多環芳香族炭化水素とは|発生源・健康影響・環境中の分布と鉱物との関連

多環芳香族炭化水素(PAHs)とは何か、その化学構造や特徴、発がん性などの健康影響、化石燃料や燃焼由来の発生源、環境中での分布、さらに鉱物との意外な関連性まで詳しく解説。身近な環境リスクについて、あなたはどこまで知っていますか?

多環芳香族炭化水素とは

📋 多環芳香族炭化水素の基本
🔬
化学構造の特徴

2個以上のベンゼン環が縮合した芳香族炭化水素で、100種類以上存在

⚠️
健康への影響

発がん性や変異原性を持つ物質が多く含まれる環境汚染物質

🌍
環境中の存在

大気、河川、湖沼、土壌など、あらゆる環境に広く分布

多環芳香族炭化水素の定義と化学的特徴

 

多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons: PAHs)は、ヘテロ原子や置換基を含まない芳香環が縮合した炭化水素の総称です。別名「縮合環式炭化水素」とも呼ばれ、炭素と水素のみから構成される2つ以上の芳香環が縮合した有機化合物を指します。化学式で表すと、最も単純なPAHsであるナフタレンは2環構造を持ち、3環のフェナントレンやアントラセン、4環のピレンなど、環境中には100種類以上のPAHsが存在しています。

 

参考)https://www.fsc.go.jp/visual/kikanshi/2023_No60/page11.data/vol60_p11.pdf

PAHsの化学的特性として、親油性が高く水より油に混ざりやすい性質があります。分子量が大きくなるほど水に溶けにくく不揮発性になる傾向があり、この性質のため環境中のPAHsは主に土壌中の堆積物と油性物質で見られます。ベンゼン環は6個の炭素原子が二重結合と単重結合で交互に結合した環状構造で、これらが縮合することで多様な構造を形成します。六員環でのみ構成されるものは「結合交代多環芳香族炭化水素」と呼ばれ、6個以下の縮合芳香環からなるものを「小さな」PAHs、6個より多いものを「大きい」PAHsとして区別されています。

 

参考)多環芳香族炭化水素 - Wikipedia

多環芳香族炭化水素の発生源と燃焼プロセス

PAHsの発生源は大きく分けて2つあり、1つは原油や石炭などの化石燃料中に元々含まれているもの、もう1つは有機物の不完全燃焼や熱分解によって生成されるものです。環境中に存在するPAHsは主として有機物の不完全燃焼による産物であり、ディーゼル車や暖房施設などの燃焼機関において、燃料中の直鎖炭化水素が短鎖のアルキルラジカルへと熱分解され、それらが環化・縮合を繰り返すことにより生成されます。

 

参考)多環芳香族炭化水素(PAHs)分析|【分析】製品情報|試薬-…

具体的な発生源としては、化石燃料の燃焼、油脂、木材、タバコなどの不完全燃焼が挙げられます。また、火山活動、山火事、加熱処理した食物(焼き肉など)でも生成されることが確認されています。都市部では自動車排ガスなどの移動発生源や燃焼施設の排ガスなどの固定発生源からの排出が主要な供給源となっており、特にディーゼル排気微粒子の発がん性および変異原性にPAHsが大きく寄与していると報告されています。バイオマス燃焼についても、近年その重要性が増しており、炭素を含む物質(木材、タバコ、脂肪、香など)の不完全燃焼によってもPAHsが生成されます。

 

参考)多環芳香族炭化水素(タカンホウコウゾクタンカスイソ)とは? …

多環芳香族炭化水素の健康影響と発がん性

PAHsの最も懸念すべき有害性は発がん性です。国際がん研究機関(IARC)は複数のPAHsをグループ1(ヒトに対して発がん性がある)およびグループ2B(ヒトに対して発がん性がある可能性がある)に分類しており、2009年時点で15種のPAHsが発がん性を持つ可能性があると報告されています。特に人体への影響が懸念されるベンゾ[a]ピレンなどの高分子PAHsは、大気中に浮遊する粒子(エアロゾル)に高濃度で存在し、エアロゾルが持つ変異原性の主要因とされています。

 

参考)https://www.nies.go.jp/whatsnew/2006/20060606/20060606.html

PAHsは急性毒性が強く、強い発がん性があることが知られており、その多くは生体内で代謝されることにより発がん性などの毒性を発現します。さらに近年の研究では、PAHsの水酸化体(OHPAH)や酸化体(OPAH)がエストロゲン様作用などの内分泌かく乱作用を示すことも報告されており、生体内におけるホルモンと似た作用を持つことが明らかになっています。大気汚染の原因である浮遊粒子状物質(SPM)にもPAHsは含まれており、呼吸を通じて体内に取り込まれるリスクがあります。人体への暴露経路としては、大気中の粒子状物質の吸入のほか、焼肉や焼魚、コーヒーなど加熱した食品を通じた経口摂取も報告されています。

 

参考)日本薬学会 環境・衛生部会ホームページ

多環芳香族炭化水素の環境中での分布と分析方法

PAHsは最も広範囲に渡る有機汚染物質の一つであり、大気、河川、湖沼、内湾、沿岸水、底質など、あらゆる環境に存在しています。大気中では主に2〜6環のものが検出され、その親油性の性質から土壌中の堆積物や油性物質に蓄積しやすい傾向があります。都市部における大気中の浮遊粉じんには、ディーゼル車や暖房施設などの燃焼機関から排出されたPAHsが含まれており、環境モニタリングの重要な対象となっています。

 

参考)https://www.scas.co.jp/technical-informations/technical-news/pdf/tn205.pdf

PAHsの分析方法としては、環境試料の種類に応じて様々な手法が確立されています。大気試料ではエアサンプラを用いてフィルタ上に浮遊粉じんを捕集し、ジクロロメタンで抽出後、高速液体クロマトグラフ(HPLC)で測定する方法が用いられます。水質試料では液液萃取-気相色谱-质谱法(LLE-GC-MS)、土壌試料では超音波抽出やソックスレー抽出後にガスクロマトグラフ質量分析(GC/MS)による測定が一般的です。近年では、高効液相色谱-気相色谱在线联用(HPLC-GC)技術により、土壌中の飽和烴と芳香烴を同時に測定する方法も開発されており、より詳細な環境汚染評価が可能になっています。分析の定量下限値は手法により異なりますが、大気試料でフィルタ1枚あたり0.2 ng、排水試料で0.01 μg/Lという高感度測定が実現されています。

 

参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9404041/

多環芳香族炭化水素と鉱物との意外な関連性

一般に環境汚染物質として知られるPAHsですが、実は天然の鉱物として産出することもあります。コロネンと呼ばれる芳香環が7つ連結したPAHは、高温でも最も安定なPAHとして天然に存在し、原油中にもごく微量含まれています。コロネンが純粋な結晶として天然に産出したものは「カルパチア石」という名称の有機化合物鉱物として知られており、その特異な電子的性質から光機能性材料をはじめとして様々な材料分野で利用される可能性があります。

 

参考)https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2023/20230614_1

2023年には日本で初めてのPAH鉱物として「北海道石」が発見されました。この新鉱物は北海道の鹿追町と愛別町の2産地から見つかっており、鹿追町では火山中腹にかつて存在した古温泉により形成されたオパール中に含まれ、愛別町では鉱山跡の石英(二酸化ケイ素)よりなる鉱脈の空隙に淡黄色板状の結晶として産します。PAHは有機化合物の中では高い熱安定性を有しており、燃焼ススなどにも少量見いだされますが、地質学的な高温環境下でも安定して存在できることから、地質年代上の破局的高温イベントなどの証左にもなり得る物質です。このようにPAHsは環境汚染物質としての側面だけでなく、地球科学や鉱物学の分野でも注目される興味深い化合物群であることがわかります。

製品評価技術基盤機構(NITE)による石油成分の詳細解説 - 多環芳香族炭化水素の化学構造と石油中の存在について
環境省によるアジアにおけるPAHsの発生源特定と広域輸送に関する研究資料 - 燃焼起源と石油起源の詳細分析
食品安全委員会による食品に含まれるPAHsのファクトシート - 健康影響と食品中の分布について
大阪大学による新鉱物「北海道石」発見のプレスリリース - PAHsと鉱物の関連性について

 

 


クレオソート処理された鉄道タイからバラストと隣接する湿地への多環式芳香族炭化水素移動。