マヨネーズは油滴が水に分散した「水中油滴型(O/W型)エマルション」の代表例です。エマルションは本来、混ざり合わない二つの液体が一見均一に混ざり合った状態を指しますが、これは熱力学的に非平衡な系であり、時間経過とともに最終的には分離する運命にあります。
参考)Ikeda-Group
通常の状態では、油と水の界面には大きな界面張力γが働き、二相が分離しようとします。この状態でエマルションを形成し維持するには、界面自由エネルギー変化ΔG = γ × ΔA(Aは表面積)を小さく保つ必要があります。ここで重要な役割を果たすのが乳化剤です。マヨネーズの場合、卵黄に含まれるレシチンが乳化剤として機能し、油滴の表面に吸着することで界面張力を低下させ、エマルション構造を安定化させています。
参考)生活協同組合おおさかパルコープ|商品検査室だより
分散粒子のサイズはサブミクロンから数十ミクロンの範囲にあり、このサイズ領域ではコロイド粒子として振る舞います。コロイドとは、分子がいくつか集まってひと塊となって分散した状態であり、分子レベルで溶解している真の溶液とは異なります。マヨネーズの白濁した外観は、この油滴コロイド粒子が光を散乱することで生じています。
参考)https://www.1101.com/kasoken/2003-08-01.html
マヨネーズは温度変化に対して非常に敏感で、特に冷凍と高温加熱という両極端な温度条件で分離現象が顕著に現れます。この分離の根本的な原因は、油脂の結晶化とそれに伴う多形転移です。
参考)https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/record/2003536/files/k7722_1.pdf
冷凍によってマヨネーズが分離する現象は、油脂成分が結晶化し、その結晶が乳化膜を物理的に突き破ることで生じます。研究によれば、冷凍・解凍プロセスでは大豆油などの構成脂肪酸が結晶化し、さらに多形転移(結晶構造の変化)を起こすことが確認されています。この結晶化した油脂が尖った形状で乳化膜を破壊するため、常温に戻しても油分が分離したままになってしまいます。
一方、加熱による分離も問題となります。マヨネーズの乳化は卵黄のタンパク質が乳化剤として機能することで成り立っていますが、高温ではこのタンパク質が変性し、乳化能力を失います。さらに興味深いのは、タンパク質と油脂の混合系における「相分離温度」の概念です。最近の研究では、チーズと水の混合物において特定の温度以上で成分が分離する「相分離」現象が詳細に解析され、その相図(温度と濃度の関係図)が作成されています。マヨネーズにおいても類似の温度依存的な相分離メカニズムが働いている可能性があります。
参考)カチョ・エ・ぺぺ失敗の科学:デンプンと水分量が握る「モッツァ…
一見無関係に思えるマヨネーズの挙動と鉱物の相転移には、実は深い物理学的共通点があります。鉱物学における相転移とは、温度や圧力の変化によって結晶構造が異なる形態に変化する現象です。例えば、地球マントルでは深さ約660kmで大きな地震波不連続面が存在しますが、これはマントル構成鉱物であるリングウッド石がブリッジマン石とペリクレースに分解する相転移によるものです。
参考)マントル深部条件下においてマントル構成鉱物の相転移境界を超高…
この鉱物相転移の重要なパラメータが「クラペイロン勾配」であり、これは温度-圧力空間における相境界の傾きを表します。マヨネーズのような食品エマルションにおいても、温度と濃度(あるいは密度)を軸とした相図上で、安定な乳化状態と分離状態の境界が存在します。
参考)一般社団法人日本鉱物科学会2022年年会・総会/相平衡の定義…
特に注目すべきは、マントル鉱物の相転移が高温高圧条件下で多形構造を変化させる点です。マヨネーズ中の油脂結晶も温度変化により多形転移を起こし、この構造変化が物性に決定的な影響を与えます。両者とも、エンタルピーやエントロピーが変化する一次相転移として理解できる現象です。
参考)コロイド分子の秩序形成メカニズムを解明
マヨネーズのような高密度エマルションは、流動性を持ちながらも固体のような弾性を示すという特異な性質を持ちます。この現象は「ジャミング転移」という概念で説明できることが最近の研究で明らかになっています。
参考)マヨネーズとガラスの隠れたつながりを発見!
ジャミング転移とは、エマルションや泡、粉体のような非熱的な系において、粒子密度がある臨界値を超えると流体的振る舞いから固体的振る舞いに急激に変化する現象です。通常の固液相転移とは異なり、ジャミング転移では転移点よりも高密度でも粒子配置は乱れたままであり、結晶のような秩序構造は形成されません。
参考)https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2021/04/76-04_208researches2.pdf
マヨネーズは高密度のエマルションであり、油滴同士が互いに圧迫し合って変形し、接触ネットワークを形成しています。この接触ネットワークが系全体に剛性(固体的な硬さ)をもたらしますが、このネットワークはギリギリの安定性しか持たないため、非自明な臨界性が現れます。九州大学の研究グループは、マヨネーズのような高密度エマルションの粘弾性を微視的理論とマイクロレオロジー実験で測定し、理論と実験が定量的に一致することを実証しました。
この研究は、マヨネーズのようなソフトジャム固体とガラス転移の隠れた関係を明らかにしており、多様なアモルファス固体の物性を統一的に理解する上で重要な成果です。ジャミング転移の臨界指数(転移の鋭さを特徴づける数値)は、興味深いことに2次元と3次元で同じ値を取ることが知られています。
鉱物の相転移研究で得られた知見は、マヨネーズのような複雑系の理解にも応用できます。地球深部の鉱物は、圧力の増加に伴ってより高密度な結晶構造へと相転移します。例えば、マントル深部では圧力が上昇するにつれて、オリビン→ワズレアイト→リングウッド石→ブリッジマン石+ペリクレースという一連の相転移が起こります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu1932/46/9/46_9_904/_pdf
これらの相転移は温度と圧力の二次元相図上で相境界として表現され、クラペイロン方程式 dT/dP = ΔV/ΔS(ΔVは体積変化、ΔSはエントロピー変化)に従います。一方、マヨネーズのようなエマルション系でも、温度と濃度(あるいは粒子充填率)の相図上で、安定なエマルション相と分離した二相共存状態の境界線(二相共存線、Binodal Curve)が存在します。
特に興味深いのは、両系とも「過冷却」や「過加熱」といった準安定状態が存在する点です。鉱物の相転移実験では、相転移を開始または進行させるために過剰な圧力が必要となる速度論的な問題が知られています。マヨネーズにおいても、乳化剤による界面安定化により、本来なら分離すべき温度でも一定期間安定を保つことができます。
参考)http://www.mac.or.jp/mail/130401/02.shtml
東北大学の研究グループは、マントル深部の相転移境界を超高精度で決定する新手法を開発しました。この手法では、二つの相が共存した状態でX線回折強度の変化を観察することで、真の相平衡を決定します。この考え方は、マヨネーズの相分離研究にも応用可能で、安定な乳化状態と分離状態の境界を精密に決定する上で有用です。
参考)SPring-8で地球マントル主要鉱物の高圧相転移を超高精度…
マヨネーズの安定性を理解する上で、界面に働く分子間力の詳細な理解が不可欠です。エマルション粒子の安定性は、古典的にはDLVO理論(Derjaguin-Landau-Verwey-Overbeek理論)で説明されてきました。この理論では、粒子間に働くファンデルワールス引力と静電的反発力のバランスによって、粒子が凝集するか分散状態を保つかが決まります。
しかし実際の食品エマルションでは、界面に吸着した乳化剤層の立体的な反発力や、吸着層の粘弾性も重要な役割を果たします。マヨネーズでは卵黄レシチンが油滴表面に吸着層を形成し、この吸着層が物理的なバリアとして機能することで、油滴同士の合一を防いでいます。
エマルションの不安定化には複数のメカニズムが関与します:
マヨネーズの製造や保存において、これらすべての不安定化機構に対処する必要があります。特に、粒子サイズの制御は重要で、適切な乳化プロセスにより数ミクロン程度の均一な油滴を形成することで、クリーミングを抑制できます。
マヨネーズの相転移現象の理解は、単なる学術的興味を超えて、実用的な食品品質管理に直結します。冷凍耐性を持つマヨネーズの開発や、加熱調理に適した乳化製品の設計には、相転移メカニズムの深い理解が必要です。
酵素処理した卵黄を用いることで、マヨネーズの熱安定性を向上させる研究が報告されています。中性プロテアーゼで処理した卵黄は、アミノ酸のイオン化度と全体的な親水性が増加し、タンパク質の吸着能力が向上します。これにより、加熱時の油滴合一を効果的に抑制できます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9511691/
また、油脂組成の制御も重要です。ジアシルグリセロール(DAG)を含有するマヨネーズは、通常のトリアシルグリセロール(TAG)マヨネーズと比較して、食後の血清中性脂肪の上昇を抑制する効果が報告されています。DAG含有マヨネーズでは、摂取後3時間目の血清トリグリセリド増加率が有意に低く、これは健康機能性の観点からも興味深い知見です。
参考)花王
相転移の観点からは、マヨネーズ中の油脂が結晶化する温度(融点以下)と、タンパク質が変性する温度(通常60-80℃程度)の間に、安定な「ウィンドウ」が存在します。この温度範囲を理解し制御することが、実用的な製品設計の鍵となります。さらに、塩濃度やpHの調整により、タンパク質の等電点を避けて静電反発力を最大化するなど、多角的なアプローチが可能です。
マイクロエマルションの相転移研究では、温度と圧力の効果が比較されており、droplet構造からlamellar構造への相転移が観察されています。これらの知見は、マヨネーズのような複雑なエマルション系の構造変化を予測する上で参考になります。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/0ccd857646c6eb2dd895ba59f132aa889a59f920
鉱物学と食品科学という一見異なる分野が、相転移という共通の物理現象を通じて結びついていることは、科学の統一性を示す好例と言えるでしょう。