三酸化二ヒ素(As₂O₃)は化学式で表されるヒ素の酸化物で、安全データシート(SDS)には化学品の危険有害性や取り扱い方法が詳細に記載されています。 SDSは化学物質排出把握管理促進法(PRTR法)や労働安全衛生法に基づき作成が義務付けられており、JIS Z 7253:2019に準拠した形式で提供されます。
参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/1327-53-3.html
この物質は常温常圧で粉末状の白色固体として存在し、無味無臭という特徴があります。 分子量は197.84で、密度は3.74~3.86 g/cm³、融点は312.2℃、沸点は465℃です。 水への溶解度は25℃で20 g/Lであり、水に溶けると水和して亜ヒ酸(As(OH)₃)となり弱酸性を示す両性酸化物です。
参考)三酸化二ヒ素 - Wikipedia
天然においても方砒素華(Arsenolite)やクロード石(Claudetite)として少量産出し、自然砒や硫砒鉄鉱といったヒ素鉱物に付随して存在することが多いため、鉱石採集時には特別な注意が必要です。
参考)三酸化二ヒ素とは - わかりやすく解説 Weblio辞書
GHS分類において三酸化二ヒ素は極めて高い危険性を持つ物質として分類されています。急性毒性(経口)は区分2で「飲み込むと生命に危険」とされ、ラットのLD50値は20~385 mg/kgという致死量データが報告されています。 発がん性は最高ランクの区分1Aに分類され、IARCグループ1、NTP「K」、ACGIH「A1」という国際的評価を受けています。
参考)https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/0055.html
皮膚腐食性・刺激性は区分2で、皮膚へのばく露により紅斑、火傷、掻痒、湿疹性発疹、毛嚢炎が発生します。 眼に対しては区分1の重篤な損傷性があり、粉じんへのばく露で結膜炎、流涙、羞明、角膜損傷、浮腫を引き起こします。 生殖毒性も区分1Aと評価され、自然流産、死産、早産のリスクや出生時体重の低下が疫学研究で報告されています。
水生環境への影響も深刻で、短期・長期ともに区分1「水生生物に非常に強い毒性」と分類されています。 環境への放出を避けることが強く求められており、水域に対する深刻な危険性があるため、水、排水、下水、地中への流入防止が必須です。
三酸化二ヒ素の取り扱いには厳格な安全対策が必要です。作業前には必ず取扱説明書を入手し、全ての安全注意を理解してから作業を開始しなければなりません。 保護手袋、保護衣、保護眼鏡、保護面の着用が義務付けられており、粉じん・煙・ガス・ミストの吸入を避けるため、密閉された装置内でのみ使用することが推奨されます。
作業場所には換気設備の設置が必須で、取り扱い場所の近くには洗眼及び身体洗浄のための設備を設ける必要があります。 作業中は飲食・喫煙が厳禁で、作業後は手をよく洗うことが求められます。 管理濃度は0.003 mg/m³(ヒ素として)と定められており、ACGIHのTLV-TWAは0.01 mg/m³(ヒ素として)です。
参考)http://www.showa-chem.com/MSDS/01565840.pdf
保管に関しては、施錠して保管するか権限のある者のみが管理することが法律で義務付けられています。 容器は密閉して涼しく換気の良い場所に保管し、可燃性物質や還元剤から離しておく必要があります。 直射日光を避け、冷暗所で保管し、混触危険物質(三フッ化塩素、フッ素、三フッ化酸素、塩素性ナトリウム、還元剤、酸化剤、金属)との接触を避けることが重要です。
参考)http://www.st.rim.or.jp/~shw/MSDS/01571939.pdf
三酸化二ヒ素による中毒症状は多岐にわたります。経口摂取した場合、火傷、腹部痙攣、嘔気、嘔吐、下痢が初期症状として現れ、重症例ではショックや虚脱状態に陥ります。 1998年の和歌山カレー事件の医学的分析では、摂取後5~10分で腹部症状が出現し、中等度・重症者では低血圧、頻脈、ショックが数日続き、循環器障害が主な死因となりました。
吸入した場合は胸骨の後ろの灼熱感、咳、めまい、頭痛、息切れ、咽頭痛、衰弱が生じます。 高濃度を吸入すると呼吸器への刺激性と腐食性により、鼻粘膜刺激症状、咳、呼吸困難が出現し、肺水腫をきたして死亡することもあります。 皮膚接触では発赤、痛み、水疱、火傷が発生し、眼に入ると充血、痛み、火傷、重篤な眼損傷が生じます。
応急措置として、吸入した場合は新鮮な空気のある場所に移動し、口をすすいで液体を吐き出させ、呼吸困難時は酸素吸入を行います。 皮膚に付着した場合は汚染された衣服を脱がせ、水で洗い流した後、石鹸と多量の水で10分以上洗浄します。 眼に入った場合は流水で10分間洗浄し、コンタクトレンズは外して洗浄を続けます。 飲み込んだ場合は口をすすぎ、意識がある場合は大量の水を飲ませて吐かせ、直ちに医師の診察を受けることが重要です。
慢性ばく露による長期影響として、約2週間後には四肢末梢部に両側対称性末梢神経障害が出現し、感覚異常と疼痛を認めます。 皮膚障害としては紅斑性発疹、黒皮症、色素脱出、過角化、爪のMees線(白線)が徐々に出現します。
三酸化二ヒ素は特別管理産業廃棄物に該当し、廃棄物の処理及び清掃に関する法律に基づいて厳格に管理されています。 産業廃棄物処理認定業者または特別管理産業廃棄物の許可業者に委託して処理しなければならず、内容物・容器を都道府県知事の許可を受けた専門の廃棄物処理業者に依頼して廃棄することが法律で義務付けられています。
参考)https://www.naitoh.co.jp/msds/msds-999999.html
使用容器は洗浄後に付着物がないことを確認してから廃棄する必要があり、空容器を廃棄する場合は内容物を完全に除去することが求められます。 漏出時には粉じんが発生しないように回収し、その後換気して漏出個所を洗浄します。 流出物が下水システムに入らないようせき止め、後で適切に廃棄する必要があります。
三酸化二ヒ素は多数の法規制の対象となっています。労働安全衛生法では特定化学物質第2類物質に指定され、名称等の表示・通知義務、リスクアセスメント対象物質、特殊健康診断対象物質として管理されています。 毒物及び劇物取締法では毒物に指定され、化学物質排出把握管理促進法(PRTR法)では特定第一種指定化学物質とされています。
環境関連法規では、水質汚濁防止法・土壌汚染対策法の有害物質、大気汚染防止法の優先取組物質、水道法の有害物質として規制されています。 輸送時には国連番号1561「三酸化ヒ素」として国連分類6.1(毒物類)、容器等級Ⅱ、海洋汚染物質に該当し、船舶安全法、航空法、道路法、毒物及び劇物取締法の規定に従う必要があります。
ヒ素は地殻中に約1.8 ppm程度存在し、主要鉱石には鶏冠石(As₄S₄)、石黄(As₂S₃)、アルセノライト(As₂O₃)があります。 最も身近なヒ素鉱物は硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)で、銅硫化物を産する鉱山にはかなりの確率で見つかります。 これを焙焼し、充分な空気と共に酸化させると、三酸化二ヒ素として昇華するため、この廃ガスを冷却して回収します。
参考)結晶美術館 - ヒ素
日本における三酸化二ヒ素の生産は、主に鉄・非鉄製錬の副産物として行われています。 非鉄製錬の煙灰には三酸化二ヒ素が多く含まれるため、煙灰を繰り返し加熱昇華させる精製方法が実用上採用されています。 国内の主要メーカーは松垣薬品工業1社とみられ、表面処理剤や医薬品などの化学薬品用途に約5トン程度が向けられています。
参考)https://mric.jogmec.go.jp/public/report/2012-05/44.As_20120619.pdf
産業用途としては、亜鉛精錬浄液工程への添加剤として約120トンが使用されており、これが三酸化二ヒ素の最大の需要先となっています。 また、ヒ化水素(アルシン、AsH₃)がGaAs基板上へのMOCVDエピタキシャル成長GaAs薄膜用原料ガスとして、半導体やLEDデバイスの製造に使用されています。
参考)https://mric.jogmec.go.jp/public/report/2008-03/As.pdf
歴史的には殺鼠剤、殺虫剤、農薬として毒性を利用されてきましたが、安全性や環境面の問題から使用は減少傾向にあります。 「石見銀山鼠捕り」という名で知られた殺鼠剤は、銀鉱石とともに産したヒ素を含む鉱石を焼き、昇華してくる三酸化二ヒ素を集めて製剤したもので、江戸時代には広く利用されていました。
医療分野では、レチノイン酸抵抗性の急性前骨髄球性白血病の治療薬として亜砒酸製剤(トリセノックス)が2004年10月に厚生労働省に承認されており、細胞毒性を利用した現代医療での活用例も存在します。 ただし、この医薬品の廃棄物処理には特別な注意が必要で、特別管理産業廃棄物として適切に処理されなければなりません。
参考)医療用医薬品 : トリセノックス (トリセノックス点滴静注1…
宮崎県高千穂町にあった土呂久鉱山では、三酸化二ヒ素製造によって鉱害が起き、多数の死者を出した歴史的事例があり、鉱石資源としての利用には環境と健康への深刻な影響を常に考慮する必要があります。
参考リンク(三酸化二ヒ素のGHS分類とSDS詳細情報)。
厚生労働省 職場のあんぜんサイト - 三酸化ニヒ素
参考リンク(ヒ素及びその化合物の健康リスク評価)。
環境省 - ヒ素及びその化合物に係る健康リスク評価について