
龍光院所蔵の曜変天目は、中国・南宋時代(12〜13世紀)に福建省建陽市の建窯で焼かれた黒釉茶碗(建盞)です。この茶碗はもともと堺の豪商・天王寺屋津田宗及が所持していました。天正8年(1580年)、宗及は亡き父・津田宗達の菩提を弔うために大徳寺の高僧・春屋宗園を開基として大通庵を創建し、この曜変天目を納めました。その後、春屋宗園は大徳寺に戻り、慶長15年(1610年)に春屋宗園が示寂すると、江月宗玩が龍光院を継いでから大徳寺に伝わることになりました。
参考)曜変天目茶碗 (龍光院) - Wikipedia
天王寺屋会記に記された木下俊長の記録によると、「宗及没、嫡子宗凡継家督、宗凡没而無遺跡、大徳寺内龍光院江月和尚者宗凡弟也、家伝之茶器不残江月和尚江来り」と記されており、宗及の息子である江月和尚(宗及の子で後に大徳寺156世となった僧侶)が家伝の茶器をすべて龍光院に持ち込んだことがわかります。江月和尚は宗凡の弟であり、天王寺屋の茶道具すべてが龍光院に伝わったのです。古来より「此曜変天目一つを売却すれば、優に一寺を建立する事を得べしと言ひ傳たり」と言われるほど、その価値は計り知れないものとされてきました。
参考)龍光院天目 - 名刀幻想辞典
龍光院の曜変天目は、国宝三碗の中で最も地味とされていますが、その幽玄な美しさは他に類を見ません。高さ6.6cm、口径12.1cm、高台径3.8cmという寸法で、他の二碗と比べて小さめで上品な高台が特徴的です。茶碗の内側には黒釉の上に星と呼ばれる大小の斑点が群れをなして浮かび、深い藍色の光彩が取り巻いています。
鑑賞のポイントは、まず正面から茶碗の全体像を把握し、その後展示ケースの周囲を時計回りに移動することです。左横まで来たら一度しゃがんで、真横から天目茶碗特有の鼈口(すっぽんぐち)と呼ばれる少しすぼまった形状や、龍光院の曜変天目に特徴的にみられる小さめで上品な高台の形を確認します。光の角度によって、茶碗の中に広がる深い藍色が宇宙を表し、小さな斑紋たちが光り輝く星のように見えます。
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静嘉堂文庫所蔵の曜変天目が華やかな輝きを持つのに対し、龍光院のものは斑文が比較的小さく、幽玄な趣を醸し出しています。また、藤田美術館のものは瑠璃色が深いのに対し、龍光院のものは「宇宙空間を眺めるような、摩訶不思議な瑠璃色」と評され、複雑で美しくキラキラと煌めく色合いが特徴です。千家中興名物には「龍光院 徑四寸、外無地、内黑、星あり、黑藥にギンあり」と記され、紀国屋彦二郎著閑窓雑記には「曜變にては最上と云ふ、黑藥銀あり」と記録されています。
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曜変天目茶碗は中国福建省建陽市の建窯で焼かれた建盞(けんさん)の一種です。建窯では近くで鉄粉をやや含む土が取れたため、それを胎土として使用していました。胎土は灰黒色や濃い灰色で、実用品として大量生産するために轆轤(ろくろ)を用いて成形されました。土に水をつけて回転させることで滑りを良くし基本的な形を作り、一部をヘラやカンナを使って整形する手法が用いられていました。
参考)天目茶碗(建盞)はどうやって焼いている?
曜変の最大の特徴である瑠璃色に輝く光彩の発生メカニズムは、2019年現在も完全には解明されていません。「曜変」とは「窯変(容変)」から派生した言葉で、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指しますが、その星のような紋様・美しさから「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになりました。現代の陶芸家たちによる再現研究では、焼成過程で酸化と酸欠状態にする還元を繰り返し、還元の際に窯の温度を約900度に下げて現地の鉱石「蛍石」を加えるなどの技法が試されています。
参考)曜変天目茶碗 - Wikipedia
曜変天目の再現に挑む京都の窯元「陶あん」では、瑠璃色に輝く光彩の再現に最も苦労し、実現までに焼いた茶碗は数千個にも及んだと報告されています。2012年には中国浙江省杭州の工場跡地から破損した状態の曜変天目茶碗が発掘され、4分の1ほどが欠けているものの、建窯の製作技法を探る貴重な資料となっています。
龍光院は京都紫野の禅刹・大徳寺の塔頭寺院であり、拝観謝絶の寺院として知られています。龍光院の曜変天目は、開創以来約400年もの間、ほとんど蔵から出ることがなく、所蔵者が変わることもなく保存されてきました。この門外不出の保存状態が、龍光院の曜変天目の大きな特徴であり、他の二碗とは異なる歴史的価値を持っています。
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過去には10年に一度程度、美術館などで公開されることがあり、2017年には京都国立博物館の国宝展で展示され、2019年春にはMIHO MUSEUMで「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」展が開催されました。2019年の展覧会では、約2ヶ月にわたって公開され、龍光院の寺宝が初めて一挙公開される歴史的な機会となりました。この展覧会では、曜変天目のほか、国宝「密庵墨蹟」や重要文化財「柿・栗図」「油滴天目」なども同時に展示されました。
参考)大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい) href="https://www.miho.jp/exhibition/daitokuji-ryokoin/" target="_blank">https://www.miho.jp/exhibition/daitokuji-ryokoin/amp;#82…
昭和16年(1941年)7月3日に旧国宝(重要文化財)に指定され、昭和26年(1951年)6月9日に新国宝に指定されました。国宝三碗のうち、龍光院の曜変天目だけが所蔵者を変えずに伝わってきたことは、日本の文化財保存史においても特筆すべき事例です。龍光院自体が拝観謝絶の寺院であるため、この曜変天目を拝見できる機会は極めて限られており、一生に一度見られるかどうかという貴重な国宝として茶道愛好家や陶磁器ファンから高い評価を受けています。
龍光院の曜変天目が持つ「幽玄」という美意識は、日本の茶道文化と禅の精神が融合した独特の価値観を体現しています。華やかな静嘉堂文庫の曜変天目や、瑠璃色が深い藤田美術館の曜変天目とは対照的に、龍光院のものは「最も地味」と評されながらも「品位においてもっとも優れる」とされてきました。この評価の背景には、日本の美意識における「わび・さび」の精神があります。
参考)https://blog.goo.ne.jp/38_gosiki/e/1ddc52c4646a43925aaaa4e21c1967b9
天王寺屋津田宗及は千利休、今井宗久と共に「茶の湯の天下三宗匠」と称えられた堺の豪商でした。宗及は南宗寺の禅僧・大林宗套に参禅し、「茶禅一味」を学んで「天信」の号を与えられています。この茶禅一味の精神が、曜変天目の美しさの中に「幽玄」という禅的な価値を見出す視点につながっているのです。
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また、龍光院の曜変天目が400年間門外不出で保存されてきたことは、単なる偶然ではなく、禅寺としての龍光院の精神性と深く結びついています。龍光院は一般の拝観を受け付けず、寺宝を世俗の目から遠ざけることで、その神聖性を保ってきました。この姿勢は、茶道における「一期一会」の精神とも通じるものがあり、稀に公開される際の曜変天目との出会いを、より特別なものにしています。
現代の陶芸家たちが曜変天目の再現に挑む中で、数千個もの茶碗を焼いてもなお完全な再現には至っていないという事実は、800年以上前の建窯の陶工たちの技術と偶然の奇跡を物語っています。龍光院の曜変天目は、この奇跡を400年間守り続けてきた日本の文化財保存の歴史そのものなのです。
MIHO MUSEUM「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」展覧会情報(龍光院の曜変天目の展示履歴と詳細情報)
Wikipedia「曜変天目茶碗(龍光院)」(龍光院の曜変天目の基本情報と歴史)
家庭画報「国宝『曜変天目』を巡る旅へ」(三碗の曜変天目の比較と鑑賞ガイド)