連房式登窯とは美濃焼・唐津焼の伝統技術の焼成方法

連房式登窯は陶器製作に欠かせない伝統的な窯構造ですが、その構造や歴史をご存知でしょうか。ブランド陶器の品質を支える焼成技術について詳しく解説します。

連房式登窯とは伝統陶器の焼成技術

連房式登窯の3つの特徴
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傾斜を利用した階段状の構造

丘陵や山の斜面に複数の焼成室を連続して築き、熱が効率的に上昇する仕組み

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高温焼成を実現する熱効率

1300度近い高温を達成し、各焼成室で均一な温度管理が可能

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薪の灰が生む独特の美

炎と灰が作品に降りかかり、偶然生まれる景色が唯一無二の風合いを創出

連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)とは、焼成室(房)を斜面に複数連ねた窯の総称で、一般的に狭義の「登り窯」と呼ばれています。丘陵の傾斜面を階段状に整地し、焼成室を連続して構築した地上式の窯で、日本の伝統的な陶磁器生産を支えてきた重要な設備です。
参考)連房式登窯 - Wikipedia

 

焼成室は房(ふさ)や袋(ふくろ)とも呼ばれ、各室を繋ぐ狭間穴(さまあな)を通じて炎が次々と登り、窯全体を高温に保つ構造になっています。横から見るとかまぼこが連続したようなイモムシ状に見え、最上部には煙道と煙突が続く独特な形状が特徴です。
日本では16世紀末に朝鮮半島の陶工によって階段状割竹式登窯(割竹形連房式登窯)が北九州佐賀県の岸岳地区に造られ、最古級の唐津焼が焼かれたのが始まりとされています。この技術は17世紀初頭に美濃地方へ伝わり、加藤四郎右衛門景延が元屋敷窯に持ち込んだことで、美濃での連房式登窯による陶磁器生産が開始されました。
参考)連房式登窯とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

 

連房式登窯の構造と焼成室の仕組み

連房式登窯の内部構造は、いくつかの焼成室に分かれており、最下部が「大口(おおぐち)」と呼ばれる燃焼室(窯口)です。傾斜に沿って上に複数の焼成室が続き、各焼成室には薪を投入するための「小口(こぐち)」と呼ばれる小さな穴が設けられています。
参考)登り窯鑑賞ガイド|kunitachi_kenbo-Potte…

 

焼成室同士を繋ぐ壁の下部には、分焔柱(ぶんえんちゅう)と呼ばれる細い柱がいくつも建てられており、この構造が特徴的です。麓の焚口で火を起こすと熱が分焔柱の間の隙間からどんどん上部へ登っていき、窯内に均等に拡散される仕組みになっています。
参考)窯の発展の歴史 04|みずなみ焼・美濃焼陶器製作の山喜製陶株…

 

初期の割竹形連房式登窯は、焼成室が竹を割ったような半円形だったことから特に「割竹形」と呼ばれ、側壁が直線的で一基の窯の内部が複数の焼成室に分割されていました。通焔孔は横サマや斜めサマと呼ばれる真横や斜めに高温ガスを通す仕組みで、焼成室同士の段差は少ない設計でした。
窯の規模は時代や産地によって異なりますが、岸岳地区の初期の窯は全長10~20メートル前後で焼成室は10室程度と小規模でした。一方、美濃の元屋敷窯は全長約24.7メートル、焼成室14室を持つ長大な窯で、織部製品の生産に使用されていました。
参考)国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」|土岐市公式ウェブサイト

 

連房式登窯の歴史と日本伝来の経緯

連房式登窯は10世紀頃に中国で生まれ、宋代に発達した焼成技術で、16世紀末頃に九州北部に伝わりました。日本への伝来は、文禄・慶長の役(1592~1598年)の時期と関連しており、朝鮮半島から連れてこられた陶工たちによって「登り窯」「蹴ろくろ」「釉薬」といった技術がもたらされました。
参考)http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/jimu/publications/kidachi/kyoyaki/11/kidachi_kyoyaki-11.pdf

 

唐津焼の発祥地である佐賀県北波多村岸岳地区では、松浦党の盟主である波多氏が朝鮮半島から陶工を呼んで1590年代に開窯したとされています。この技術革新により、唐津焼は大きく発展し、茶の湯の世界では「一楽二萩三唐津」と称されるほど茶人に愛される茶陶としての地位を確立しました。
参考)備前焼と似ている?唐津焼の歴史や特徴

 

17世紀初頭には加藤四郎右衛門景延がこの割竹形連房式登窯による陶器製法を学び、美濃の元屋敷窯(現土岐市泉町久尻)に持ち込みました。これが美濃での連房式登窯による陶磁器生産の始まりで、織部窯として知られる元屋敷窯では黒織部、青織部、志野織部などの織部製品が生産されました。
その後、各地に伝播すると共に各窯場で独自に改良され、日本の陶磁器文化の発展を支える重要な基盤技術となっていきました。江戸時代初期(1600年)以後は九州備前唐津より尾張・美濃地方に伝わり、その後全国各地に広がりました。
参考)2011年 登り窯の様子

 

美濃地域最古の連房式登窯について詳しく知りたい方は、土岐市の元屋敷陶器窯跡の公式ページをご覧ください

連房式登窯の焼成方法と温度管理技術

連房式登窯の焼成は、熟練した職人の技術と勘によって行われる繊細な作業です。焼成温度は1300度近くに達し、焼成時間は通常約60時間続きます。温度管理には主に薪を使用し、一番下にある大口と各焼成室に設けられた小口を使い分けて、焼成の段階ごとに薪を投入する方法で温度を制御します。
参考)焼き物を科学する⑥:窯の発展が焼き物を進化させる(市川しょう…

 

焼成プロセスは「焙り(あぶり)」と呼ばれる予備段階から始まり、この工程だけで丸2昼夜続きます。その後、本焙り(ほんあぶり)に移行すると、引き続き大口から薪を投入しながら、ゆっくりと窯の温度を上げていき、目標とする焼成温度1300度に達するまで更に約1日かかります。
一番下の部屋から火を入れ、その熱が上の部屋へと効率的に伝わっていく仕組みで、下の部屋が十分に熱せられたら次の部屋に薪をくべて温度を上げていくという工程を繰り返します。この連鎖的な焼成方法により、大量の作品を一度に焼くことが可能です。
燃料は火力の強い山の松が最適とされていますが、現在では入手が困難なためヒノキや杉等の薪を使用しています。薪の灰は1200度以上の高温になると美しいガラス状の釉薬に変化し、灰かぶりや焼締等、登り窯独特の焼き物を生み出します。
窯内を通る炎や灰の影響で偶然に生まれる模様や色が特徴で、同じ窯で焼いたとしても一つとして同じ作品はできないと言われています。この予測不可能性が登り窯の魅力であり、作品に独特の景色をもたらす要因となっています。

連房式登窯が陶器生産に与えたメリット

連房式登窯の最大のメリットは、従来の穴窯や窖窯(あながま)と比較して熱効率が大幅に向上したことです。地上に窯を設置する構造のため、地下や半地下の窖窯が抱えていた湿気による温度低下の問題を克服し、燃料消費を抑えながら高温を維持できるようになりました。
参考)【陶芸入門】焼成方法の移り変わり~古墳時代から現代まで

 

窯内を複数の焼成室に分割し、それぞれの焼成室ごとに効率的な焼成を行うことで、効率的な炎の循環をねらった窯構造が実現されました。この構造により窯内前後、上下の温度差を小さくすることができ、燃費も向上したと言われています。
参考)https://www.kyoto-arc.or.jp/blog/wp-content/uploads/2021/05/20210512.pdf

 

連房式という構造では、焼成室同士を繋ぐ狭間穴を通じて炎が次々と登り、窯全体を高温に保つことができます。地上にあるため湿気の影響を受けにくく、量産に適した窯として発展しました。
波佐見焼の例では、江戸時代から連房式登窯で大衆向け陶磁器を生産してきた歴史があり、安くて丈夫で個体差が少ないという特徴を活かして大量生産を実現しました。この効率性により、新しい製品を作って多くの人々に使ってもらいたいというニーズに適応することができました。
参考)モダンな食器が盛りだくさん、波佐見焼のすべて

 

廃熱の再利用も重要な要素で、窯からの廃熱を次窯内製品の加熱に利用する方法は連房式登窯ですでに実施されており、19世紀末には燃料節約の方法として確立していました。
参考)https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/yakimononokama.html

 

メリット 内容 従来の窯との比較
🔥 熱効率の向上 地上式で湿気の影響を受けにくく、高温維持が容易 窖窯の燃料消費量と比べて大幅削減
📦 大量生産能力 複数の焼成室で一度に多数の作品を焼成可能 単室の穴窯や大窯より生産量が増加
♻️ 廃熱再利用 下の部屋の熱が上の部屋へ効率的に伝達 エネルギー効率が飛躍的に改善
🎯 温度制御 各焼成室で独立した温度管理が実現 より精密な焼成コントロールが可能

連房式登窯を活かした現代のブランド陶器産地

現代においても連房式登窯は、伝統的な陶器産地で大切に保存・活用されています。小松市の登窯展示館には八幡における最後の登窯として昭和40年頃まで実際に使用されていた連房式登窯が保存されており、陶芸文化を伝える貴重な資料となっています。
参考)登窯展示館/小松市ホームページ

 

信楽焼の産地では、400年の歴史を持つ窯元「明山窯」が運営する「Ogama」で、火袋と焼成室9室からなる連房式登窯が保存されており、ギャラリーや陶芸教室とともに信楽の暮らしや文化を体験できる施設となっています。この登り窯は1995年頃まで一部分が実際に使用されていました。
参考)焼き物のまちを体感、信楽焼・明山窯のギャラリー「Ogama」…

 

三川内焼の産地では、現代でも共同窯として連房式登窯が使用されており、窯元が協働で窯焚きを行っています。薪の準備、窯詰め、窯焚き、窯出しは全員が参加して進められ、手間と時間はかかりますが、仲間たちと協力して行う伝統的な作業が今も続いています。
京都の五条坂では、2018年に6基の登り窯が埋蔵文化財として指定され、歴史的価値が認められています。元藤平陶芸登り窯は小規模遺跡として遺跡地図に登録されており、市内に現存する中で最大級の9連房式登窯が保存されています。
参考)https://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000308/308500/boshuyoukou.pdf

 

しかし、工業化の進展に伴い、窯の燃料には効率の良い電気や天然ガスが使用されるようになり、管理に手間がかかる登り窯から管理が簡単で燃料コストの安いガス窯への移行が進みました。昭和46年(1971年)には京都府大気汚染防止条例が施行され、煙害問題から登り窯の使用が制限されるようになりました。
参考)https://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2019-13.pdf

 

現代では、薪を燃料にした窯ならではの変化を見せるために、敢えて登り窯を使用する作家や窯元が存在します。共同窯では、他の作家がどういうものを作っているのかを見て切磋琢磨できる環境があり、これが産地の技術向上に寄与してきました。
伝統的な焼成技術は今もなお多くの愛陶家や作陶家によって守り続けられており、日本陶芸固有の技術として次世代へ継承されています。登り窯から生まれる作品の独特な風合いは、現代のブランド陶器にも受け継がれ、手仕事の価値を伝える重要な要素となっています。
信楽焼の明山窯「Ogama」で連房式登窯を実際に見学できる施設の詳細はこちら