須恵器と土師器の違い|製作方法・焼成温度・色と用途の特徴

須恵器と土師器は古墳時代の代表的な土器ですが、製作方法や焼成温度、色、用途にはどのような違いがあるのでしょうか?

須恵器と土師器の違い

須恵器と土師器の違い

須恵器と土師器の違いをひと目で理解
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焼成方法の違い

須恵器は窯で1000℃以上の高温焼成、土師器は野焼きで700~800℃の低温焼成

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色と質感の違い

須恵器は青灰色で硬質、土師器は赤褐色で軟質

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用途の違い

須恵器は貯蔵や供膳用、土師器は煮炊きや食器用

須恵器の特徴と製作方法

 

須恵器は古墳時代中期(5世紀前半)に朝鮮半島から伝来した陶質土器で、日本列島で初めて窯焼きで生産された焼き物です。最大の特徴は窖窯(あながま)と呼ばれる窯を使った還元焔焼成で、焼成温度は1100~1200℃に達します。この高温焼成により、須恵器は青灰色から暗灰色の色調を呈し、硬質で緻密な質感を持ちます。
参考)須恵器 - Wikipedia

製作技法では、轆轤(ろくろ)を用いた成形が大きな革新でした。小型品の場合、まず粘土紐を積み上げて素形を作り、その後轆轤の上で器体を整えて細部を引き出す二段階成形が行われました。大型の甕などでは叩き板を用いた打圧技法が使われ、外面を叩き板で叩きながら内面に当て具を当てて成形しました。
参考)考古学のおやつ/須恵器甕の叩き出し丸底技法と在来土器伝統

須恵器に使用される粘土は、土師器よりも耐火度の高い洪積層や新第三紀層の粘土が選ばれ、窯の立地から見ても品質の高い材料が厳選されていました。器種は貯蔵用の甕、広口壷、供膳器である杯身・杯蓋、高杯、鉢など多様で、特に保水性と硬度に優れた貯蔵用土器の生産が重視されました。
参考)土師器・須恵器 解説 href="https://turuta.jp/story/k-sueki" target="_blank">https://turuta.jp/story/k-suekiamp;#8211; 鶴田 純久の章 お話

鳥取県公式サイト「土師器と須恵器」では両者の用途の使い分けについて詳しく解説

土師器の特徴と製作技術

土師器は古墳時代から使用された酸化焔焼成の土器で、弥生土器の系譜を引く在来技術の焼き物です。最も基本的な特徴は野焼きによる低温焼成で、焼成温度は700~800℃程度にとどまります。浅く地面を掘りくぼめ、燃料や土器を配置して藁などを覆いかぶせて焼成する「覆い焼き」という手法が用いられました。
参考)【土師器と須恵器と弥生土器の違い】それぞれの特徴を簡単にわか…

この低温焼成により、土師器は赤褐色から黄褐色の色調を呈し、薄手で比較的柔らかく割れやすい質感を持ちます。酸化焔焼成とは燃料が完全燃焼するだけの十分な酸素がある状態で土器を焼き上げることで、これが赤っぽい色味を生み出す要因となっています。
参考)https://www.media.gunma-u.ac.jp/content/files/announce/clib/ozaki_D_18.pdf

土師器に使用される粘土は、主として集落に近い沖積層の粘土が用いられ、須恵器と比較して入手しやすい材料でした。製作技法では轆轤を使わない伝統的な手法が中心で、粘土紐を積み上げる輪積みや巻き上げといった技法が使用されました。生産効率がよく使い捨てられることも多かったため、日常的な煮炊き用や食器用として広く使用されました。
参考)土師器と須恵器/とりネット/鳥取県公式サイト

須恵器と土師器の色と質感の見分け方

須恵器と土師器を見分ける最も確実な方法は、色と硬さの違いを観察することです。須恵器は還元焔焼成により青灰色や暗灰色を呈し、表面が滑らかで硬質です。叩くとカチカチとした金属的な音がするほど硬く、水を漏らしにくい緻密な構造を持ちます。
参考)陶邑窯跡群 堺市

一方、土師器は酸化焔焼成により赤褐色から黄褐色の色調を示し、やや軟質で割れやすい特徴があります。破片から見分ける場合も、色調の違いが最も分かりやすい指標となります。須恵器の青灰色は、高温焼成時に赤い粘土が化学変化を起こして生じたものです。
参考)学芸員自然と歴史のたより「茶色の土器と灰色の土器、何が違う?…

質感の違いは、焼成温度の差から生まれます。須恵器は1100~1200℃の高温で焼かれるため土が緻密に締まり、胎土が堅く焼き締まっています。しかし、この硬さゆえに直接火にかけると急激な温度変化に対応できず割れてしまう弱点もあります。土師器は低温焼成のため熱効率がよく、煮炊き用として適していました。
参考)https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach_mobile/53/53759/117554_3_%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E7%B4%80%E8%A6%81.pdf

須恵器と土師器の用途と使い分け

須恵器と土師器は、それぞれの特性に応じて明確に使い分けられていました。須恵器は硬質で保水性に優れるため、主に貯蔵用や供膳用(食事を盛り付ける器)として使用されました。特に酒などの液体を貯蔵する大型の甕や壷、儀礼や饗宴で用いる杯や高杯として重宝されました。
参考)日本古代土器の基礎知識

土師器は煮炊き用や日常的な食器用として広く使われました。直火にかけることができるため、長胴の甕は熱効率のよい煮炊き用土器として最適でした。須恵器生産開始以降も土師器の生産は継続され、両者は共存しながら用途によって使い分けられる関係にありました。
参考)https://naganomaibun.or.jp/uploads/cbb06d78da90d3edcbc8dfa90d1dd459.pdf

興味深いのは、階層による使い分けがほとんどなかった点です。古墳時代初期には須恵器は貴重品でしたが、飛鳥時代以降は土師器と須恵器に互換性があり、両者で階層的な違いはありませんでした。むしろ「カミマツリ」や最有力者の葬送儀礼、饗宴などでは伝統食器である土師器が重要視されることもあり、倭人にとって土師器は欠かせない意味を持っていました。
参考)日本古代土器の基礎知識

平安時代になると用途の分化がさらに進み、須恵器は貯蔵や大型の供膳器に限定され、供膳器の主役は土師器の杯や皿となりました。土師器は「清浄の器」として平安貴族に永く愛好され、生産効率のよさから使い捨て食器としても活用されました。​

須恵器製作における朝鮮半島からの技術伝来

須恵器の誕生は、5世紀前半に朝鮮半島から陶質土器製作技術が伝来したことに始まります。倭国と友好関係にあった百済や伽耶から、陶質土器の技術を持った陶工集団が古墳時代に到来しました。特に朝鮮半島西南部に位置する全羅南道の栄山江流域で陶質土器を制作していた陶工集団が、栄山江を下り木浦湾から対馬海峡を経て瀬戸内にやってきたと考えられています。
参考)27 須恵器の発祥

神戸市西区で発見された吉田南、出合遺跡、印路遺跡からは初期の須恵器が出土し、出合窯址は約1600年前の日本最古級の須恵器窯とも推測されています。近畿地域、特に古市古墳群や百舌鳥古墳群周辺では初期須恵器が数万点規模で出土しており、他地域の数百点と比較して圧倒的な生産量を誇っていました。​
伝来した技術には、窖窯(あながま)という斜面にトンネル状の溝を掘って天井を土で覆う構造の窯が含まれます。窯の一方に煙突を付け、下方の焚口を密閉することで高温度での焼成が可能になりました。また、轆轤を使った成形技術も革新的で、それまでの日本にはなかった画期的な製作方法でした。
参考)https://kyureki.jp/wp-content/uploads/2021/03/ondemand_2-2.pdf

日本史辞典「土師器と須恵器と弥生土器の違い」では3つの土器の誕生背景を比較解説

須恵器と土師器を食器コレクションに活かす視点

陶器や食器に興味がある方にとって、須恵器と土師器の違いを理解することは、日本の焼き物の原点を知る貴重な機会となります。現代の陶磁器に通じる技術の多くは、須恵器から始まりました。轆轤を使った成形、窯による高温焼成、還元焔による発色コントロールなど、1500年以上前の技術革新が今日まで受け継がれています。
参考)須恵器 すえき href="https://turuta.jp/story/archives/255" target="_blank">https://turuta.jp/story/archives/255amp;#8211; 鶴田 純久の章 お話

博物館や資料館で須恵器と土師器の実物を観察する際は、色の違いだけでなく、器の厚さや重さにも注目してください。須恵器は薄手で軽量ながら硬質、土師器は比較的厚手で重みがありますが割れやすいという対照的な特徴があります。器形や装飾にも時代ごとの変化があり、古墳時代の須恵器には櫛描き文様が見られますが、平安時代になると器種が杯や皿に特化していきます。​
さらに興味深いのは、平安時代における「和風」と「唐風」の使い分けです。緑釉陶器などの施釉陶器が唐風を表現したのに対し、白色土器や土師器は和風を表す供膳器として評価されました。このような文化的背景を知ることで、古代日本人の美意識や器に対する価値観を深く理解できます。日本の食器文化の根底には、実用性と美しさ、そして伝統への敬意が常に共存していたことが、須恵器と土師器の歴史から読み取れるのです。​