水酸化鉄(III)コロイドは、沸騰水に塩化鉄(III)の飽和水溶液を加えることで生成される赤褐色の疎水コロイド溶液です。この反応では、高温により加水分解反応が急激に進行し、FeCl₃ + 3H₂O → Fe(OH)₃ + 3HClという反応が起こります。生成した水酸化鉄コロイドの表面には水素イオンH⁺や鉄(III)イオンFe³⁺が吸着しているため、粒子全体が正に帯電した「正コロイド」となります。
参考)https://sekatsu-kagaku.sub.jp/colloidal-property.htm
疎水コロイドは水との親和性が低く、金属や金属化合物が該当します。水酸化鉄コロイドは典型的な疎水コロイドであり、粒子が電気を帯びて互いに反発し合うことで、水溶液中に分散した状態を保っています。この電気的反発力が、コロイド粒子が凝集して沈殿するのを防ぐ重要な役割を果たしています。
参考)コロイド溶液とは(粒子・浸透圧)
コロイド粒子の大きさは直径1nm~数百nm程度であり、肉眼では確認できませんが、強い光束を当てるとチンダル現象により光の通路が明るく輝いて見えます。この性質により、通常の溶液とコロイド溶液を区別することができます。
参考)科学部 コロイド溶液の性質 href="https://toyohs.ed.jp/blog/bukatsu-culture/science/20240528y/" target="_blank">https://toyohs.ed.jp/blog/bukatsu-culture/science/20240528y/amp;#8211; 学校法人船橋学園…
凝析とは、疎水コロイド溶液に少量の電解質を加えることでコロイド粒子を析出させる現象です。水酸化鉄コロイドのような疎水コロイドは、電解質を少量添加するだけで容易に凝析を起こします。これは、コロイド粒子が電気を帯びており、電解質が電離して生じたイオンがコロイド粒子の表面電荷を打ち消すためです。
参考)コロイド粒子の析出法「凝析」と「塩析」の違いを徹底解説!
電気二重層は、帯電したコロイド粒子表面に反対符号のイオン(対イオン)が静電引力により集まって形成される層です。粒子表面近傍では対イオンの濃度が高く、粒子から離れるにつれて濃度が低下していく「拡散電気二重層」を形成しています。この電気二重層により、コロイド粒子は静電反発力を持ち、ファン・デル・ワールス力の働く区域に接近できないため凝析を引き起こしません。
参考)1.ゼータ電位とは? 【入門】 ゼータ電位 |大塚電子
しかし、電解質を添加すると、電気二重層が圧縮され、コロイド粒子間の静電反発力が減少します。その結果、ブラウン運動によりコロイド粒子がより接近し、ファン・デル・ワールス力の影響を受けて凝集・沈殿します。この理論はDLVO理論(デリャーギン・ランダウ・フェルウェー・オーバービーク理論)として体系化されており、疎水コロイドの分散・凝集メカニズムを説明しています。
参考)コロイドと界面現象 href="http://water-solutions.jp/tech_basic-2/colloid_coagulation/" target="_blank">http://water-solutions.jp/tech_basic-2/colloid_coagulation/amp;#8211; 水浄化フォーラム −科学…
電気二重層の境界面である「すべり面」における電位は「ゼータ電位」と呼ばれ、コロイドの安定性を評価する重要な指標となります。ゼータ電位が高いほど、コロイド粒子間の静電反発力が強く、分散系は安定します。
参考)カーボンナノチューブを用いた複合めっき
凝析の効果は、コロイド粒子の電荷と反対符号で価数の大きいイオンほど強力です。水酸化鉄(III)コロイドは正コロイドであるため、陰イオンの影響を強く受けます。実験では、1.0 mol/Lの塩化ナトリウムNaCl水溶液を20 mL加えても凝析が起こらなかったのに対し、0.50 mol/Lの硫酸ナトリウムNa₂SO₄水溶液を1 mL加えただけで凝析が起こりました。
この差は、塩化ナトリウムから生じる塩化物イオンCl⁻が一価であるのに対し、硫酸ナトリウムから生じる硫酸イオンSO₄²⁻が二価であることに起因します。正コロイドを凝析させる場合、二価の陰イオンは一価の陰イオンの数十倍、三価の陰イオンは一価の陰イオンの数百倍の凝析力を持ちます。
参考)水酸化鉄(Ⅲ)水溶液に硫酸ナトリウム水溶液を加えると沈殿する…
この関係は「シュルツ・ハーディの法則」として知られており、凝析価(凝析を起こすのに必要な電解質濃度)はイオン価数の6乗に反比例します。つまり、一価イオンと二価イオンでは、2⁶ = 64倍も凝析の起こりやすさが異なることになります。この法則は経験則ですが、DLVO理論により理論的にも支持されています。
参考)凝析 - okke
少量の電解質添加でも凝析が起こる理由は、疎水コロイドが水分子による安定化を受けず、コロイド同士の電気的反発のみで分散しているためです。電解質が電離して生じたイオンが表面電荷を打ち消すと、即座に反発力を失い、大きな塊となって沈殿します。
水酸化鉄コロイド溶液を調製した直後は、コロイド粒子以外に不純物として水素イオンH⁺や塩化物イオンCl⁻が含まれています。これらの不純物を除去するためには「透析」という操作が行われます。透析とは、セロハンなどの半透膜を用いてコロイド溶液に含まれるイオンなどを除去し、コロイド溶液を精製する方法です。
透析の操作では、調製した水酸化鉄コロイド溶液をセロハン膜に包んで純水中に浸します。セロハン膜は半透膜であり、小さなイオンは通過できますが、大きなコロイド粒子は通過できません。そのため、水素イオンや塩化物イオンはセロハン膜を通過して水中へ拡散していきますが、水酸化鉄コロイド粒子は膜内に留まります。
参考)https://www.naragakuen.ed.jp/wp-content/uploads/2022/12/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E5%AE%9F%E9%A8%93.pdf
透析後、不純物イオンが除去されたかどうかは、BTB溶液や硝酸銀水溶液を加えることで確認できます。水素イオンの有無はBTB溶液の色変化で、塩化物イオンの有無は硝酸銀水溶液との反応による白色沈殿(塩化銀AgCl)の生成で判定します。このように透析を行うことで、より純度の高い水酸化鉄コロイド溶液を得ることができます。
透析は凝析や塩析とは全く異なる現象であり、混同しないよう注意が必要です。医療分野では、腎臓が十分に機能しない患者に対して人工透析が行われており、コロイドである血球は血液中に残したまま、尿素などの不純物を血液中から取り除いています。
凝析の原理は、浄水処理や汚水処理において広く応用されています。浄水場では硫酸アルミニウムやポリ塩化アルミニウムを添加しますが、これは三価のアルミニウムイオンAl³⁺が土の微粒子などの負コロイドを効率的に凝析させる性質を持つためです。電解質による凝析処理は、河川水に含まれる懸濁物質や有機物を効率的に除去する重要な手段となっています。
参考)汚濁物質に合わせた処理方法の使い分け href="https://kcr.kurita.co.jp/solutions/water-school/011.html" target="_blank">https://kcr.kurita.co.jp/solutions/water-school/011.htmlamp;#8211; 水処理…
水酸化鉄凝集沈殿法は、重金属分やヒ素などの無機系有害物質を濃厚に含有する排水処理に利用されています。この方法では、排水中に第二鉄塩水溶液を加えた後、アルカリでpH7.0以上に中和して水酸化鉄の沈殿を生成させます。正に帯電した水酸化鉄コロイド表面に、負に帯電した有機物や無機系有害物質が電気的に引き寄せられて吸着し、凝集沈殿します。
参考)第4章 水の特性を生かした様々な活用 1 新しい水処理:文部…
自然界では、河口に形成される三角州が凝析の典型例です。土などのコロイド粒子を含んだ川の水が、電解質を大量に含む海水と混ざると凝析が起こり、土が堆積します。これが長年続くことで広大な平地を持つ三角州が形成されます。このように凝析現象は、地形の形成にも関わる重要な自然現象です。
電解と磁気分離を組み合わせた処理技術も開発されています。電解槽で鉄電極を用いた電気分解により水溶液中に鉄イオンを供給すると、すぐさま水酸化鉄コロイドが生成され、マイナスに帯電した有機物などの不純物が水酸化鉄コロイド表面に吸着します。これらの粒子を磁気フィルターで捕集することで、効率的な水処理が可能となります。
水酸化鉄コロイドの凝析現象は、環境保全技術の基盤として現代社会を支える重要な化学プロセスです。電気二重層の理論的理解と実用技術の進展により、より効率的で環境負荷の少ない水処理システムの開発が進められています。
参考)コロイドと界面現象
水酸化鉄(III)コロイドの凝析実験の詳細な手順と結果について詳しく解説されています
凝析と塩析の違い、それぞれのメカニズムについて分かりやすく説明されています
水酸化鉄(III)コロイドのゾル-ゲル転移とチキソトロピーの教材化に関する研究論文です