オーストリアのハプスブルク家は、ヨーロッパ随一の名門として陶磁器文化の発展に大きく貢献しました。特に女帝マリアテレジアは、1744年にウィーンのアウガルテン磁器工房を皇室直属の窯として認定し、ハプスブルク家の盾形紋章を商標として使用することを許可しました。この工房は1718年に誕生し、マイセンに次ぐ歴史を持つヨーロッパ屈指の磁器工房として知られています。
参考)マリー・アントワネット - Wikipedia
マリアテレジアの狩猟の館であるアウガルテン宮殿の完成を記念して、工房は食器セットを女帝に寄贈しました。この時に作られた「マリアテレジア」シリーズは、18世紀に流行したもみの木の色のみで彩色されたシンプルでありながら高貴なデザインが特徴で、現在もアウガルテンを代表する絵柄として受け継がれています。女帝の支援により、工房は経営的な苦境から救われ、ハプスブルク家の磁器文化の中心として発展を遂げました。
参考)https://wabbey.net/blogs/blog/porcelainmanufactoryaugarten
マリアテレジアは16人の子供を持つ母でもあり、その末娘がフランス王妃となるマリーアントワネットです。母から娘へと受け継がれた陶磁器への造詣は、政略結婚によってオーストリアとフランスの磁器文化を結びつける重要な役割を果たすことになります。女帝は娘がフランスへ嫁ぐ際、1777年に「日本」という名のセーヴル磁器の食器セットを新年の贈り物として受け取りました。この出来事は、母娘の絆と同時に、両国の同盟関係を磁器という形で象徴するものでした。
参考)https://www.ntv.co.jp/marie/sphone/works/detail01.html
宝塚歌劇団公式サイト - ハプスブルク家の政略結婚とマリアテレジアの外交戦略について詳しく解説
フランス王妃となったマリーアントワネットは、王立セーヴル磁器製作所に数々の食器セットを注文しました。セーヴル磁器は、華麗で精緻な絵画表現と繊細な発色を特徴とし、当時のヨーロッパで陶磁器の最高峰とされていました。王妃は1781年初めに、バラと矢車菊で装飾された比較的簡素なデザート用の食器や、300点近くから成る大規模な食器セットを製作させました。
参考)https://www.ntv.co.jp/marie/sphone/works/detail08.html
特に有名なのが「豪華な色彩と金彩」の食器セットです。1784年1月、マリーアントワネットは一層豪奢な食器セットを所望しましたが、当時パリを訪問中だったスウェーデン国王グスタフ3世への贈り物とされました。そのためセーヴル磁器製作所は同じデザインの食器セットを再び製作し、1784年8月26日に王妃のもとへ届けられました。このセットは真珠や翡翠、ルビーを模した豪華な装飾が施され、硬質磁器と軟質磁器の両方を用いた最高級品でした。
参考)文化と暮らしと渋アート。—磁器を愛した“妃たち”と今をつなぐ…
矢車菊のセットはヴェルサイユ宮殿の庭にあるトリアノン宮向けに作られ、1782年6月6日に帝政ロシア皇太子夫妻への夜食で初めて使用されました。また、王妃のために製作された特別な品として「乳房のボウル」があります。これは王妃が酪農場で遊ぶ際にミルクを飲むために作られたとされ、乳房型の器が雄山羊の頭の上に乗り、足の部分には山羊の爪まで付いた精巧な作りでした。本物の肌のような色付けと高度な装飾から、当時のセーヴルの技術の高さがうかがえる逸品です。
参考)https://wabbey.net/blogs/blog/exhibitionofsevres
日本テレビ - マリーアントワネット展 第8章 セーヴル磁器の食器セット詳細情報
陶磁器は単なる食器ではなく、18世紀ヨーロッパにおいて重要な外交・政治の道具でした。ルイ16世はセーヴル磁器を外交的な贈り物に活用し、同盟関係の強化に役立てました。特にオーストリアとフランスの同盟関係を象徴する出来事として、ルイ15世がマリアテレジアに約200ピースの食器セット「花輪飾り」を贈ったことが挙げられます。
参考)第7回展 展示内容|展示内容|Louvre - DNP Mu…
当時のヨーロッパではプロイセンとオーストリアが対立しており、マリアテレジアは300年も敵対していたフランスと手を組みました。セーヴル磁器は互いの同盟関係をより強くするために贈られ、これがのちにマリーアントワネットの誕生につながる政略結婚の下地となりました。女帝は娘たちをフランス王家であり各地の小国にも散らばっているブルボン家と縁づかせ、外交革命と呼ばれるヨーロッパの政治情勢の大転換を実現させました。
参考)戦争回避にがんばった王妃マリー・アントワネット。マリア・テレ…
バイエルン継承戦争の際、マリアテレジアは娘マリーアントワネットに対し、フランス国王へのとりなしを懇願する書簡を送っています。この往復書簡からは、政略結婚の効果が求められた緊迫した状況がうかがえます。磁器という美術品を通じて育まれた文化的な絆が、実際の政治においても重要な役割を果たしていたことが分かります。ハプスブルク家にとって陶磁器は、美的価値だけでなく、国家の存続に関わる戦略的資産だったのです。
参考)華麗なるハプスブルク家の歴史
マリアテレジアとマリーアントワネットの往復書簡 - バイエルン継承戦争における母娘の役割
レーヌ窯(Manufacuture de la Reine)は「王妃の窯」「幻の窯」と呼ばれ、フランスのパリで1776年から1810年のわずか30数年だけ存在した特別な陶磁器工房です。マリーアントワネットが擁護したことから王妃の窯という名前が付けられ、王妃専属の工房として貴重な作品を生み出しました。アンティーク市場でも目にすることが稀な、歴史的価値の高いコレクションとして知られています。
参考)「マリー・アントワネットのお皿」を再現!日本の匠が生み出した…
2017年、パリ本店のミュージアムストアでアンティークのドレッサーを修復する際、その中から思わぬコレクションが発見されました。これはレーヌ窯の最後の作品で、1810年の閉窯の際にピエール・ディアズという人物に渡されたものです。当時は王室ゆかりの品を所有するだけでも罪とされたため、これらのコレクションは箱に入れることもなくぞんざいに地下深くに置かれたままとなっていました。200年以上もの間、忘れ去られていた王妃の陶磁器が発見されたことは、陶磁器史において極めて重要な出来事でした。
参考)マリーアントワネットゆかりの窯のDNAを受け継ぐ 世界でこ…
この歴史的な陶磁器を再現する目的で、2017年に「王妃の工房フェニックスプロジェクト」が始動しました。日本の陶磁器メーカー・ノリタケと輸入貿易商社ノーブルトレーダースがタッグを組み、2年以上の歳月をかけて「オリジナル ニナス マリー・アントワネット」のテーブルウェアシリーズを完成させました。このシリーズでは、修復が不可能だった欠片をパウダー状に粉砕し、特殊な器具を使ってひとつひとつ手作業で半球状の盛上を施す「ノリタケの半球盛」という技法で埋め込んでいます。オリジナルのDNAを受け継ぐ唯一無二のテーブルウェアとして、世界中のコレクターから注目を集めています。
参考)https://www.le-noble.com/event/marie/
王妃の工房フェニックスプロジェクト - レーヌ窯のDNAを受け継ぐ日本の技術
ハプスブルク家とマリーアントワネットが育んだ陶磁器文化は、現代のブランド食器産業に大きな影響を与えています。アウガルテンは現在も皇室の盾形紋章を商標として使用し続け、マリアテレジアシリーズをはじめとする伝統的なデザインが世界中で愛されています。特筆すべきは、皇太子妃雅子様が嫁入り道具にされたことでも有名な「マリアテレジア」が、日本のためだけに開発された日本限定シリーズであることです。
ハンガリーのヘレンド磁器もハプスブルク家との深い関係から生まれました。ハンガリーは約400年にわたってハプスブルク家の支配下にあり、18世紀にマリアテレジアの夫フランツ・ロートリンゲンがハンガリーの所領にファエンツァ工房を設立しました。1844年にカーロイ・エステルハージ伯爵夫人から18世紀マイセン窯製の食器セットの補充を依頼されたヘレンドは、この課題を見事に解決し、バッチャーニ家、パールフィ家など名門貴族からの注文が殺到しました。ヨーロッパの名窯の典型的な作品に精通していったヘレンドは、ハプスブルク家の公式行事や饗宴で使用される磁器を製作し、その名声を確立しました。
参考)ポーセリン ギャラリー メット|ヘレンドの歴史|輸入ブランド
セーヴル磁器は国立セーヴル磁器製作所として現在も操業を続け、伝統的な技法を守りながら新しいデザインにも挑戦しています。マリーアントワネットが愛した「豪華な色彩と金彩」のデザインは、現代のコレクターにとって最高級品として取引されています。ベルナルドなど他の名窯も、歴史的なデザインを復刻し、ランブイエの乳製品製造所など王妃ゆかりのシリーズを展開しています。ハプスブルク家が築いた陶磁器文化の伝統は、職人技術の継承と芸術性の追求という形で、21世紀の今日も脈々と受け継がれているのです。
参考)【楽天市場】マリーアントワネット(食器・カトラリー・グラス|…