ニューヨークのメトロポリタン美術館(通称メット)は、世界有数の美術館として知られていますが、その中でも東洋陶磁器のコレクションは特筆すべき存在です。現在、メトロポリタン美術館の中国陶磁は、正面玄関の大ホール吹き抜けを囲む2階の回廊と、その回廊と1階からの大階段の登り口をつなぐ廊下に陳列されています。訪問者は約300点ほどの貴重な陶磁器作品を鑑賞することができます。
メトロポリタン美術館のアジア美術部門は2015年に設立100周年を迎え、その長い歴史の中で収集された陶磁器は、東洋美術の精華として世界中の研究者や陶芸家たちに影響を与えてきました。コレクションには古代から清朝までの時代を網羅し、翡翠、仏像、磁器など多岐にわたる作品が含まれています。
特に中国陶磁器のコレクションは充実しており、元時代の青花磁器や明代の色絵磁器など、各時代を代表する名品が揃っています。これらの作品は単なる展示品としてだけでなく、陶磁器製造技術の歴史的発展を理解する上でも貴重な資料となっています。
メトロポリタン美術館における中国陶磁器の展示方法は、時代とともに大きく変化してきました。1907年頃の古い写真を見ると、当時は大量密集展示が行われていたことがわかります。ガラスケースの中に多数の陶磁器が所狭しと並べられ、まるで宝物庫のような印象を与えていました。
1933年の写真でも同様の展示スタイルが続いていましたが、現代の美術館展示の考え方が変わるにつれ、メトロポリタン美術館の展示方法も徐々に変化していきました。現在では、各作品の芸術的価値や歴史的背景をより理解しやすいよう、余裕を持った配置と詳細な解説が施されています。
展示場所も変更されており、かつては別の場所に展示されていた中国陶磁が、現在は正面玄関の大ホール吹き抜けを囲む2階の回廊と、その回廊と1階からの大階段の登り口をつなぐ廊下に移されました。この配置変更により、多くの来館者が自然と中国陶磁器のコレクションに触れる機会が増えています。
また、美術館の奥にはさらに中国陶磁を陳列している場所もあるとされ、コレクションの規模の大きさを物語っています。展示方法の変遷は、単に美的感覚の変化だけでなく、陶磁器に対する研究や理解の深まりを反映しているといえるでしょう。
メトロポリタン美術館が所蔵する青花磁器コレクションは、その質と量において世界屈指のものです。特に元時代から明代にかけての青花磁器は、中国陶磁史における重要な転換期の作品として高く評価されています。
元時代の『青花魚藻文皿』は、イスラム文化の影響で中国には元来無かった大皿が制作され、輸出されるようになったという東西交流の一面を示す貴重な作例です。この大皿に描かれた魚と水草のモチーフは、当時の絵画的表現の高まりを示しています。
また、明代宣徳年間の『青花龍文壺』は、三本爪の龍のほかに鬼面(キールティムカ)4面が描かれているのが特色で、ニューヨークメトロポリタン美術館の所蔵品と一対をなすものが日本の出光美術館にも所蔵されています。この壺は1970年頃までタイのバンコクにあり、暹羅(シャム)国の朝貢の回賜品だったと考えられています。
元時代の『青花騎馬人物文壺』は王昭君の故事を描いたもので、当時の社会背景や文化交流を知る上でも重要な作品です。これらの青花磁器は、コバルトブルーの発色の美しさだけでなく、その絵付けの技術や構図の妙、そして歴史的背景を含めて研究価値の高いコレクションとなっています。
メトロポリタン美術館と日本の陶磁器との関わりは深く、多くの日本の陶磁器が同館のコレクションに収められています。特筆すべきは、日本の陶磁器が単独で展示されるだけでなく、中国や朝鮮半島の陶磁器と比較展示されることで、東アジア陶磁器の相互影響関係が視覚的に理解できる点です。
日本の陶磁器コレクションには、縄文・弥生時代の土器から始まり、桃山時代の志野焼や織部焼、江戸時代の伊万里焼や柿右衛門様式の磁器まで、日本陶磁史を網羅する作品が含まれています。特に桃山時代の『志野山水文鉢』は、龍門の滝登りに挑む2匹の鯉を描いた作品ですが、画題を裏切るのんびりした画風が特徴的で、日本独自の美意識を感じさせます。
また、メトロポリタン美術館では2019年から2020年にかけて「竹工芸名品展:ニューヨークのアビー・コレクション」という展覧会が開催され、日本の竹工芸と陶磁器の関係性にも光が当てられました。この展示では、初代田辺竹雲斎(1877-1937)の作品など、大阪の竹工芸家による作品と、形状や意匠が類似する中国陶磁器が並べて展示され、素材の違いを超えた美の交流が示されました。
日本と米国の美術交流は明治時代から活発に行われており、メトロポリタン美術館のコレクション形成にも日本の美術商や収集家が大きく貢献してきました。このような文化交流の歴史は、現代の陶芸家にとっても創作のインスピレーション源となっています。
メトロポリタン美術館のアジア陶磁器コレクションは、多くの篤志家や収集家からの寄贈によって形成されてきました。特に注目すべきは、2015年にアメリカのコレクター、フローレンス・アーヴィングとハーバート・アーヴィング夫妻が寄贈した1275点ものアジア美術品です。
アーヴィング夫妻は、彼らの寄贈品の一部がメトロポリタン美術館の所蔵品と重複することを認識し、美術館が寄贈品を売却できることに同意しました。その売却収入は、将来美術館の作品購入のために利用されることを条件としていました。実際に2024年10月には、メトロポリタン美術館のコレクションによる300点以上の中国美術品がサザビーズ・ニューヨークのオークションに出品されました。
このオークションでは、古代から清朝までの翡翠、仏像、磁器など120点以上が出品され、中でも清朝に制作されたスピナッチグリーンの翡翠筆筒は、予想落札価格が50万〜70万ドル(約5000万〜7500万円)と推定される注目作品でした。予想落札価格の総額は260万〜380万ドル(約2億8000万〜4億円)に達し、メトロポリタン美術館のコレクションの質の高さを物語っています。
美術館のコレクション形成には、このような寄贈や購入だけでなく、専門的な知識を持つキュレーターの存在も重要です。メトロポリタン美術館のアジア美術部門長であるマクスウェル・ハーンは、「フローレンスとハーバート・アーヴィングは先見の明と情熱をもった収集家であり、その献身と寛大さが美術館の所蔵品を劇的に変化させました」と述べており、個人収集家と美術館の協力関係の重要性を強調しています。
メトロポリタン美術館の陶磁器コレクションは、陶磁器製造に携わる人々にとって、技術の歴史的発展を学ぶ貴重な資料となっています。特に中国陶磁器の製造技術は、世界の陶磁器生産に多大な影響を与えてきました。
例えば、元時代の青花磁器は、コバルト顔料を用いた下絵付けの技法が確立された時期の作品です。『青花魚藻文皿』などの作品からは、下絵の描き方や釉薬の掛け方、焼成温度の管理など、当時の技術水準を読み取ることができます。これらの技術は後に日本の伊万里焼や欧州のデルフト焼など、世界各地の陶磁器製造に影響を与えました。
また、鎌倉時代後期の日本の『灰釉牡丹文共蓋壺』は、中国の青磁壺を模倣したものですが、轆轤を使わず、粘土紐を積み上げて整形されています。このような製法の違いは、当時の技術伝播の過程や地域ごとの技術的特徴を示す重要な情報です。
メトロポリタン美術館のコレクションには、磁州窯の『白地黒掻落牡丹唐草文枕』のような白と黒のコントラストが美しい作品も含まれています。この掻落技法(スグラフィート)は、白い化粧土の上に黒い釉薬を塗り、その一部を掻き落として文様を表す高度な技術で、現代の陶芸家にも影響を与えています。
さらに、イスラム文化の影響で中国に導入された大皿の製造技術や、朝鮮半島の『白砂鉄砂龍文壺』に見られる鉄絵技法など、異文化交流によって生まれた技術革新も多く見られます。これらの作品を詳細に研究することで、現代の陶磁器製造にも応用できる伝統技法の奥深さを理解することができるでしょう。
メトロポリタン美術館の陶磁器コレクションは、単なる美術品としてだけでなく、製造技術の歴史書としても読み解くことができます。釉薬の調合法、焼成温度の管理、装飾技法の変遷など、陶磁器製造の各工程における技術的発展を時系列で追うことができる点は、現代の陶芸家にとって非常に価値のある学びの場となっています。
メトロポリタン美術館の公式サイト - アジア美術コレクション検索ページ(英語)
メトロポリタン美術館の豊富な陶磁器コレクションは、世界中の現代陶芸家にインスピレーションを与え続けています。特に、伝統的な東洋陶磁器の技法や意匠を現代的に解釈し直す動きが活発化しています。
例えば、中国の元時代の青花磁器に見られる絵画的表現は、現代陶芸における装飾技法に大きな影響を与えています。メトロポリタン美術館所蔵の『青花魚藻文皿』のような作品から着想を得て、現代の陶芸家たちは伝統的なモチーフを現代的な感性で再解釈しています。
また、日本の志野焼や織部焼に見られる自由奔放な絵付けや釉薬の偶発的な効果を取り入れた作品も増えています。メトロポリタン美術館の『志野山水文鉢』のような作品は、その独特の余白の使い方や筆致の自由さで、現代陶芸家に新たな表現の可能性を示しています。
さらに、メトロポリタン美術館では定期的に現代陶芸の展示も行われており、伝統と現代の対話が促進されています。2019年から2020年にかけて開催された「竹工芸名品展」では、竹工芸と陶磁器の関連性が示され、素材の違いを超えた造形美の普遍性が強調されました。
現代の陶芸家たちは、メトロポリタン美術館のコレクションを研究することで、単に過去の様式を模倣するのではなく、伝統技法の本質を理解した上で革新的な作品を生み出すヒントを得ています。例えば、中国の磁州窯の掻落技法や、朝鮮半島の鉄絵技法などは、現代陶芸の表現技法として再評価され、新たな文脈で活用されています。
また、メトロポリタン美術館のコレクションに見られる東西文化の交流の歴史は、グローバル化が進む現代陶芸界においても重要な示唆を与えています。異なる文化圏の技法や美意識を融合させることで生まれる新たな表現の可能性は、現代陶芸家にとって尽きることのないインスピレーション源となっています。
日本陶磁協会 - 展覧会情報(メトロポリタン美術館関連の展示情報も掲載)
メトロポリタン美術館の陶磁器コレクションは、過去の遺産を単に保存するだけでなく、現代の創作活動に活かすための生きた資料として機能しています。陶芸家たちはこれらの作品から技術的なヒントだけでなく、時代や文化を超えた美の普遍性を学び、自らの作品に反映させているのです。そして、そのような創作活動を通じて、陶磁器の伝統は現代に息づき、さらに未来へと受け継がれていくことでしょう。