプスブルク皇室の楯型紋章を授かるという栄光を手にし、300年という長い年月を経て受け継がれてきた、職人たちの厳しいクラフトマンシップと誇りが守られています。
アウガルテンの白磁は、繊細かつ優雅なフォルム、しっとりと手に馴染む艶やかな生地、細部まで精巧を極めた細工などにより世界中で高い評価を得ています。製品はすべて職人による手作り及び手書きで、工房内で独自の粘土調合と熟成によって作り出される白磁は、優美かつ洗練されています。
参考)磁器工房アウガルテン - Wikipedia

 

ヘレンドは3度の窯焼きを行い、金彩は更に1工程追加され、金の定着がよくなるように油に溶かした金を使っています。他のブランドと比較すると金彩が落ちにくいという印象があり、フランツ・ヨーゼフ1世時代から受け継がれた高い品質基準が現代まで守られています。
ハプスブルク家の歴史において公式行事や饗宴は常に大きな意味を持っていました。シェーンブルン宮殿で行われたマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世とパルマのイザベラの結婚披露宴のテーブルには、ウィーン磁器で豪華に飾られました。磁器が初めてヨーロッパにもたらされたのは13世紀末で、イタリアの商人マルコ・ポーロが中国より持ち帰ったとされています。
参考)https://www.le-noble.com/event/luxury63/

 

ヘレンドはバロックやロココの荘厳さと華やかさを踏襲しながらも、東洋的な様式を巧みに取り入れた陶磁器として知られるようになりました。ヘレンドの工房は、19世紀半ばに経営を引き継いだモール・フィシェルにより飛躍的な発展をとげ、ヨーロッパ名窯のあらゆる様式を研究し、完璧な職人技による質の高い陶磁器生産をめざしました。今からおよそ190年前、ドイツのマイセンやフランスのセーヴルと並ぶヨーロッパの高級陶磁器が誕生し、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃によって世界にその名が広められたのです。
参考)https://www.le-noble.com/d/s/sm.php?mk=008