森村市左衛門とは|ノリタケ・TOTO創業者と功績

森村市左衛門とは、日本を代表する陶磁器企業群を創業した明治・大正期の実業家です。ノリタケ、TOTO、日本ガイシといった森村グループ企業を育て、教育事業にも尽力した彼の人生とは?

森村市左衛門とは

この記事のポイント
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日本陶磁器産業の父

ノリタケ、TOTO、日本ガイシなど日本を代表するセラミック企業を創業した実業家です

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日米貿易の先駆者

明治9年に森村組を創業し、民間初の日米貿易事業を開始しました

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教育・社会貢献への情熱

森村学園や森村豊明会を設立し、次世代育成に晩年を捧げました

森村市左衛門の生涯と経歴

森村市左衛門は1839年(天保10年)10月27日、江戸京橋の武具商の家に長男として生まれました。森村家は代々武具商を営み、土佐藩の御用達商人として唐物(舶来品)などの販売を行っていた商家でした。幼名は市太郎といい、13歳で呉服商店員として働き始めましたが、1854年の安政江戸大火、翌1855年の安政大地震で2度にわたり家を失います。
参考)森村市左衛門 - Wikipedia

 

この苦難の時期、16歳の市左衛門は露天商で煙草入れを売りながら家族を養いました。その後、1859年の横浜港開港を機に横浜で商売を始め、生糸や羽二重などを外国商社と取引して巨利を得ます。この経験から国内外の金銀対価の違いによる小判の海外流出を目の当たりにした市左衛門は、中津藩を介して福澤諭吉と出会うことになります。
参考)森村市左衛門(モリムラ イチザエモン)とは? 意味や使い方 …

 

福澤諭吉から「外国人が持っていく金を取り戻すには、輸出貿易を行う他に道はない」と教えられた市左衛門は、自らが貿易の先駆者となる決心をしました。1876年(明治9年)、弟の森村豊とともに東京に貿易会社「森村組」を設立し、1878年にはニューヨークに「森村ブラザーズ」を開設して、本格的な対米貿易事業をスタートさせます。市左衛門は1919年(大正8年)9月11日に80歳で亡くなりました。
参考)創立者 森村市左衛門|学校法人 森村学園

 

森村市左衛門とノリタケ・TOTO創業の歴史

森村組は当初、工芸品や雑貨の輸出を手がけていましたが、特に主力商品となったのが陶磁器でした。欧米でヨーロッパの美しい陶磁器に触れた市左衛門は、日本でも高品質の洋食器を製造したいと考えるようになります。1904年(明治37年)、愛知県鷹羽村則武(現・名古屋市)に日本陶器合名会社を設立しました。これが現在のノリタケカンパニーの前身です。
参考)ノリタケのあゆみ|企業情報

 

日本陶器では純白の硬質磁器の開発に約20年の歳月を費やし、1914年(大正3年)に日本初のディナーセット「セダン」の生産に成功します。1913年(大正2年)には白色硬質陶磁器のディナーセットを完成させ、「ノリタケチャイナ」のブランド名で世界的に知られるようになりました。工場では社員のための夜学校も併設され、技術者育成にも力を入れていました。
参考)正直は最良の商略。ノリタケ創業者の森村市左衛門がキリスト教徒…

 

事業の拡大に伴い、森村グループは事業ごとに分社化を進めます。1917年(大正6年)には日本陶器の衛生陶器部門を分離して東洋陶器株式会社(現・TOTO株式会社)を小倉に設立。1919年(大正8年)には碍子部門を独立させて日本碍子株式会社(現・日本ガイシ株式会社)を名古屋に設立しました。同年には大倉陶園も設立され、1936年には日本特殊陶業株式会社が日本ガイシの点火栓部門から独立しています。こうして現在の森村グループの基礎が形成されました。
参考)森村グループ - Wikipedia

 

森村市左衛門と福澤諭吉の関係

森村市左衛門の人生を大きく変えたのが、福澤諭吉との出会いでした。1859年の横浜港開港後、諸大名屋敷出入り商人だった市左衛門は、金銀の交換比率の違いによる小判の海外流出という問題に直面していました。この問題を中津藩士の福澤諭吉に相談したところ、福澤は「一国の自主独立のためには商業が重要」であり、「輸出貿易を行う他に道はない」と助言しました。
参考)森村組初代社長 森村市左衛門

 

福澤諭吉の「一国の自主独立のためには商業が重要」との言葉に深く共鳴した市左衛門は、自らが貿易事業の先駆者となる決心をします。市左衛門は貿易に必要な語学や実務を学ぶため福澤の指導を仰ぎ、さらに最愛の弟・豊を単身アメリカに送り出すことを決めました。弟の豊は福澤の塾(慶應義塾)に入学して学び、卒業後の1876年に兄弟で森村組を創業します。
参考)森村兄弟(森村市太郎・森村豊/森村明六・森村開作)|福澤諭吉…

 

福澤諭吉との関係はその後も続き、市左衛門は森村豊明会を通じて1913年(大正2年)に慶應義塾大学三田大講堂の建設を支援しています。福澤の教えである「独立自営」の精神は、市左衛門の生涯を貫く理念となり、「官に頼らず民間の力で国を発展させる」という彼の経営哲学の基盤となりました。
参考)森村グループ創始者 森村市左衛門:目次

 

森村市左衛門の教育事業と森村学園

事業で成功を収めた市左衛門は、60代を過ぎると事業を後継者たちに任せ、教育や社会貢献活動に情熱を注ぐようになります。1901年(明治34年)、62歳のときに慈善団体「森村豊明会」を設立しました。これは1899年に弟・豊と長男・明六が相次いで他界したことを受け、二人の名前から一字ずつ取って命名された団体です。
参考)財団概要

 

森村豊明会は慶應大学、早稲田大学、北里研究所など多くの教育機関や研究機関に後援活動を実施しました。第一号の寄付対象は日本女子大学とその付属施設で、「女子の教育を疎かにする国は繁栄しない。文明国になるには女子教育が欠かせない」という市左衛門の信念に基づくものでした。現在も日本女子大学付属の豊明幼稚園、豊明小学校という名称が残っているのはこの功績の名残です。
市左衛門は1910年(明治43年)、71歳のとき、高輪(東京都港区)の自邸の庭に私立南高輪尋常小学校と幼稚園を設立しました。これが森村学園の前身です。設立のきっかけは、日本女子大学附属豊明幼稚園で教師をしていた甲賀ふじ先生の「美しい花を咲かせるのもいいですが、生きた人間を作ったほうがどれほど楽しいかわかりません」という一言でした。この学校設立が最晩年の仕事となり、市左衛門は没するまでの9年間を教育と人材育成に捧げました。森村学園の校訓「正直・親切・勤勉」は、市左衛門の経営理念そのものを表しています。
参考)教育理念|森村学園の教育|学校法人 森村学園

 

森村市左衛門のキリスト教信仰と経営哲学

森村市左衛門の経営哲学を語る上で欠かせないのが、彼の宗教観です。東京大学名誉教授で経済史学者の土屋喬雄は「渋沢栄一は孔孟(孔子と孟子)の教えを、森村市左衛門はキリストの精神を、伊藤忠兵衛は釈迦の心をそれぞれ事業経営のよりどころとした」と評しており、市左衛門は渋沢栄一とともに「明治大正期のメセナ(文化支援)の両雄」と称されました。
参考)正直は最良の商略。ノリタケ創業者の森村市左衛門がキリスト教徒…

 

市左衛門は「正直は最良の商略」と主張し、「自分を修養していくには宗教の助けを借りなければならない」と考えていました。当初は仏教を学び、真言宗の僧・渡辺雲照に師事していましたが、1909年に渡辺が亡くなった後、キリスト教に関心を示すようになります。1913年(大正2年)、74歳でキリスト教徒となりました。ただし、どの教会にも属さず洗礼も受けないと述べていましたが、実際には亡くなる2年前に洗礼を受けています。
キリスト教徒になったきっかけは、ヨーロッパ滞在中に学校教育を十分に受けていない人々が礼儀正しく、誠実に振る舞う姿に感銘を受けたことでした。市左衛門は「本分をつくす」という態度がキリスト教の信仰によって養われたと考えたのです。彼が制定した「我社の精神」には「海外貿易は、四海兄弟、万国平和、共同、幸福、人道のため」「約束を違えざる事」「和合協力する功果、金銀などの及ぶ所にあらず」といった項目が含まれ、事業は利益追求だけでなく世界の平和と発展に貢献すべきという信念が表れています。
参考リンク。
森村グループ創始者の詳細な歴史と経営理念について、さらに深く学べる資料です
森村グループ創始者 森村市左衛門:目次 | 先駆者たちの大地
森村市左衛門の宗教観と事業経営の関係について詳しく解説されています
正直は最良の商略。ノリタケ創業者の森村市左衛門がキリスト教徒になった理由
森村学園の創立者としての功績と教育理念について知ることができます
創立者 森村市左衛門|学校法人 森村学園
主要な実績一覧

年代 出来事 備考
1839年 江戸京橋に誕生 武具商の長男として生まれる
1876年 森村組創業 弟・豊と共に日米貿易開始
1878年 森村ブラザーズ設立

ニューヨークに拠点を開設
参考)オールドノリタケの歴史 href="https://japan-porcelain.com/history/" target="_blank">https://japan-porcelain.com/history/amp;#8211; 日本ポーセリン協会

1901年 森村豊明会設立 教育・社会貢献活動を本格化
1904年 日本陶器創立 現・ノリタケの前身企業
1910年 森村学園設立 高輪の私邸に小学校・幼稚園開校
1917年 東洋陶器設立

現・TOTOの創業
参考)森村商事株式会社

1919年 日本碍子設立 現・日本ガイシの創業
1919年 逝去(享年80) 教育と事業に生涯を捧げる

森村市左衛門が築いた森村グループは、現在もノリタケ、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業といった世界的なセラミックス企業として発展を続けています。彼の「國利民福」(国の利益と民の幸福)という理念は、今も森村グループ各社の経営に受け継がれており、日本の産業発展に貢献し続けています。
参考)ノリタケカンパニーリミテド、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶…