汽水湖とは、海水と淡水が混じり合っている湖沼のことを指します。「汽水」という言葉は、淡水(真水)と海水の塩分が混合した状態を表し、その水を湛えている湖が汽水湖となります。一般的な海水の塩分濃度が約3.5%であるのに対し、汽水湖の塩分濃度は地域や水深によって大きく異なります。例えば、島根県の宍道湖では平均で0.3~0.5%(海水の約1/10)程度であり、中海ではより塩分が濃くなっています。
汽水湖は日本の全湖の表面積のうち、実に3分の1を占める非常に重要な生態系です。琵琶湖の表面積673.8平方kmに対して、全国の湖の表面積合計は2,380.08平方kmであり、その大部分が汽水湖によって占められています。北海道のサロマ湖(汽水湖では日本最大で面積151.59平方km)、島根県の宍道湖、中海、静岡県の浜名湖など、国内の大規模な湖の多くが汽水湖です。
汽水湖の多くは「海跡湖」として形成されています。海跡湖とは、もともと海であった場所が何らかの理由で塞き止められて湖になったもので、海からの影響が強く残っています。例えば、砂州や砂嘴が発達して海と陸地の境界を隔てることで、潟湖(ラグーン)と呼ばれる汽水湖が形成されます。一般的に浅く広い湖が多いという特徴があります。
このような形成プロセスにおいて、完全に海と分断されると時間経過とともに淡水湖へと変化し、一方で外海と通路がある場合は海水が定期的に流入するため、汽水湖として存在し続けます。汽水湖と淡水湖は湖の水質分類から見た区別であり、海跡湖は湖の形成起源からの分類という点で異なります。ただし、多くの海跡湖が汽水湖となっているため、両者は密接に関連しています。
汽水湖の最大の水質的特徴は、比重の重い塩水が下層に潜り込み、「塩分躍層」と呼ばれる塩分の急激な変化層が形成されることです。この現象により、表層では塩分濃度が比較的低い淡水が広がり、深層に向かうにつれて塩分濃度が急速に高くなります。例えば、島根県の中海では、境水道を通じて日本海とつながっており、海水がくさび状に深層に入り込むため、湖中央部の低層部の塩分濃度は25~30‰(パーミル)と高くなりますが、表層部では16‰と大きく異なります。
塩分躍層が形成されると、表層と深層の水が混合しにくくなるため、「部分循環湖」の特性を示すことが多くあります。部分循環湖では通年でほとんど混合が起こらないため、深層に停滞した塩水に含まれる酸素が消費され続け、やがて無酸素層が形成されます。この無酸素層では微生物活動により硫化水素が発生し、高濃度の硫化水素を含む水が形成されます。福井県の水月湖(最大深度34メートル)はこのような部分循環湖の典型例として知られています。
汽水湖の生物相は塩分濃度によって大きく変化することが知られており、この特性が汽水湖の生物多様性や漁業の観点から極めて重要です。淡水湖や塩分濃度が極めて低い汽水湖(2 psu以下)では、植物プランクトンの天敵である大型のミジンコ類(Daphnia属)が優占します。一方、塩分濃度が増加すると、体サイズの小さい動物プランクトンが優占するようになり、植物プランクトンに対する捕食圧が弱まります。その結果、植物プランクトンが大量発生することがあります。
生物の体サイズという観点からも、汽水域は興味深い特性を示しています。海由来の生き物は汽水域で体サイズが低下し、同様に淡水由来の生き物も汽水域で体サイズが低下する傾向が認められています。これは生き物たちが淡水とも海水とも異なる汽水環境の下で、浸透圧調節に大きなエネルギーを消費しているためです。塩分濃度が2,500~3,000 ppmの中海では、海産種と汽水種が主な植物プランクトンの構成種となり、塩分がより低い宍道湖では汽水種と淡水種が優占するという空間的な分布パターンが観察されています。
汽水湖は世界的に見ても生物の生産量が最高水準の生態系として知られています。その理由は、淡水と海水の両方から栄養が集積するという極めて有利な条件にあります。陸域から河川によって運ばれてきた栄養(窒素、リン、有機物など)と、潮汐によって海から運ばれてくる栄養がともに汽水湖に蓄積するため、栄養が豊富な環境が形成されるのです。
さらに、汽水湖は水深が浅く広い水域という特性を持つため、太陽エネルギーの恩恵を受けやすい環境になっています。浅い水深全体に日光が届くため、植物プランクトンが活発に光合成を行い、大量に増殖することができます。これを食べる魚類や貝類にとっては、まさに天国のような環境です。北海道のサロマ湖ではホタテやカキの養殖が盛んであり、網走湖では大粒のシジミが採取されています。日本最大の汽水域である島根県の宍道湖と中海を合わせた水域では、しじみの産地として全国的に有名です。
高水温期である夏季には、汽水湖の底質から栄養塩が溶出しやすくなります。特に塩分濃度が増加した年には、湖水中のリン酸態リン濃度が増加し、それに応じて植物プランクトンが著しく増加する傾向が認められています。この現象は、硫酸イオンに起因した高水温期における湖底からの栄養塩の溶出が原因です。底質から溶出した栄養塩は、表層の植物プランクトンだけでなく、底生の大型藻類を増加させることもあり、生態系全体の生産性を大幅に向上させます。
日本には数多くの汽水湖が存在し、それぞれが地域の経済や文化に大きな役割を果たしています。代表的な汽水湖としては、北海道のサロマ湖(面積151.59平方km)、島根県の宍道湖と中海(合わせて日本最大の汽水域)、静岡県の浜名湖、北海道の網走湖などが挙げられます。
宍道湖と中海は特に注目に値します。島根県と鳥取県にまたがる両湖は、幅200~400mの境水道で中海は日本海と結ばれ、さらに中海の奥からは長さ8kmの大橋川が宍道湖をむすんでいます。これらの湖は斐伊川からの淡水と日本海からの海水が混じり合った独特な水環境です。日本最大級のしじみ生産地として知られ、地域の主要産業となっています。
歴史的には、三方五湖(福井県)は興味深い例です。本来は淡水湖であったにもかかわらず、江戸時代初期(18世紀初め)以降の工事により嵯峨水道が開削され、水位が低下したために海水が侵入し、水月湖や日向湖などが汽水湖に変わりました。このように、汽水湖の形成や変化は自然現象だけでなく、人間活動の影響も受けることがあり、これは環境管理上の重要な考察ポイントとなっています。
参考:汽水湖の特徴について、環境省による詳細な技術資料が存在し、部分循環湖と完全循環湖の違い、青潮現象、塩分躍層の形成メカニズムが詳しく解説されています。
https://env.go.jp
参考:汽水湖における塩分が生物相に与える直接的・間接的な影響については、島根大学による学術的な研究報告があり、植物プランクトン、動物プランクトン、底生生物の種組成変化が系統的に記述されています。
https://ir.lib.shimane-u.ac.jp