サン・マルコ大聖堂誰が作った建築家歴史モザイク陶器装飾

ヴェネツィアの象徴サン・マルコ大聖堂は誰が建設したのか。11世紀の再建に携わった総督や建築様式、黄金のモザイク装飾の秘密まで、ブランド陶器愛好家必見の芸術的価値を徹底解説します。知られざる歴史の真実とは?

サン・マルコ大聖堂誰が作った

この記事のポイント
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建設の指揮者

ヴェネツィア総督ドメニコ・コンタリーニが1063年に現在の聖堂建設を開始し、1094年に完成した

ビザンティン様式

東ローマ帝国の聖使徒大聖堂を模倣した、ギリシア十字形プランと5つのドームが特徴

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黄金のモザイク装飾

金の切片を使った約8,000㎡のモザイク画が内部を覆い、ヴェネツィアの富と権力を象徴

サン・マルコ大聖堂建設を命じた総督ドメニコ・コンタリーニ

サン・マルコ大聖堂の現在の姿は、11世紀のヴェネツィア共和国総督(ドージェ)ドメニコ・コンタリーニ(在任1043-1070年)によって実現されました。1063年に着工され、1071年に建設が完了し、1094年に献堂式が行われました。当時のヴェネツィアは東方貿易で繁栄を極めており、コンタリーニ総督は共和国の威光を示すため、壮麗な大聖堂の再建を決断したのです。

 

最初のサン・マルコ聖堂は、828年にエジプトのアレクサンドリアから持ち帰られた聖マルコの遺骸を安置するため、832年に建設されました。しかし976年の火災で焼失し、その後再建が試みられたものの放棄され、11世紀に至って現在の大聖堂が建設されることになりました。建築家の個人名は明確に記録されていませんが、コンスタンティノープル(現イスタンブール)から招かれた建築家や職人たちが設計と建設に関わったとされています。

 

ヴェネツィアは当時、ビザンティン帝国と緊密な関係にあり、ローマ教皇庁からの政治的独立性を保っていました。そのため、サン・マルコ大聖堂は正式な司教座聖堂ではなく、総督の礼拝堂として機能していた点が特徴的です。1807年、ナポレオンの命令により大司教座がここに移され、正式に大聖堂となりました。

 

サン・マルコ大聖堂ビザンティン建築様式の特徴

サン・マルコ大聖堂は、イタリアを代表するビザンティン建築の傑作です。東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった聖使徒大聖堂(6世紀建造)を模倣して設計されました。ギリシア十字形(各辺の長さが等しい十字形)の集中式プランを採用し、中央の交差部と十字架の4つの枝部分に、合計5つのペンデンティヴドーム(球形の円蓋)を配置しています。

 

建物の規模は、ナルテクス(玄関部)を含めて奥行76.5メートル、正面玄関部の幅52メートル、翼廊部の幅62.6メートルに及びます。内部は4基の柱を中心に正方形の5区画によって構成され、それぞれに大円蓋屋根(クーポラ)を載せています。このような建築様式は、コンスタンティノープルで500年以上前に流行した形式を採用したもので、当時すでに古典的なスタイルでした。

 

正面ファサードは二層五連のアーチで構成され、アーチ内にはモザイク画が施されています。頂上部には有翼のライオン(聖マルコの象徴)の彫像が設置されており、ヴェネツィアの守護聖人としての存在を示しています。また、正面入口の上に置かれている4頭の馬の銅像(現在はレプリカ、本物は内部に展示)は、もともとコンスタンティノポリスの競馬場にあったものを、1204年の第四回十字軍の際に略奪してヴェネツィアに運んだものです。

 

サン・マルコ大聖堂黄金のモザイク装飾芸術

サン・マルコ大聖堂の内部は、約8,000平方メートルにも及ぶ黄金のモザイク画で覆われており、「黄金の聖堂」と称賛されています。モザイク画とは、壁に漆喰を塗り、その漆喰が乾く前に金の切片や色ガラスの小片を埋め込んで絵画を作り上げる技法です。サン・マルコ大聖堂では、金箔を挟んだガラスの切片が使用され、光を受けて荘厳な輝きを放ちます。

 

モザイク装飾の制作は1071年から1084年にかけて、ドメニコ・セルボ総督の時代に始まりました。コンスタンティノープルから招かれた職人たちが中心となって制作に当たり、ビザンティン美術の傑作を生み出しました。中央円蓋には《キリストの昇天》、入口側円蓋には《聖霊降臨》、祭壇上の円蓋には《パントクラトールのキリスト》が描かれ、訪れる信者に天上の世界を視覚化して伝えています。

 

13世紀に西側に追加されたナルテクス(玄関間)には、L字型の空間に6つの小円蓋と2つのアーチがあり、そこには旧約聖書の『創世記』の天地創造やノアの洪水、バベルの塔、アブラハムの物語などが連作形式で展開しています。左端の「サンタリーピオの扉」上のモザイク《聖マルコの遺体の運送》のみが13世紀のオリジナルで、その他は17~19世紀に修復されたものです。床にも美しいモザイク画が施されており、幾何学模様やクジャクなどの動物がモチーフになっています。

 

サン・マルコ大聖堂パラ・ドーロ黄金の祭壇画

主祭壇の後ろに飾られているパラ・ドーロ(Pala d'Oro、黄金の祭壇画)は、サン・マルコ大聖堂の最も重要な宝物の一つです。高さ約2メートル、幅約3.5メートルの巨大な祭壇画には、約1,927個もの宝石が散りばめられています。真珠、サファイア、エメラルド、ルビー、アメジストなど、あらゆる種類の宝石が贅沢に使用され、ゴシック様式の金細工枠に収められています。

 

パラ・ドーロは5世紀から15世紀にかけて東ローマ帝国で発展したビザンティン美術の作品として、世界的に認められています。様々な聖人像が七宝や黄金と宝石で装飾され、その荘厳な輝きは訪れる人々を圧倒します。制作には複数の時代が関わっており、10世紀に最初の部分が作られ、その後の十字軍による戦利品が加えられ、14世紀にゴシック様式の枠が追加されて現在の形になりました。

 

宝物館には、1204年の第四回十字軍でコンスタンティノープルを攻撃した際の戦利品が展示されています。これらの宝物は、かつてヴェネツィアが世界を制覇していた繁栄の時代を物語っています。東方貿易や十字軍遠征を通じて栄えたヴェネツィア共和国の富と権力の象徴として、パラ・ドーロは現代に至るまでその輝きを保ち続けているのです。

 

サン・マルコ大聖堂とヴェネツィアガラス工芸の関係

サン・マルコ大聖堂の建設と繁栄は、ヴェネツィアのガラス工芸、特にムラノ島で発展したベネチアングラス(ムラノガラス)の歴史と密接に関わっています。大聖堂のモザイク画に使用された色ガラスの技術は、後にムラノ島のガラス職人たちによって受け継がれ、独自の発展を遂げました。1291年、ヴェネツィア政府は火災防止を目的に、すべてのガラス職人をムラノ島に強制移住させ、技術の保護と管理を行いました。

 

ムラノ島のガラス職人たちは、ビザンティンやイスラムの影響を受けながら、13~14世紀にエナメル彩色の技法を発展させました。16世紀後半には、ダイヤモンドポイント彫り、レース・グラス、マーブル・グラスなどの繊細で華麗な技法が次々と生み出され、ヴェネチアングラスは最盛期を迎えます。特に透明度の高い無色透明のガラス「クリスタッロ」の製法は、他国にない独自の技術として王侯貴族の間で高く評価されました。

 

サン・マルコ大聖堂のモザイク画に使われたガラス・モザイク技術は、古代からビザンティン帝国に伝わる伝統的な技法でした。この技術がヴェネツィアに導入されたことで、ムラノ島の職人たちはガラス製造の多様な技法を学び、独自の発展を遂げることができました。1620年頃にはアベンチュリーナ(ガラスの塊に細かい銅粉を内包する技法)が生み出され、何世紀にもわたり一部の職人によって守られてきました。

 

現代でも、ムラノ島のガラス職人たちは古代作品の復刻制作に活路を見出しており、他国のガラス産業には真似できない色ガラスを基本としたガラス・モザイク技術による新商品やインテリア製品を生み出し続けています。サン・マルコ大聖堂に代表されるビザンティン美術の伝統は、ヴェネツィアのガラス工芸という形で現代まで脈々と受け継がれているのです。

 

サン・マルコ大聖堂建設に使用された陶器と装飾材料

サン・マルコ大聖堂の建設と装飾には、さまざまな貴重な材料が使用されました。外壁を飾る大理石の多くは、東方貿易やビザンティン帝国との交流を通じて入手されたもので、一部は略奪品として持ち帰られた古代ローマやギリシャの建築物の部材も含まれています。このような異なる時代や地域の材料を組み合わせることで、独特の重層的な美しさが生まれています。

 

内部の装飾に使用された陶器やタイルについては、当時のヴェネツィアが地中海貿易の中心地として、イタリア各地や東方からさまざまな陶器製品を入手していました。特にイタリアのファエンツァ(エミリア・ロマーニャ州)は、中世以来マヨリカ陶器の製造地として栄えており、「ファイアンス焼き」の語源となった都市です。ファエンツァの陶器産業は、ムラノ島のガラス工芸と並んで、イタリアの工芸美術を代表する存在でした。

 

サン・マルコ大聖堂の床には、幾何学模様の石材モザイクが施されており、大理石や色石を組み合わせた精巧な装飾が見られます。これらの石材は、ヴェネツィアが支配していた地中海沿岸の採石場から運ばれたもので、赤、緑、黒、白などさまざまな色の大理石が使用されています。床のモザイク装飾は、時代を経て波打つように変形しており、それがかえって歴史の重みを感じさせる独特の味わいを生み出しています。

 

大聖堂の装飾に使用された材料の多様性は、ヴェネツィアの国際性を象徴しています。東ローマ帝国、イスラム世界、西ヨーロッパ各地から集められた芸術品や建築材料が融合し、唯一無二の建築空間を作り出しました。この文化的多様性こそが、サン・マルコ大聖堂を単なる宗教建築ではなく、ヴェネツィア共和国の繁栄と文化の結晶として現代に伝える重要な要素となっています。ブランド陶器に興味を持つ方々にとって、この大聖堂は装飾芸術の宝庫であり、陶器やガラス、石材といった素材が調和した究極の空間美を学ぶことができる場所なのです。

 

サン・マルコ寺院の詳細な歴史と建築様式について - Wikipedia
サン・マルコ大聖堂の建築的特徴と見どころ - 世界建築巡り
世界遺産としてのサン・マルコ寺院の価値と構成資産について