硫化銀の化学式がAg2Sとなる理由は、銀イオンと硫化物イオンの価数に基づいています。銀は一般的に1価の陽イオン(Ag+)として安定であり、硫黄は2価の陰イオン(S2-)として存在します。化合物が電気的に中性になるためには、陽イオンの正電荷の総和と陰イオンの負電荷の総和が等しくなる必要があります。
参考)硫化銀(I) - Wikipedia
銀イオン(Ag+)が1つの場合、+1の電荷を持ちます。一方、硫化物イオン(S2-)は-2の電荷を持っているため、電気的中性を保つには銀イオンが2つ必要です。したがって、2×(+1) + 1×(-2) = 0となり、Ag2Sという化学式が成り立ちます。
参考)硫化銀の発生のメカニズムが知りたいです。 - 銀と硫黄が反応…
この価数比は化学結合の基本原理であり、他の多くの化合物でも同様の規則が適用されます。銀が一価の陽イオンとして最も安定である理由は、銀原子の電子配置と関連しており、最外殻電子が1個であることから、この電子を失うことで安定した電子配置を実現できるためです。
参考)銀 - Wikipedia
硫化銀が生成される主要な反応は、銀単体と硫化水素(H2S)の反応です。この反応は次の化学反応式で表されます。
参考)銀は錆びたり変色したりする?銀の酸化の科学を理解する - E…
2Ag + H2S → Ag2S + H2
この反応では、硫化水素が還元性を示し、銀の電子を奪って硫化銀を形成します。具体的には、銀原子(Ag)が電子を1つずつ失って銀イオン(Ag+)となり、硫黄原子(S)が2つの電子を受け取って硫化物イオン(S2-)になります。この電子の授受により、銀2原子と硫黄1原子が結合してAg2Sという化合物が完成します。
また、銀イオンを含む水溶液に硫化水素を通じると、硫化銀の黒色沈殿が生じます。この反応は次のように表されます。
参考)【高校化学】「銀イオンの性質」(練習編)
2Ag+ + H2S → Ag2S↓ + 2H+
この反応は硫化水素中の硫化物イオン(S2-)と銀イオン(Ag+)が直接結合するもので、溶解度が極めて低い硫化銀が沈殿として析出します。硫化銀は水やアンモニア水溶液にほとんど溶けないため、黒色の固体として確認できます。
参考)硫化銀
硫化銀は天然には輝銀鉱(アーゲンタイト)として産出される重要な銀鉱石です。輝銀鉱の化学組成はAg2Sであり、鈍い金属光沢を持つ鉛灰色の鉱物として知られています。世界各地の銀鉱床で産出され、メキシコ、ボリビア、ペルー、カナダなどが主要な産地です。
参考)http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/geology/mineral/miner/Ag.html
日本でも秋田県の尾去沢鉱山や兵庫県の大身谷鉱山などで輝銀鉱が産出されてきました。輝銀鉱は自然銀、濃紅銀鉱、輝安銀鉱などと共存することが多く、これらの鉱物は金銀鉱石として採掘されます。通常の金銀鉱石には、トン当たり金が数グラムから20グラム程度、銀が約200から300グラム程度含まれています。
輝銀鉱の結晶構造は温度によって変化し、常温では単斜晶系、高温では等軸晶系の構造を取ります。融点は約825℃、比重は7.23程度です。硫化銀は黒色を呈するため、白い石英中に銀黒と呼ばれる黒っぽい微粒集合体として存在することもあります。
参考)Ag2S 硫化銀
倉敷市自然史博物館の銀鉱物解説ページでは、輝銀鉱をはじめとする銀の鉱物標本の詳細な写真と産地情報が掲載されています。
銀製品が黒く変色する現象は、空気中に微量に存在する硫化水素や硫黄化合物と銀が反応して、表面に硫化銀(Ag2S)の被膜が形成されることによって起こります。この変色は「銀の錆」とも呼ばれ、化学的には酸化ではなく硫化反応です。
反応は大気中の硫化水素濃度、温度、湿度などの環境条件に大きく依存します。湿度が高い環境では硫黄分子が銀の表面に拡散しやすくなり、変色反応が加速されます。また、工業地帯や火山地域では硫化水素濃度が高いため、銀製品の変色がより速く進行する傾向があります。
この変色を除去する方法として、アルミニウム箔と塩水を用いた電気化学的還元法があります。アルミニウムは銀よりもイオン化傾向が高いため、硫化銀から銀を還元し、アルミニウムと硫黄が反応して硫化アルミニウムを生成します。この方法は、銀製品を傷つけることなく元の輝きを取り戻すことができます。
銀の変色反応は電子工学分野でも重要な課題です。電気接点材料として銀が使用される場合、硫化被膜の形成により接触抵抗が上昇する問題があります。そのため、硫化雰囲気での使用には金や白金などの耐食性の高い材料が選択されることがあります。
参考)auの元素記号とは?金の特徴や用途を図解で速習して選定に強く…
Chemical Bookの硫化銀データページでは、硫化銀の物性値、溶解性、製造方法などの詳細な化学データが網羅的にまとめられています。
硫化銀は化学的に非常に安定した化合物であり、水に不溶で酸やアルカリにもほとんど溶解しません。ただし、硝酸などの強酸化性の酸には溶解し、銀イオンと硫酸イオンを生じます。この難溶性という特徴は、銀イオンの定性分析において重要な指標となっています。
参考)https://www.you-iggy.com/ja/chemical-substances/silver-i-sulfide/
近年の研究では、硫化銀のナノ構造体が熱電変換材料や光触媒として注目されています。硫化銀は半導体的性質を持ち、バンドギャップが約1.0eVの狭ギャップ半導体として機能します。特に銀イオン伝導性が高いことから、全固体電池の固体電解質としての応用も研究されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10357456/
電池材料としての硫化銀は、従来のアルカリ金属硫黄電池と異なり、多硫化物の溶出問題がありません。これは銀イオン(Ag+)が軟らかい酸、硫化物イオン(S2-)が軟らかい塩基であり、HSAB理論(硬い酸・軟らかい酸と硬い塩基・軟らかい塩基の理論)に基づいて高い親和性を持つためです。この特性により、硫化銀は本質的に不溶性で安定な放電生成物となります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11194820/
また、硫化銀はブロモチモールブルーやブロモフェノールブルーなどの有機色素の光分解触媒としても有効性が報告されています。ナノサイズの硫化銀粒子は表面積が大きく、光照射下で効率的な触媒作用を示すことから、環境浄化分野への応用が期待されています。
硫化銀の結晶構造は温度によって相転移を起こし、約450Kでα相からβ相へと変化します。この相転移に伴い、イオン伝導性や熱電特性が大きく変化するため、材性が大きく変化するため、材料設計において重要な要素となっています。
参考)https://journals.iucr.org/paper?S2414314625001932