オスマン帝国は14世紀から20世紀初頭まで約600年間にわたってイスラム世界の中心として君臨した大帝国です。イスラム帝国とは7世紀にムハンマドが創始したイスラム教を基盤とする国家で、600年代から広がりを見せましたが、1100年代にモンゴル帝国によって滅ぼされました。その後、イスラムの地域を支配する形で1200年代に誕生したのがオスマン帝国であり、イスラム帝国の文化的・宗教的伝統を継承しながら独自の発展を遂げました。youtube
参考)オスマン帝国
オスマン帝国の君主であるスルタンは、世俗の最高権力者であると同時にカリフの地位も兼ねるスルタン・カリフ制を採用し、イスラム世界の精神的指導者としての役割も担いました。1517年にエジプトのマムルーク朝を滅ぼし、メッカとメディナの保護権を得たことでカリフの称号を獲得したとされています。この二重の権威によって、オスマン帝国はイスラム教スンナ派の大帝国として小アジアからバルカン半島、地中海にも進出し、16世紀に全盛期を迎えました。
イスラム帝国時代から受け継がれた陶芸技術は、オスマン帝国で大きく花開きました。陶芸は偶像崇拝を制限するイスラム美術において最も有力な芸術分野の一つであり、イスラム帝国のアッバース朝時代(9世紀)から独自の発達を見せていた技法が、オスマン帝国によってさらに洗練されていったのです。
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イズニック陶器は16世紀のオスマン帝国時代に、トルコ西北部のイズニクの町で誕生した陶器です。この町は古くから良質な粘土が産出され、14世紀頃にはイズニック製の陶器やタイルがオスマン帝国でもてはやされ、宮殿やモスクにも多用されました。イズニックはビザンツ帝国時代にニカイアと呼ばれ、東西交易の要衝として栄えた歴史を持つ都市でした。
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イズニック陶器の技術的特徴として、胎土は珪土質ですが、焼成温度を下げ燃料を節約するために鉛が混合されています。また陶器は胎土と同じ組成のスリップで覆われており、これは初の珪土質スリップとして画期的なものでした。無色の釉の下に装飾が描かれ、1度だけで焼成されていました。初期には青が用いられ、その後青緑、緑、ピンク、灰、黒、紫、褐色なども現れるようになりましたが、イズニク陶器を最も有名にしたのは酸化鉄によって実現されたトマトのような鮮やかな赤でした。
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16世紀のスルタン・スレイマン1世の時代、スレイマニエ・モスクの建立を皮切りに大型の公共建築が盛んに造られ、イズニクの生産は陶器からタイルへ比重が移っていきました。歴代のスルタンや重臣たちがタイルを多用する壮大なモスクや廟墓を造り、イズニクの陶器タイルの需要は益々高まっていきました。宮廷工房が用意したサンプルがイズニクに送られ、これを元にタイルを製作させたことで、イズニクの技術は飛躍的に発展しました。
オスマン帝国(1299年~1922年)の時代、トルコ料理は大きな発展を遂げ、帝国の広大な領土から様々な食材と調理法が取り入れられました。特に宮廷料理はその豪華さと洗練さで知られ、スパイスやハーブ、ナッツをふんだんに使った料理が生まれました。トプカプ宮殿の厨房跡には、宮中で使われていた食器の展示があり、中国の青磁やタイのセラドン焼きなどが、飾り物ではなく実際に料理を乗せて使われていたことが確認できます。
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オスマン帝国の宮廷では、磁器の形や装飾によって用途が分けられていました。例えば、あるお皿にはチキンケバブと記されており、チキンは高価なものでしたので宮殿で頻繁に使われていました。また、その磁器の形によってジャム用、スープ用など細かく用途が決められていました。オスマン帝国の食卓では、冬季には通常シナモン、夏季には未熟のブドウと蜂蜜のシェルベティが飲まれ、客人には飲み物として通常シェルベティが振舞われました。
参考)井藤聖子のトルコ食文化を楽しむhref="http://torukomeshi.blogspot.com/2017/11/blog-post.html" target="_blank">http://torukomeshi.blogspot.com/2017/11/blog-post.htmlamp;#12316;オスマン宮廷料…
17世紀にはイズニック陶器は建築装飾としてだけではなく、食器類やオイルランプにも使用されるようになり、その色彩、フォルム、モチーフ、技術、品質すべてにおいて世界を驚嘆させる素晴らしさでした。職人たちは陶器に日常の社会生活や信仰を表すモチーフを採用したことから、トルコの人々にとって陶器は古くから愛と平和の象徴と考えられてきました。
参考)【トルコ共和国大使館・文化広報参事官室】 トルコの代表的な装…
イスラム美術における陶芸は、偶像崇拝につながるものを厳しく制限する宗教的背景の中で、全ての時代・地域を通じて最も有力な芸術分野の一つでした。陶芸は「火の芸術」として、食器などのように成形される作品と、全体で壁の外装となる個々のタイルの2つの領域に大別されます。
参考)イスラームの陶芸 - Wikipedia
イスラム陶器の技法と装飾は、アッバース朝の初期(9世紀)になって初めて独自の発達を見せました。装飾に刻線、貼付け、押型などのごく単純な技法を適用した無釉陶器から始まり、イスラム美術に共通する二つの伝統、すなわちササン朝ペルシアと古代地中海世界の伝統が陶器の技法や様式にも継承されました。前者の系統として青釉、青緑釉(ソーダ釉、アルカリ釉)陶器、後者にはビザンティン陶器の伝統による緑釉、褐釉(鉛釉)陶器があります。
技法上最も重要なのは、酸化スズによって白釉陶器が焼成されたことで、この上に金属塩(ラスター釉陶器)やコバルト(白釉藍緑彩陶器)で効果的に絵付けをすることが可能になりました。イスラム美術の特徴として、文様におけるアラベスクなど幾何学文の使用と、生物の具体表現の禁止がありますが、イランについては人像や動物像を用いたデザインも多く存在し、これらはササン朝文化の影響とみられます。
参考)イスラム陶器 いすらむとうき Islam href="https://turuta.jp/story/archives/935" target="_blank">https://turuta.jp/story/archives/935amp;#8211; 鶴…
イズニック陶器の絵付けプロセスは独特で、まず絵柄を決めることからスタートします。次にそのモチーフを描いたペーパーにピンで穴を開け、ペーパーの穴から炭が落ちることにより陶器の表面に絵柄が現れます。さらに黒の染料で輪郭を描き、色付けをした後、艶出しをしてから釜で焼く工程を経ます。このような伝統技法は文献として残されていませんが、現代に至るまで脈々と受け継がれてきました。
オスマン帝国の陶器文化において、中国陶磁器の影響は無視できない重要な要素でした。征服王メフメト2世期に始まるオスマン朝陶器としてのイズニック陶器初期に、ババ・ナッカシュ様式陶器があります。ババ・ナッカシュとは、メフメト2世期の写本芸術の大家であり、この様式は中国陶磁器の影響を色濃く受けていました。
オスマン朝内においては、イズニク陶器と中国陶磁器との競合があったとみられます。トプカプ宮殿では中国の青磁やタイのセラドン焼きなどが実際に料理を乗せて使われており、イズニック陶器は中国陶磁器と並んで宮廷で愛用されていたことがわかります。中国の陶磁器は14世紀中頃に青花(染付)の色彩や装飾においてイスラーム陶器から影響を受けながらも、逆にイスラーム陶器も中国陶磁に影響を受けながら独自の発展を遂げていきました。
参考)惹かれあう美と創造 — 陶磁の東西交流
16世紀のオスマン帝国では、イズニック陶器が中国磁器に触発されながらも独自の様式を確立していきました。ブルーと白を基調とした華麗なデザインが特徴で、様式化された独特の植物模様や花の模様が描かれてイスタンブールを中心とするオスマン帝国宮廷社会でもてはやされました。生命力溢れるリズミカルなラインで花や植物のモチーフが繊細に描かれ、文字カリグラフィーの筆遣いも加わることで、中国陶磁器とは異なるオスマン独自の美意識が表現されていたのです。
参考)トルコ陶器の魅力を探る:その伝統と現代性の融合
イズニック陶器の伝統は17世紀後半以降、生産が急速に衰えましたが、その美しさと技術は現代に至るまで受け継がれています。16世紀のオスマントルコ全盛の時代に開花した多彩な色使いが印象的なイズニック陶器は、現代の食器デザインにも大きな影響を与え続けています。
参考)https://www.kirin.co.jp/alcohol/beer/daigaku/ART/art/no42/
「IZNIK トルコ鍋島」として知られる現代の製品は、16世紀のオスマントルコ時代に無名の陶工の苦役によって生まれたイズニク陶器を再現したもので、日用品として扱われたために伝承品は希少です。現代のトルコ陶器は伝統的な技法を尊重しつつ、モダンな要素を取り入れることで、新しい世代にも愛されています。鮮やかな色彩と繊細な模様が特徴で、トルコ文化や自然からインスピレーションを受けており、各作品が物語を語るような魅力を持っています。
参考)IZNIK
トルコ陶器の伝統と現代性の融合について詳しく解説
イズニックタイルは955年頃を起源とするカラハン時代の建築物にも施されており、今日に至るまで千年以上もの長い歴史を誇るトルコを代表する伝統美の一つです。独自の技法で粘土を形成し、様々なモチーフを描くイズニックタイルは15世紀初めに花開き、トルコで最も重要な手工芸として確立しました。現代では、トルコを訪れる観光客にとって人気のお土産となっており、食器やタイルとしてその美しさが世界中で楽しまれています。
参考)トルコのタイルや食器は人気のお土産!歴史や特徴、製法を徹底解…
オスマン帝国時代の陶器文化は、単なる工芸品の域を超えて、イスラム世界の美意識と食文化を体現するものでした。陶器に込められた職人たちの創造性と技術は、現代の私たちの食卓にも豊かな彩りと歴史の深みをもたらしてくれるのです。