ヒ酸と亜ヒ酸は、同じヒ素元素を含みながらも酸化数が異なる化合物です。ヒ酸は5価のヒ素化合物(ヒ素(V))であり、化学式H₃AsO₄で表され、リン酸と類似した構造を持ちます。一方、亜ヒ酸は3価のヒ素化合物(ヒ素(III))で、化学式H₃AsO₃またはその無水物である三酸化二ヒ素(As₂O₃)として存在します。この酸化数の違いが、両者の化学的性質や毒性に大きな影響を与えます。
参考)亜ヒ酸 - Wikipedia
3価の亜ヒ酸は5価のヒ酸よりも還元型であり、アルカリ性水溶液では空気により容易に酸化されてヒ酸に変化する性質があります。生体内では、5価のヒ酸はプリンヌクレオシドホスホリラーゼによって3価のヒ素(III)へ変換されます。この還元過程は生体内活性化のステップとして機能し、より毒性の高い形態へと変化することを意味します。
参考)亜ヒ酸(あひさん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
ヒ素化合物の毒性は一般に「3価無機態(亜ヒ酸)>5価無機態(ヒ酸)>有機態」という順序で強さが異なります。特に3価の亜ヒ酸塩が最も強い毒性を示すことが知られています。ヒ酸の毒性も極めて強く、ウサギでのLD₅₀(半数致死量)は体重1kg当たり6mgですが、それでも亜ヒ酸には劣ります。
参考)ヒ酸 - Wikipedia
亜ヒ酸のヒトに対する致死量は200~300mgとされており、体重1kgあたり1mg(1000μg)以上の無機ヒ素を摂取すると、発熱や下痢、腹痛、激しい嘔吐など急性の影響が現れ、24時間以内の死亡にもつながる可能性があります。亜ヒ酸は、ほぼ無味で無臭のため、昔から毒殺のために使用されてきた歴史があり、1998年の和歌山毒物カレー事件では亜ヒ酸が混入され4人が死亡するという悲惨な事件が発生しています。
参考)https://www.seikankensa.co.jp/eiseinews/documents/39-1703eiseinews.pdf
亜ヒ酸が高い毒性を示す理由は、リポ酸を補酵素として用いる代謝酵素を阻害するためです。ピルビン酸脱水素酵素やαケトグルタル酸脱水素酵素などが主に阻害され、その結果ピルビン酸や乳酸などが蓄積します。特に脳への影響が大きく、神経学的症状が現れる場合もあります。
参考)ヒ素中毒 - Wikipedia
ヒ素は自然界において様々な鉱物として産出されます。最も重要な資源鉱物は硫ヒ鉄鉱(arsenopyrite)で、化学組成はFeAsSであり、純粋なものは鉄34.3%、ヒ素46%、硫黄19.7%の割合を含みます。硫ヒ鉄鉱は銀灰色で鈍い金属光沢があり、モース硬度は5.5~6、比重は5.9~6.2と重い鉱物です。
参考)硫砒鉄鉱 - Wikipedia
その他のヒ素鉱物として、鶏冠石(realgar、四硫化四ヒ素As₄S₄)は単斜晶系の硫化鉱物で、比重3.5、モース硬度1.5~2と比較的柔らかい特徴があります。また、スコロド石(FeAsO₄·2H₂O)はヒ酸塩鉱物で、モース硬度3.5~4、緑色や茶色、青緑色など様々な色を呈します。
参考)鶏冠石 - Wikipedia
自然砒(native arsenic)は単体のヒ素として産出され、金平糖状やぶどう状の形態をなし、表面は酸化していますが内部は銀灰色で金属光沢があります。日本では福井県赤谷鉱山や岡山県高梁市備中町山宝鉱山などで硫ヒ鉄鉱が産出されています。
参考)http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/geology/mineral/miner/As.html
生体内に取り込まれた無機ヒ素やその化合物は、メチル化のプロセスによって徐々に代謝されます。このメチル化は還元反応と酸化的メチル化反応によって起こり、5価のヒ素は3価のヒ素へ還元され、引き続いてメチル基の付加が行われます。哺乳類では、メチル化は肝臓でCyt19/AS3MTヒ素(III)メチルトランスフェラーゼによって行われ、主要な代謝産物は3価のジメチル亜アルシン酸と5価のジメチルアルシン酸です。
参考)ヒ素の生化学 - Wikipedia
ヒ素(III)は、アクアグリセロポリン型のアクアポリン7、9を通って細胞内へ進入し、ヒ素(V)化合物はリン酸トランスポーターを利用して細胞内へ進入します。興味深いことに、5価ヒ素代謝物は類似した構造と性質のために、多くの代謝経路でリン酸基と置き換わることができ、これが毒性発現の一因となります。
ヒトでは、ヒ素化合物の主要な排泄経路は尿であり、無機ヒ素の生物学的半減期は約4日で、ヒ酸のほうが亜ヒ酸よりも若干短い傾向があります。無機ヒ素に曝露したヒトの尿中に排泄される主要な代謝産物は、モノメチル化またはジメチル化されたヒ酸であり、代謝されなかった無機ヒ素も多少存在します。動物実験では、有機ヒ素化合物である3価ヒ素化合物-グルタチオン抱合体が胆汁中に排泄されることも明らかになっています。
参考)ヒ素化合物の化学形態と生体影響(2015年度 34巻3号)|…
無機ヒ素による急性中毒では、口腔、食道などの粘膜刺激の後、食道に痛みが現れ、数分から数時間後には嘔吐、腹痛、下痢などの症状が見られます。重篤な場合には、激しい嘔吐・下痢、筋けいれん、心筋障害、腎障害などの症状が現れ、早いと24時間以内に死亡する可能性があります。三酸化砒素への曝露では、血液、心血管系、神経系、肝臓に影響を与え、ばく露すると死に至ることがあります。
参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/0055.html
より少ない量を長期に恒常的に摂取する場合には、皮膚疾患やがんの発生などの慢性影響が起きます。成人が毎日700~1400μg程度のヒ素を摂ることにより、色素沈着や色素脱失、手のひらの角化症などがみられ、皮膚がんや膀胱がん、肺がんも発生することが報告されています。
参考)第8回 無機ヒ素の健康影響は?
慢性ヒ素中毒は、ヒ素侵入後数年~十数年して発生し、症状として皮膚の色素沈着(点状またはびまん性)、白斑(点状または雨だれ状)、盛り上がった硬化(角化症)、ボーエン病、皮膚癌(基底細胞癌、有棘細胞癌)、肺癌、腎臓癌、膀胱癌、壊疽などが発生します。微量であっても長期間摂取すると、角化症などの皮膚疾患や発がん、および代謝疾患、神経疾患、免疫抑制など、慢性ヒ素中毒による健康被害をもたらすことが知られています。
参考)環境中のヒ素と毒性|環境儀 No.59|国立環境研究所
鉱物愛好家や鉱石コレクターにとって、ヒ素を含む鉱物の取り扱いには特別な注意が必要です。亜ヒ酸や三酸化二ヒ素は除草剤、殺虫剤、殺鼠剤などに使われてきた歴史があり、毒性が強いため取扱いには十分な注意を要します。日本では、ヒ酸およびヒ酸塩は医薬用外毒物に指定されています。
硫ヒ鉄鉱や鶏冠石などのヒ素鉱物を扱う際は、粉塵の吸入を避けることが重要です。鉱物を加工したり破砕したりする作業では、ヒ素を含む微粒子が空気中に舞う可能性があり、これを吸入すると急性中毒のリスクが高まります。また、ヒ素化合物は皮膚からも吸収される可能性があるため、素手での取り扱いは避け、手袋を着用することが推奨されます。
鉱物標本の保管においても配慮が必要で、密閉できる容器に入れ、子供やペットの手の届かない場所に保管すべきです。特に鶏冠石は光に当たると徐々に分解し、粉末状になる性質があるため、暗所での保管が望ましいとされます。ヒ素鉱物を扱った後は、必ず手を洗浄し、食事をする前には特に注意を払う必要があります。
日本の地質的特徴として、日本列島の地殻上部でのヒ素全含有量は6.5~7.1mg/kgであり、主に楯状地からなる大陸地殻に比べて2~3倍高いという特徴があります。このため、日本国内で産出される鉱物にはヒ素を含むものが比較的多く存在する可能性があり、鉱物採集を趣味とする方は、採集地や鉱物の種類に応じた適切な知識と対策を持つことが重要です。
参考)https://www.oyo.co.jp/pdf/technology_annual/2009_03.pdf
<参考リンク>
ヒ素の毒性と代謝について詳しい情報が記載されています。
環境中のヒ素と毒性|環境儀 No.59 - 国立環境研究所
食品中のヒ素に関する健康影響の解説。
第8回 無機ヒ素の健康影響は? - 食品安全委員会
ヒ素化合物の化学形態と分析方法に関する専門情報。
ヒ素化合物の化学形態と生体影響 - 国立環境研究所