オランダの正式国名である「Nederland」という単語は、オランダ語では「ネーデルラント」と読み、英語式では「ネーデルランド」と読むことができます。この違いは言語による発音の差異によるものですが、オランダ語式の「ネーデルラント」の方が、より正式な正しい発音であると考えられています。
参考)オランダの正式名称はネーデルランドとネーデルラントのどっち?…
「Nederland」は「低地」という意味を持ち、「ne」は「下の、低い」を意味する古英語または印欧祖語が語源とされ、「-der」は場所や方向を表す接尾語で古ゲルマン語に由来します。オランダは多くの地域が海面よりも低い国であり、「ネーデルラント」という名前はオランダの地理的な特徴を表現したものです。
参考)ネーデルラントの語源や由来、正式名称や意味とは
歴史的には、ネーデルラントという呼称は現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国(ベネルクス)にあたる低地地域に存在した諸邦群を表す歴史学用語として使われてきました。現在では、より狭い地域に限定され、ホランド州を中心とした北部ネーデルラントのみを指し、正式国号の英語表記は「Netherlands」となっています。
参考)ネーデルラント - Wikipedia
「オランダ」という呼称は、アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなどの主要都市が位置する中心的な州である「ホラント州」(Holland)が語源となる言葉です。16世紀頃、ポルトガル人宣教師によってポルトガル語における「Holanda」(オランダ)という俗称が戦国時代の日本へと伝わり、それに「和蘭」「和蘭陀」「阿蘭陀」といった漢字が当てられることによって、日本国内に「オランダ」という呼称が定着していきました。
ホラントの語源には、hol(穴や窪地、凹地の意味)+land(土地、地域)とする説と、holt(雑木林、森)+land(土地、地域)に由来するという有力な説があります。干拓が進む前のオランダの一部には湿地や沼地が広がり雑木林があったため、この低地地方特有の風景から「holtland(森の土地)」となり「Holland」の語源になったとされています。
参考)なぜ「オランダ(Holland)」と呼ぶのか
2020年1月以降、オランダを指す正式名称は「The Netherlands(ネーデルラント)」のみとなり、「Holland」の使用は国際社会でのイメージや観光促進のために廃止されました。
参考)オランダ、国名の通称「Holland」の使用を廃止
デルフト陶器(デルフト焼)は、オランダのデルフトおよびその近辺で16世紀から生産されている陶器で、白色の釉薬を下地にしてスズ釉薬を用いて彩色、絵付けされる陶器です。オランダでスズ釉薬で絵付けされた陶器を最初に制作したのは、アントウェルペンのグイド・ダ・サヴィーノで、1512年のことでした。
参考)デルフト陶器 - Wikipedia
ファイアンス焼きがオランダで主流になったのは16世紀以降で、イタリアまたは中東で9世紀以前より使われてきた技法です。それ以前のオランダでは質の良い陶器を作る技術がありませんでしたが、原料となる粘土の選定や技術をイタリアで学び、オランダ独自のファイアンス焼きが出来上がったのは16世紀後半のことでした。
参考)【オランダ】名誉称号授与・王室御用達のデルフトブルーの歴史 …
デルフト焼は当時のオランダに大量に輸入されていた中国磁器を模倣して作られたもので、富裕層にしか手の届かなかった中国磁器を自国で生産するために、粘土の調合や焼成方法を工夫し、磁器のような陶器の製作が可能になりました。デルフトの工房では、デルフトやベルギーのトゥルネー、ドイツのラインラントから取り寄せた粘土を混ぜ、1615年頃からは青色の絵付けを鮮やかに引き立たせるために白いスズ釉薬が用いられるようになりました。
参考)日本からも注文できる!オランダのデルフト焼のオンラインショッ…
1654年にデルフトで弾薬庫で保管されていた火薬が大爆発を起こし、多数の醸造所が甚大な被害を被りました。これによりデルフトの醸造産業は衰退し、広い醸造所跡地を広い工房が必要だった陶芸職人が買い取りました。このような陶芸職人の中には、「二つの大ジョッキ」「若いムーア人の頭」「三つの鈴」など、以前の醸造所の屋号をそのまま使用し続けたものもいました。
オランダでスズ釉陶器の生産がもっとも盛んだったのは、1640年から1740年のことです。17世紀にはデルフトだけでも約30の陶器工場があったことが分かっており、デルフトブルーは瞬く間に人気が上昇し、オランダ各地に広まりました。また王室用の食器や花瓶にもデルフトブルーが取り入れられ王室コレクションにもなっています。
参考)オランダアートひとり旅#08.ロイヤル・デルフト~白地に青が…
しかし、18世紀後半になると英国製の安価で高品質のライバル陶器の出現により、デルフトブルーの需要は一気に激減しました。19世紀に入ると、イギリス製の安価な磁器の流通によってデルフトの陶器工房の多くが廃業し、また産業革命による技術革新で印刷技術が発展したことで工場生産品が広く出回るようになり、1つ1つ手作りのデルフトブルーの需要は皆無となってしまいました。
デルフト焼の詳細な歴史と技術について(デルフトブルーの歴史)
デルフトブルー工房が全て消え去る前に、職人のJoost ThooftさんとAbel Labouchereさんの2人が唯一残っていた最後の工房を買い取りました。デルフトブルーの再起を目指した2人は陶器の品質の見直しをはかり、より強い粘土を発見し、デルフトブルーの品質を向上させました。
1904年に工房を有限会社「Porceleyne Fles」とし、その後も陶磁器業界の名声を回復する働きを続けた結果、40年にも及ぶ彼らの努力が認められ1919年に名誉称号「Royal」(ロイヤル:王室御用達)の称号を付与されました。伝統的なデルフトブルーを生産しているのは「Koninklijke Porceleyne Fles」(ロイヤルデフト)のみとなっており、工場生産では生み出せない品質と味わい、そして長きに渡って伝承されてきた職人技で1つ1つ造られています。
ロイヤルデルフトの工房には美術館が併設されており、そこではデルフトブルーの歴史や工法が学べ、様々な歴代の陶器や工房内を見学することができます。デルフトブルーは「デルフトブルー」という愛称で親しまれ、白地に鮮やか藍色の美しい染め付けが特徴です。
参考)オランダ伝統工芸・デルフト陶器
美術史的にネーデルラント美術という場合、その範囲は、イタリア・ルネサンスに対して北方ルネサンスといわれる15~16世紀の美術のうち、独立以前のベルギー、オランダの地域に展開した美術をさします。ネーデルラント美術の中心は絵画であり、14世紀後半から15世紀初頭に、この地方からフランスにかけて活躍したミニアチュール画家の大部分は、フランドルを中心とするこの地方出身の人たちでした。
参考)ネーデルラント美術(ねーでるらんとびじゅつ)とは? 意味や使…
15世紀に至ると、油絵の発見者とまでいわれるファン・アイク兄弟の出現によって、イタリア・ルネサンスと並び称せられるみごとな北方ルネサンス絵画を展開しました。それは、イタリア絵画の理想主義、古典復活に対して、大地と結び付いた生活のなかからみいだした生命の喜びや自然への愛情の表現でした。
デルフトでは、家庭で普段使用する装飾のほとんどないものから、意匠を凝らした美術品とよべるものまで、様々な種類の陶器が制作されていました。装飾画が描かれた絵皿も多く制作されており、風車、漁船、狩猟、風景、海洋など、オランダを代表するようなモチーフが描かれた絵皿が好まれました。絵皿のセットには詩歌が書かれており、会食の場で食後のデザートがこのような絵皿で供されることもあり、デザートを食べ終わると、絵皿に書かれた詩歌を全員で歌い出すといった光景も見られました。
デルフト焼は17世紀の中国陶器やペルシア、そして日本の伊万里焼きと東方貿易の影響を色濃く受け、模倣と試行錯誤の末、完成されました。絵柄には当初、中国磁器の影響が見られましたが、次第に風車や海などオランダ特有のモチーフも描かれるようになりました。
参考)302 Found
当時のネーデルラントでは、新種の花の輸入や開発が非常に盛んで、業者の中には球根ひとつと自分の娘を引き換えにする者もいたと言われているほどでした。この花への情熱は陶器の装飾にも反映され、陶器製の花瓶も人気を集めました。
参考)https://www.marinopage.jp/%E3%80%8C%E9%99%B6%E5%99%A8%E8%A3%BD%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%93%B6%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%80%8D/
オランダと日本の通商は1609年から幕末まで続き、デルフト陶器は日本からの影響も受けながら独自の発展を遂げました。デルフト陶器では陶板も大量に制作されており、その制作総枚数は8億枚程度と考えられており、現在のオランダでも多くの家庭に17世紀から18世紀に制作された陶板が伝えられています。
参考)オランダの華やかな陶器
デルフト陶器の詳細な情報(Wikipedia)
現代でもオランダのお土産としても人気のあるデルフトブルーですが、その多くは工場生産のものがほとんどなのが実状です。本物のデルフトブルーは非常に頑丈に作られており、オーブンの高熱にも耐え、食洗器でガンガン回しても問題ありません。
参考)https://ameblo.jp/k0531377/entry-12529267964.html
基調色が白地に紺といった落ち着いた雰囲気なので、洋食器なのに和食にもマッチするというところもポイントが高いとされています。かわいさと実用性と耐久性を兼ね備えた素晴らしい食器として、多くのコレクターに愛されています。
デルフト陶器は骨董の世界でも人気があり、現在のオランダ(ネーデルランド)、ベルギーあたりで制作されていた焼物の総称として認識されています。白と青の壁掛け皿やマグカップなど、様々な形態の陶器が制作されており、それぞれが独自の魅力を持っています。
参考)https://www.etsy.com/jp/listing/1240091469/vuintjino-zhung-shi-denaderufuto?gpla=1
中世ヨーロッパの食事文化を見ると、磁器はまだ一般的でなく(16世紀~)、木や金属、陶器の食器を使用していました。デルフト陶器の登場は、一般の人々にも美しい食器を楽しむ機会を提供し、ヨーロッパの食文化を豊かにしました。
参考)中世後期ヨーロッパの食事について|アイ
デルフト焼きのオンラインストアも充実しており、日本からも注文できるようになっています。現代では、伝統的な技法で製作されるロイヤル・デルフトと、もう一つの工房ヘイネン・デルフトブルー(Heinen Delfts Blauw)のみが、伝統的な技法でデルフト焼を製作する工房として残っています。
オランダのユトレヒト郊外には、デルフト陶器をお安く買えるお店があり、オランダの駐在の奥さんはこぞってポーランド食器(白地に青の陶器)を購入していたという記録もあります。2025年の大阪関西万博では、オランダ館でミッフィーをあしらったデルフト陶器のタイルが展示されるなど、現代においても新しい形でデルフト陶器の魅力が発信されています。
参考)https://www.lonestarmarket.com/products/997253
デルフトブルーがどことなくアジアンテイストな画風なのは初代の職人さんが中国製品を真似たからであり、この東西文化の融合が独特の魅力を生み出しています。ネーデルラント陶器は、単なる食器としてだけでなく、歴史と文化を伝える美術品としての価値も持っており、コレクターや陶器愛好家にとって永遠の魅力を持つ存在です。