ファエンツァ国際陶芸展と日本人作家の歴史的受賞実績

1938年創設のファエンツァ国際陶芸展は世界で最も権威ある陶芸コンクールとして知られ、多くの日本人作家がグランプリを獲得してきました。イタリアの陶都ファエンツァで開催されるこの展覧会の魅力と、日本の陶芸家たちとの深い結びつきをご存知ですか?

ファエンツァ国際陶芸展の歴史と特徴

この記事のポイント
🏛️
最長の歴史を持つ国際コンペ

1938年創設で陶芸分野において世界最古の権威ある公募展

🇯🇵
日本人作家の輝かしい受賞歴

50名を超える日本人がグランプリや特別賞を受賞

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マジョリカ焼の聖地

フランス語で陶器を意味するファイアンスの語源となった街

ファエンツァ国際陶芸展の創設と発展の経緯

 

ファエンツァ国際陶芸展は1938年に創設され、陶芸分野における国際的なコンクールの中で最も長い歴史を持つ権威あるコンペティションとして確立されています。イタリア北部エミリア・ロマーニャ州の都市ファエンツァで毎年開催されるこの展覧会は、現代陶芸の世界において最も規模の大きい国際コンペの一つとして認知されており、ファエンツァ陶芸の歴史を作るとともに名立たる作家を輩出してきました。
参考)ファエンツァ FAENZA −ファエンツァ国際陶芸展受賞作家…

この展覧会の歴史的意義は計り知れず、80年以上にわたって世界中の陶芸家たちに作品発表の場を提供し続けています。ファエンツァ市が主催するこのコンペティションは、第62回を数えるまでに至っており、現代陶芸の分野で最も権威のある賞として確固たる地位を築いています。展覧会の入選作品は、通常7月から10月にかけて数ヶ月間にわたって展示され、世界中から訪れる陶芸愛好家たちの目を楽しませています。
参考)Instagram

ファエンツァ国際陶芸展は単なる作品展示にとどまらず、国際文化交流の重要な役割を果たしています。異なる文化背景を持つ陶芸家たちが一堂に会し、技術や表現方法を共有することで、陶芸という芸術形態の可能性を広げ続けているのです。この展覧会を通じて、日本を含む世界各国の陶芸家たちが国際的な評価を得る機会を得てきました。
参考)FAENZA −ファエンツァ国際陶芸展受賞作家より− href="https://iictokyoblog.jp/?p=5827" target="_blank">https://iictokyoblog.jp/?p=5827amp;#8…

ファエンツァが陶芸の街として栄えた背景

ファエンツァという街がヨーロッパ屈指の陶芸の街として発展した理由には、地理的・歴史的な背景があります。この街は近くの山で質の良い白い土が採れることから、12世紀頃には既に陶器の街として知られていました。フランス語で「陶器」を意味する「ファイアンス(faience)」という言葉の語源が、まさにこのファエンツァ(Faenza)の街の名前から来ていることからも、その歴史的重要性が理解できます。
参考)カルロ・ザウリ展:イタリア現代陶芸の巨匠 - 国立工芸館

15世紀にはマジョリカ焼き(マヨリカ焼き)の生産で隆盛を極め、ヨーロッパ中にこの華やかな陶器を広めたのがファエンツァの窯と陶工たちでした。イスラムの陶器を起源とし、スペインのマヨルカ島から伝わったとされるマジョリカ焼きは、ファエンツァにおいてマヨルカ島のものより鮮やかで多彩な色が特徴的な独自のスタイルへと進化しました。釉薬で華やかな模様を描くイタリアの代表的陶器として、マジョリカ焼きは現代に至るまでファエンツァの伝統文化として大切にされています。
参考)日本人作家の作品多数!ファエンツァの国際磁器博物館(M.I.…

街には国際陶芸美術館(Museo Internazionale delle Ceramiche)というイタリア最大級の陶磁器博物館があり、世界の陶芸分野において最も広い展示面積を持つ美術館のひとつとして知られています。この博物館は、ファエンツァ賞を通じて収集された作品により、日本陶器の国外最大級コレクションを有しており、ルネサンス期を中心とした貴重なマジョリカ陶器コレクションも所蔵しています。また、2019年11月から2020年4月にはピカソの陶芸作品50点を展示する企画展も開催されるなど、縦横の積極的な芸術活動が行われています。
参考)http://www.acfa.net/faenza/faenza_art.html

ファエンツァ国際陶芸展における日本人作家の受賞実績

日本人作家とファエンツァ国際陶芸展の関係は非常に深く、これまで50名を超える日本人がこの権威ある展覧会で受賞を果たしています。グランプリ受賞者も複数おり、日本の陶芸技術と芸術性の高さを世界に示してきました。
参考)多治見市陶磁器意匠研究所 卒業生インタビュー 加藤智也さん

特に注目すべき受賞者として、林康夫氏が1972年の第30回ファエンツァ国際現代陶芸展でグランプリを受賞した実績があります。この快挙は日本の陶芸界にとって大きな意義を持ち、以降も多くの日本人作家が国際的な評価を受ける道を開きました。また、加藤智也氏は第56回ファエンツァ国際陶芸展でグランプリを獲得し、その前回には上院議長賞も受賞するという連続受賞の栄誉に輝いています。
参考)Yasuo HAYASHI

さらに平井智一氏は1979年にファエンツァの国際陶芸展で金賞を受賞し、これまでに国内外のコンクールで数々の入賞を果たしてきました。平井氏は来伊50周年を記念した展覧会「平井智と友だち展」を2022年に銀座で開催するなど、日伊両国を往来しながら精力的に活動を続けており、ファエンツァ市と土岐市の姉妹都市交流事業の担い手としても40年以上にわたり貢献しています。こうした日本人受賞作家たちの作品は、2011年9月にイタリア文化会館で開催された「日本×ファエンツァやきものの現在」展をはじめとする複数の展覧会で紹介され、日本のDNAを内包しながら国際的にも素晴らしい作品を生み出す作家の姿を広く知る機会となっています。
参考)https://ameblo.jp/antonio-maizza/entry-11005117711.html

ファエンツァ国際陶芸展の作品選考と審査基準

ファエンツァ国際陶芸展の審査過程は非常に厳格であり、世界中から集まる多数の応募作品の中から入選作品が選ばれます。審査では陶芸作品における独創性、技術的完成度、芸術的価値などが総合的に評価されます。
参考)Instagram

第56回でグランプリを受賞した加藤智也氏によると、受賞後は学芸員の方が選考の経緯を詳しく聞かせてくれたり、審査員の方を紹介してくれたりと、主役としての特別な対応を受けたと語っています。また、経験も年齢も上の審査員に認めてもらえることの喜びは格別であり、若いうちに受賞できたことの幸運さも感じているようです。​
審査委員には国際的に著名な陶芸家や美術史家、博物館館長などが名を連ねており、例えば国際陶磁器展美濃では美術史家でファエンツァ国際陶芸美術館館長が審査員として参加しています。審査基準として重視されるのは「やきもの」を中心とした作品であること、自由な発想と手法による創作であること、運搬及び展示に支障のない大きさ・重量・形状であることなどが挙げられます。他の公募展に入選していない新作であることも条件として設けられており、常に新鮮で革新的な作品が求められています。
参考)https://www.icfmino.com/icfmino/wp-content/uploads/2023/09/requirement13th.pdf

ファエンツァと日本の姉妹都市交流における陶芸の役割

ファエンツァ市は「陶磁器の街」つながりで、日本の岐阜県土岐市と1979年(昭和54年)に姉妹都市提携を結んでいます。この交流は単なる形式的なものではなく、実質的な文化交流と人的交流を伴っています。
参考)https://www.milano.it.emb-japan.go.jp/itpr_it/hyoushoushiki_2022_1.html

土岐市は「美濃焼」で知られる陶磁器の産地であり、ファエンツァとの共通点が多く存在します。両市の陶芸家たちは定期的に交流を行い、技術や表現方法を共有してきました。前述の平井智一氏のように、姉妹都市締結発足当初より40年以上の長きにわたり両市の交流事業に尽力し、市民間の交流促進に大きく貢献している陶芸家も存在します。
参考)https://ameblo.jp/hashikko-germany/entry-12454352134.html

この姉妹都市関係を通じて、日本の陶芸家たちがファエンツァで制作活動を行ったり、逆にイタリアの陶芸家が日本を訪れて作品を発表したりする機会が生まれています。また、ファエンツァの工房では中国の方とも交流があるそうで、国際的なネットワークが構築されています。こうした継続的な交流が、日本人作家のファエンツァ国際陶芸展での活躍を支える基盤となっているのです。
参考)新里明士先生へお話伺いました。: 陶心

岐阜県では「国際陶磁器フェスティバル美濃」も開催されており、ファエンツァとの連携で展覧会を実施するなど、陶芸を通じた国際文化交流が活発に行われています。このような地道な交流活動が、両国の陶芸文化の発展に寄与し続けているといえるでしょう。
参考)今のうつわこれからのうつわ PartⅢ

ファエンツァの現代陶芸巨匠カルロ・ザウリと日本との関係

ファエンツァが生んだ現代陶芸の偉大な改革者の一人として、カルロ・ザウリ(1926-2002)という陶芸家が国際的に高く評価されています。ザウリはファエンツァで生まれ、生涯同地を拠点に制作を行い、日本にも大きな影響を与えてきました。​
1950年代初頭から精力的に発表活動を展開したザウリは、世界で最も規模の大きいファエンツァ市主催の国際陶芸コンペで三度もグランプリを受賞するという偉業を成し遂げています。彼の作品は、初期のマジョリカ焼から始まり、「ザウリの白」と呼ばれる独自の釉薬を用いた1960~70年代の代表的作品、さらには1980年代の釉薬を用いない黒粘土による挑戦的な作品まで、多様な表現スタイルを展開しました。​
ザウリは当時のイタリアではほとんど手掛けられていなかったストーンウェア(高温焼成)の技法を1950年代後半から始め、「壺」という形体に新たな可能性を見出した「壺の彫刻家」としても知られています。彼の非凡な才能と革新的なアプローチは、ファエンツァの伝統的なマジョリカ焼の技法を継承しながらも、それを超える新しい表現を追求する姿勢を示しており、日本の陶芸家たちにも多大な影響を与えました。​
日本では2024年に東京国立近代美術館本館でザウリの没後初めての回顧展がファエンツァ市との国際交流展として開催され、1951年から約40年間の芸術活動の軌跡を辿る機会が提供されました。この展覧会は、ファエンツァと日本の陶芸界における深い結びつきを象徴する出来事となりました。​