日本におけるナノマテリアル規制は、欧米諸国とは異なる独自のアプローチを採用しています。現在、日本ではナノマテリアルに関する法律による規制措置は行われておらず、事業者の自主管理を基本とした体制が構築されています。
参考)http://www.nbci.jp/file/231215.pdf
経済産業省は2008年から「ナノマテリアル情報収集・発信プログラム」を運用しており、事業者に対して自主的な報告制度を通じて安全対策を求めています。このプログラムは、有害性が不明であるからといって対策を何も講じないと健康被害の生じる懸念があることから、国民の不安を払拭するために安全性に関する科学的知見や自主管理による安全対策の実施状況について情報収集及び発信を行うものです。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/other/nano.html
環境省は2009年3月に「工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイドライン」を公表し、事業者がナノ材料に関する環境保全上の適切な管理方策を検討するための情報を提供しています。厚生労働省も2009年3月に「ナノマテリアルに関する化学物質等による労働者の健康障害防止に係る技術上の指針の策定について」という通達を発出し、労働現場における安全対策を促しています。
参考)ナノマテリアルの環境影響について
日本産業衛生学会は2023年9月末時点で、酸化亜鉛ナノ粒子や二酸化チタンナノ粒子など、いくつかのナノマテリアルの許容濃度を勧告しています。また、労働安全衛生法では、フラーレンとカーボンナノチューブをリスク評価の対象物質として指定しています。
日本では法的義務としての届出制度は存在しないものの、経済産業省の自主報告制度により、ナノマテリアルを製造・使用する事業者は任意で情報提供を行っています。この制度は強制力を持たないため、企業の自主性に委ねられている点が特徴です。
米国では化学物質規制法(TSCA)第5条に基づき、新規化学物質であるカーボンナノチューブを商用目的で製造・輸入する業者は、製造・輸入の90日前までに製造前届出(PMN)が必要とされています。日本においてもこのような明確な届出義務の導入が今後の課題として議論されています。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/files/0910kenkyukai_gaiyou.pdf
日本におけるナノマテリアルの安全性評価は、既存の化学物質評価手法を基礎としつつ、ナノスケール特有の特性を考慮した評価が進められています。研究では、ナノマテリアルが慢性炎症を介して遺伝毒性を誘発する可能性が示唆されており、このメカニズムを基盤とした細胞間相互作用を考慮した生体模倣システムの開発が進んでいます。
参考)ナノマテリアルの安全性評価
産業技術総合研究所は、代表的なナノ材料である二酸化チタン(TiO2)、フラーレン(C60)、カーボンナノチューブ(CNT)を対象としたリスク評価書を策定し、公開しています。これらの評価書は、有害性試験に使用したナノマテリアルの粒子の大きさと、実際に労働者が曝露する粒子の大きさの違いなど、評価における留意点を明示しています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001v897-att/2r9852000001v8ds.pdf
厚生労働省の調査事業では、ナノマテリアルのリスク評価手法における課題として、粒子サイズの不一致や長期曝露影響の不明確さなどが指摘されています。また、水溶性を付加したフラーレン誘導体の非経口経路での毒性や、酸化チタンをラットに吸入させた実験結果など、具体的な有害性データの蓄積が進められています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001v897-att/2r9852000001v8uf.pdf
日本は経済協力開発機構(OECD)の工業ナノ材料作業部会(WPMN)に積極的に参加し、国際的な安全性評価手法の開発に貢献しています。OECDは2013年に加盟国に対し、ナノ材料の安全性管理のため化学物質規制に関する現行の国際・国内制度を適用するよう勧告しました。
参考)https://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2023FY/000319.pdf
この勧告では、化学物質の安全性をテストするための既存のOECDガイドラインの多くはナノ材料の安全評価に適応しているとしながらも、ナノ材料の特異性を勘案して変更していく必要があることに言及しています。OECDの「データの相互受け入れ」(MAD)の範囲をナノ材料まで拡大することで、市場に出す際に生じる国家間の非関税障壁を大幅に削減できるとされています。
参考)OECD、ナノ材料の安全性を現行の化学物質規制制度で確保する…
OECDのWPMNでは2021-2024年計画にアドバンストマテリアル(AdMa)が盛り込まれており、ナノ材料を含むAdMaの定義、規制やガイダンスの制定・改廃動向について継続的な検討が行われています。日本もこれらの国際的な議論に参加し、科学的知見の蓄積と規制の調和に努めています。
参考)https://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2024FY/000092.pdf
日本のナノマテリアル規制は、自主管理を基本としているため、欧米のような強制力のある法規制と比較すると事業者の取り組みに差が生じる可能性があります。特に中小企業では、安全性評価に必要なコストや専門知識の不足により、十分な対策が取られない懸念も指摘されています。
参考)ナノマテリアルのリスク評価 −現状と課題− href="https://www.shiminkagaku.org/post_112/" target="_blank">https://www.shiminkagaku.org/post_112/amp;#8211; …
今後の課題として、ナノマテリアルの生態系への影響解明があります。抗菌剤として衣料や日用品に広範囲に利用されているナノシルバーについては、下水処理場の有用微生物への有害作用が懸念されており、水生生物類への影響から食物連鎖を介して人への波及を検討すべきとされています。
労働現場では一般環境とは比較にならない量(濃度)のナノマテリアルが存在するため、ナノマテリアルを取り扱う労働者の健康障害が特に懸念されています。繊維状のナノマテリアルがアスベストと同じような健康影響を及ぼす可能性も指摘されており、予防的措置の必要性が高まっています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsci/54/3/54_44/_pdf/-char/en
国際的には、日本のナノマテリアル技術の特許出願件数が中国の300分の1という量的に深刻な劣勢にあることも明らかになっています。技術開発と規制整備を両立させながら、国際競争力を維持していくことが日本の重要な課題となっています。
参考)ナノマテリアル技術の論文・研究・特許動向:10年後の未来と日…
欧州連合(EU)では、化学物質の登録・評価・認可・制限に関する規則(REACH規則)において、2020年1月1日から欧州委員会規則(EU)2018/1881が正式に施行され、ナノ物質に対して新たな登録要件が導入されました。EU域内で年間1トン以上製造または輸入されるナノ物質については、企業は欧州化学機関(ECHA)に登録を提出し、ナノ物質の特性情報およびリスク評価報告などを開示する必要があります。
参考)https://jp.reach24h.com/chemical/service/nano-registry-bulletin
REACH規則では、「ナノマテリアル」に対してREACH規則独自の呼び方として「ナノフォーム」という用語を採用しています。改正REACH規則では、ナノマテリアルの定義が改めて規定され、サイズ、形状及び表面の化学特性に関する情報要件、化学物質リスク評価報告書、登録に必要なデータ、川下ユーザーの義務に関する明確化などが追加されました。
参考)REACH規則におけるナノ材料の登録 - 工業化学品 - C…
ナノ材料の登録では、バルク物質と同様にトン数帯別に情報要件が規定されていますが、2020年以前はバルク物質と同様に扱われてきたナノサイズ特有の特性を考慮した新たな要件が加わりました。よく使用されている酸化亜鉛、二酸化チタン、二酸化ケイ素、酸化鉄、酸化アルミ及び金属粉末については、ナノ粒子を含むかどうかを判断することが重要となっています。
EUの化粧品規則(EC)No 1223/2009では、2013年より化粧品中に含まれるナノ材料に関し、安全性データの届出、表示等が義務づけられています。規制の附属書に記載されていないナノ材料を含む製品については、第16条に基づく特定の届出が必要であり、製品が市場に導入される少なくとも6ヶ月前に、詳細な安全性評価とナノ材料に関するデータを含めて行わなければなりません。
参考)EU化粧品規制総合ガイド- Biorius
化粧品規則は主に意図的に製造され、不溶性・難溶性または生物持続性のナノ材料(例えば、金属、金属酸化物、炭素材料など)を対象としており、完全に溶解するものは対象外とされています。ナノマテリアルは使用目的によって必要な対応が異なり、禁止されているものもあるため、まずはナノマテリアルの原材料のデータを収集し安全性評価を行って判断する必要があります。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/other/nanom/nano2023_August.pdf
日本の化粧品製造メーカーがEUで製品を販売する場合、ナノマテリアル含有の有無を確認し、含む場合は欧州委員会の化粧品届出ポータル(CPNP)に対する上市6カ月以上前の告知が必要です。また、EU域内に居住する「責任者」を置く必要があり、製品情報ファイル(PIF)の作成と保管も義務付けられています。
REACH規則のほか、一部のEU加盟国では独自のナノ材料管理制度を実施しており、該当国での製造・販売・流通を行う企業は、REACH要件に加えて、国ごとの年次申告義務も負います。フランスは2013年にナノ粒子に関する報告制度「R-Nano」を開始し、欧州初の独立ナノ登録制度を導入しました。
「R-Nano」により、前年度に100g以上のナノ物質を製造・輸入・流通させた企業は、翌年5月1日までに登録申告を完了する必要があります。この制度は、日本ゼオンなどの日本企業にも影響を及ぼしており、EUの規制厳格化について異議を唱える動きも見られます。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/001471356.pdf
欧州化学機関(ECHA)は、ナノ粒子に特化した規制の必要性を強調し、殺生物性製品規則(EU)528/2012における対応を推進しています。特に農業分野で使用されるナノ粒子、例えば亜鉛ナノ粒子や塩分条件下で光合成を促進する酸化チタンナノ粒子などについて、環境と人の健康へのリスク評価が継続されています。
EUでは、二酸化チタンと酸化亜鉛のナノフォームに対する規制が特に厳格化されています。米国環境保護庁(EPA)もグラフェン、二酸化チタン、2種類の酸化グラフェンの計4種類について少量免除(Low Volume Exemption:LVE)の審査を実施しています。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/other/nanom/nano2024_February.pdf
欧州消費者安全科学委員会(SCCS)は、化粧品に使用される着色用の二酸化チタンの安全性評価において、二酸化チタンにはナノサイズの粒子が高い割合で含まれているということを考慮するべきであると指摘しています。また、酸化チタンの安全性について多くの不確実性とデータ不足があると結論付けています。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/other/nanom/nano2024_August.pdf
ドイツ連邦環境庁(UBA)は、酸化亜鉛ナノフォームに関するREACHの物質評価を実施し、提供された情報において評価された他のナノフォームの二酸化チタンとの類似性が証明されていないことを指摘しています。オーストラリア工業化学品導入機構(AICIS)も、ナノスケールの酸化亜鉛と二酸化チタンについて、環境と人の健康へのリスク評価活動を継続しています。
韓国では、化学物質の登録及び評価等に関する法律(K-REACH)において、安全衛生関連で各種ガイドライン等が作成されています。カーボンナノファイバーに関しては、曝露基準勧告案が設定されています。
「生活化学製品及び殺生物剤の安全管理に関する法律」(K-BPR)では、殺生物性製品にナノマテリアルを意図的に含む場合、そのナノマテリアルの名称、使用目的や用途の提出が求められています。韓国の規制は、EUの規制体系を参考にしながら独自の基準を策定している点が特徴です。
韓国政府は、ナノマテリアルの開発促進と安全管理のバランスを取るため、産業界との対話を重視した規制アプローチを採用しています。特に半導体産業や電子機器産業においてナノマテリアルの使用が拡大していることから、労働安全衛生面での規制強化が進められています。
日本において現在、ナノマテリアルに係る規制情報は、経済産業省が事業者の自主管理による安全対策を求めるとともに、国民の不安を払拭するために、安全性に関する科学的知見、自主管理による安全対策の実施状況等について情報収集及び発信を行っています(ナノマテリアル情報収集・発信プログラム)。
経済産業省は毎月、「ナノ材料の海外における規制動向及び安全性情報」として、米国、EU、韓国、オーストラリアなどの最新規制情報を収集・公開しています。これらの情報は、頻出略語一覧とともに整理され、事業者が国際的な規制動向を把握するための重要な情報源となっています。
参考)https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/other/nanom/nano2025_August.pdf
2024年から2025年にかけての規制動向では、REACH規則におけるナノマテリアルの定義の更新(2022/C 229/01)がREACH改定文書に含まれる予定です。さらに、ナノフォーム物質(nanoform)またはナノフォーム物質のセット(nanoset)の命名に関する特性評価要件を明確にすることが計画されています。
参考)REACH改定2024/2025: ナノマテリアル - SC…
物質をナノフォームに加工することによって製造されるナノフォーム物質が実際の登録一式文書でカバーされていない場合、川下ユーザーにその特性を示すことを義務付けることも検討されており、川下ユーザーのナノフォームの安全な使用方法に関する情報提供義務も含まれます。
経済産業省ナノマテリアル情報収集・発信プログラム
ナノマテリアルの最新規制動向と安全性情報を定期的に更新・公開している公式サイトです。
環境省ナノマテリアルの環境影響について
環境省が策定した「工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイドライン」や関連情報を掲載しています。
ナノ材料ビジネス推進協議会(NBCI)
ナノマテリアルに関する規制動向や標準化活動の最新情報を提供している業界団体のサイトです。