焼き物の器に陶磁器が使われるようになったのは明治中期以降で、それ以前は陶器ではなく塗箱が使われていました。
本膳料理とは、室町時代に武家の礼法として確立した、日本料理の正式な膳立てのことです。一人ひとりの前に料理を乗せた膳を複数並べて出す形式が最大の特徴で、日本料理全体の原型をなす存在として位置づけられています。
「食事をとる」という行為そのものに儀式的な意味を持たせているのが、ほかの料理形式と大きく異なる点です。単においしいものを食べるだけでなく、主君と家臣の関係を確認し、もてなしの格式を表すための場でもありました。
現代でよく耳にする「懐石料理」や「会席料理」と混同されがちですが、三者はまったく別物です。下の表で整理してみましょう。
| 種類 | 成立時代 | 主な場 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 本膳料理 | 室町時代 | 武家の饗応・冠婚葬祭 | 複数の膳を同時に並べる儀式的料理 |
| 懐石料理 | 室町〜安土桃山時代 | 茶会(茶の湯) | 茶を美味しく飲むための軽い食事 |
| 会席料理 | 江戸時代 | 料亭・宴会 | 本膳料理を簡略化した宴会向け料理 |
本膳料理は明治時代以降にほぼ廃れてしまい、現在では婚礼の三々九度など儀礼的な場面にその面影を残す程度です。ただし、実は今私たちが知っている「会席料理」も、この本膳料理を簡略化して生まれたもの。つまり料亭で食べる宴会料理のルーツが本膳料理なのです。これは意外ですね。
陶器に興味を持つ方にとって特に重要なのは、本膳料理の様式が日本の器文化・配膳文化の基礎を形成したという点です。現代の和食で「ご飯を左、汁物を右」と置くルールも、室町時代の本膳料理が起源です。
本膳料理は突然生まれたわけではなく、平安時代の貴族料理「大饗(だいきょう)料理」の流れを受け継いでいます。大饗料理は大臣就任や正月に開かれた宴で、大きな卓に料理を並べる中国・朝鮮の影響を強く受けた形式でした。
鎌倉時代になると政治の実権が公家から武家へ移行しましたが、当時の武家は質素倹約を重んじ、独自の料理形式は生まれませんでした。この時代に広まったのが禅宗の影響による「精進料理」で、高い調理技術がここで蓄積されていきます。
室町時代に入ると状況が変わります。足利幕府が京都に置かれたことで武家と公家の交流が活発になり、儀式的な要素も重視されるようになりました。大饗料理のもてなしの様式と精進料理の技術が融合し、武家のおもてなし料理「本膳料理」が形成されたのです。これが基本です。
歴史上最も有名な本膳料理のエピソードのひとつが、天正9年(1581年)の織田信長による徳川家康へのもてなしです。当時の「御献立集」にその記録が残っており、この饗応の失敗(または信長からの叱責)が明智光秀の心理に影響を与え、のちの本能寺の変につながったとも言われています。本膳料理が日本史を動かした、といっても過言ではないのです。
江戸時代に入ると本膳料理はさらに洗練され、お膳は華麗に、料理は芸術性・内容・形式ともに大きく発達しました。室町時代の中期頃からは「大草流」「進士流」といった専門の料理流派が成立し、師匠から弟子へ料理の秘法が一子相伝で伝えられるようになりました。
参考:ウィキペディア「本膳料理」/日本料理の歴史的詳細に関する一次資料
本膳料理 - ウィキペディア
本膳料理の基本単位は「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」です。飯・汁・香の物・なます・煮物・焼き物がひとつの膳に乗りますが、飯と香の物(漬物)は「菜」の数に数えないのが決まりです。つまり汁1種類+おかず3種類が基本ということですね。
宴席の規模や客の身分によって膳の数が増え、料理の種類も増えていきます。
ここで注目したいのが「与の膳」という名称です。本来は四の膳と呼ぶはずが、「四(し)」が「死」を連想させることから「与(よ)の膳」と表記するのが慣わしです。
三汁七菜の場合、与の膳の焼き物と五の膳の引き物は、箸をつけずに折り詰めにして持ち帰るのが正式な作法です。この「食べずに持ち帰る」という慣習こそが、現代の結婚披露宴の「引き出物」の原型とされています。つまり引き出物の歴史は600年以上あるということですね。
また、本膳料理の宴は一夜では終わりません。料理が出される前に「式三献(しきさんこん)」という酒の儀礼があり、能や狂言を鑑賞しながら酒宴を楽しむため、一晩中かかることも珍しくなかったようです。なかには三日近く行われた宴の記録も残っています。
参考:本膳料理の膳組・献立の構成について
「本膳料理」とは?懐石料理・会席料理との明らかな違い|小林食品株式会社
本膳料理には、料理の並べ方から食べ方まで細かな作法が定められています。現代の日本人が何気なく守っているテーブルマナーの多くが、この本膳料理を起源としているという点が興味深いです。
食べ方の主な作法は次のとおりです。
配膳の位置にも厳格なルールがありました。本膳は客の正面、二の膳は本膳の右側、三の膳は左側、与の膳は本膳の奥、五の膳はそのさらに奥に置きます。料理を持つときは呼気が食べ物にかからないよう、膳を顔から遠ざけて腕を伸ばした状態で高く持つのが礼儀です。
特に陶器に興味があるかたへ紹介したいのが、「ご飯は左、汁は右」という現代の配膳ルールです。これは本膳料理の「左優先の原則」に由来します。この原則は中国思想の影響も受けており、主食であるご飯に最も貴い「左」の位置を与えた結果生まれたものです。現代の和食の食卓を美しく整えるとき、この室町時代の礼法が生きていることを意識すると、料理と器の関係がさらに深く見えてくるはずです。
結婚式における三々九度も、本膳料理の「式三献(しきさんこん)」が起源です。初献・二献・三献と盃を重ねる儀式が形を変えて今も続いています。本膳料理の慣習が現代にいかに根付いているか、改めて実感できるはずです。
陶器に興味を持つ人なら特に気になるのが、本膳料理の器の変遷です。実はあまり知られていない事実があります。焼き物(焼き魚など)を盛る器に「陶磁器」が使われるようになったのは明治中期以降のことで、それ以前は「重引(じゅうびき)」と呼ばれる二段重ねの塗箱が用いられていました。つまり、長い間、本膳料理の焼き物の器は陶器ではなく漆の重箱だったのです。
本膳料理の器の基本は、飯椀・汁椀・平椀・壺椀などの「椀」類で構成されていました。これらは主に黒塗りや朱塗りの「漆器」です。漆器が中心だった理由は実用的なもので、熱を保ちやすく手に持ちやすい、口当たりが柔らかいという特性があったためです。
器の変遷をまとめると以下のとおりです。
陶器の日(公益社団法人日本陶磁器産業協会)のサイトによれば、懐石料理の向付(むこうづけ)の器については「汁椀が漆器、めし碗が陶器なら向付は磁器にする」という黄金比があるとされています。異なる素材の器を取り合わせることで、食卓に変化と奥行きを生み出すという美意識が、この時代から受け継がれています。
陶器に興味がある方は、本膳料理の器の配置を学ぶことで、現代の和食器の使い方に新しい視点が加わります。たとえば、汁椀には保温性の高い漆器や陶器、向付には磁器を組み合わせるという発想は、今の食卓にもそのまま応用可能です。器選びの際のひとつの指針として活用してみてください。
参考:日本料理の器の歴史的変遷と向付について
日本料理のかたち|陶器の日(公益社団法人日本陶磁器産業協会)