モントローズ ハードショック アメリカンハードロック 名盤 コレクター

1973年に発表されたモントローズのデビューアルバム「ハード☆ショック!」は、アメリカンハードロックの金字塔として今なお評価され続けています。後にヴァン・ヘイレンに加入するサミー・ヘイガーの圧倒的なボーカル、ロニー・モントローズの鋭いギターリフが織りなす名曲の数々を、あなたはご存知ですか?

モントローズ ハードショック

この記事で分かること
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アルバムの基本情報

1973年発表のデビュー作の全貌と制作背景

収録曲の魅力

Rock the NationやRock Candyなど名曲の詳細

💿
コレクター向け情報

リマスター版や紙ジャケット仕様の価値

モントローズ ハードショック アルバム 概要

 

『ハード☆ショック!』は、1973年10月にワーナー・ブラザーズ・レコードからリリースされたモントローズのデビューアルバムです。元エドガー・ウィンター・グループのギタリストだったロニー・モントローズが中心となり結成されたこのバンドは、アメリカンハードロックの新たな潮流を作り出しました。メンバーには、後にヴァン・ヘイレンのボーカリストとなるサミー・ヘイガー、ベースのビル・チャーチ、そしてドラムスのデニー・カーマッシという黄金のラインナップが集結しています。

 

プロデュースを手がけたのは、ヴァン・モリソンやドゥービー・ブラザーズなど数々の名盤を生み出したテッド・テンプルマンです。テンプルマンは1971年にヴァン・モリソンのアルバム『テュペロ・ハニー』でロニー・モントローズと知り合い、この出会いが本作の誕生につながりました。プロデューサーがメンバーにどんなアルバムを作りたいか尋ねたところ、彼らは「Led Zeppelin!」と答えたという逸話が残っており、ブリティッシュハードロックの影響を強く受けながらも独自のアメリカンサウンドを確立しています。

 

興味深いことに、日本ではセカンドアルバム『ペイパー・マネー』が先に発売され、このデビュー作は後から「ハード・ショック」という邦題で紹介されました。リリース当初、レーベルのワーナー・ブラザーズはこのバンドをどう売り出すべきか判断に迷い、チャートでは全米133位という控えめな結果に終わりましたが、最終的には100万枚を売り上げプラチナアルバムを獲得するという稀有な成功を収めています。

 

モントローズ 名曲 Rock the Nation Space Station #5

アルバムの幕開けを飾る「Rock the Nation」は、シンプルながら強烈なインパクトを持つギターリフで始まります。カウベルの「こん、こん、こん、こん」という音とドラムの「たど、たど、たっど、たど」というリズムが重なり、聴く者の心を鷲掴みにします。サミー・ヘイガーのボーカルはメロディを美しく歌うというより、フレーズを叫ぶような破壊力重視のスタイルで、まさに「ハードショック」という邦題にふさわしい衝撃を与えます。ギターリフ自体は技術的に複雑ではありませんが、リズムを「食う」箇所を効果的に配置することで、尖った感覚を生み出しています。

 

「Space Station #5」は、アルバムからの2枚目のシングルとしてカットされ、日本でもシングル盤が発売されました。イントロの印象的なギターリフは、モントローズの代表曲として今なお多くのロックファンに愛されています。曲の構成は、アップテンポのハードロック部分とサイケデリックなサウンド部分から成り立っており、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」を意識した作りになっているとされています。アイアン・メイデンが1992年のシングル「Be Quick or Be Dead」でこの曲をカバーしたことからも、その影響力の大きさがうかがえます。

 

「Bad Motor Scooter」は、サミー・ヘイガーの作曲による楽曲で、スライドギターによるバイクの音が特徴的です。オーバーダビングによる効果的なスライドギターの使用が、この曲に独特の疾走感を与えています。A面の冒頭3曲の連続攻撃は「ハードロック史上トップクラスの出来」と評されており、アルバム全体の完成度の高さを物語っています。

 

モントローズ Rock Candy 最もヘヴィな名曲

「Rock Candy」は、アルバム中で最もヘヴィな楽曲として知られ、メンバー全員(デニー・カーマッシ、ビル・チャーチ、サミー・ヘイガー、ロニー・モントローズ)の共作です。この曲はアルバム制作の最後に書かれ録音された楽曲で、80年代のハードロックバンド、リー・アーロンなどにカバーされるなど、後世に大きな影響を与えました。

 

デニー・カーマッシの印象的なドラムイントロは、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムによる「When The Levee Breaks」からインスパイアされたと言われています。ロニー・モントローズ自身もラジオインタビューで、カーマッシがボーナムのイントロの代替案を模索する中でこのドラムパターンが生まれたと語っています。サミー・ヘイガーは後年、「Rock Candyはデフ・レパードやザ・カルトのようなバンドにとってのスタンダードだ。長年、誰かと共演したいと思う人は必ずRock Candyを演奏したがる──チャド・スミス、ジョー・サトリアーニ、マット・ソーラム、スラッシュ、モーターヘッドのレミーも」と語っており、この曲が持つロック史における重要性を示しています。

 

「Rock Candy」は1994年の映画『The Stöned Age』で使用され、アメリカのテレビシリーズ『My Name is Earl』にも登場しました。さらに1976年版の映画『スター誕生』のヘリコプター撮影シーンでも聴くことができます。サミー・ヘイガーは自身のソロツアーでこの曲を演奏し続けており、2003年のライブアルバム『Live: Hallelujah』にも収録されています。

 

モントローズ メンバー サミー・ヘイガー ヴァン・ヘイレン

サミー・ヘイガーは、モントローズでの活動が音楽キャリアの飛躍的な転換点となりました。1947年10月13日にカリフォルニア州サリナスで生まれたヘイガーは、労働者階級の家庭に育ち、音楽を通じて成功への道を切り開きました。モントローズには1973年の結成時から参加し、デビューアルバムとセカンドアルバム『ペイパー・マネー』(1974年)で圧倒的なボーカルパフォーマンスを披露しました。

 

しかし、セカンドアルバムを最後にヘイガーはバンドを脱退し、1976年にソロデビューを果たします。ソロアーティストとして着実にキャリアを積み重ねた後、1985年にヴァン・ヘイレンのリードボーカルとして電撃加入しました。デイヴィッド・リー・ロスの後任として、多くのファンから不安視されましたが、1986年の『5150』は全米1位を記録し、RIAAで6×プラチナを獲得する大成功を収めました。「Why Can't This Be Love」は全米3位・全英8位の大ヒットとなり、サミー・ヘイガー時代のヴァン・ヘイレンの黄金期が始まりました。

 

デニー・カーマッシもまた、モントローズ解散後に輝かしいキャリアを築きました。彼はサミー・ヘイガーとの共演を経て、ロニー・モントローズの次のプロジェクトであるガンマに参加した後、ハートやカバーデイル・ペイジ、ホワイトスネイクといったビッグネームバンドのドラマーとして活躍しました。70年代を代表するドラマーとして、80年代以降も需要が途絶えることなく、その技術の高さが証明されています。

 

モントローズの詳細な来歴とディスコグラフィーについては、こちらの資料をご参照ください

モントローズ リマスター 紙ジャケット コレクター価値

『ハード☆ショック!』は、複数のリマスター版が発売されており、コレクターにとって重要なアイテムとなっています。1990年代に発売された初期のCD版は音が小さくこもっているため、購入を避けるべきだと多くの愛好家が指摘しています。2009年には24Bitリマスター盤が発売され、音質が大幅に改善されました。

 

2012年には、モントローズの初期4作品が初めて紙ジャケット仕様のSHM-CDとして発売されました。この紙ジャケット版は2012年度最新マスターを使用しており、解説と歌詞対訳が付属しています。ARC8067という型番で発売されたこの限定版は、価格が3,080円(税込)で、オリジナルのLPレコードの雰囲気を再現した豪華な仕様となっています。中古市場でも3,450円以上の価格で取引されることがあり、コレクターアイテムとしての価値が認められています。

 

2017年には、初期2作品の50周年記念エディションがデラックス版として発売されました。Disc1にはオリジナル・アルバムの2017年リマスター音源を収録し、Disc2には1974年12月にカリフォルニアのレコード・プラントで収録された未発表音源が収められています。2024年にはセカンドアルバム『Paper Money』の50周年記念エディションがシルバーVINYLで再発され、モントローズの音楽遺産が継続的に評価されていることを示しています。

 

Yahoo!オークションでの落札相場を見ると、モントローズのレコードは平均1,478円で取引されています。ただし、紙ジャケット版や限定リマスター盤は、状態が良ければより高値で取引されることもあります。メルカリでは、CD版が1,100円前後から出品されており、手軽に入手できる価格帯となっています。

 

モントローズ ロニー・モントローズ ギタリスト 遺産

ロニー・モントローズ(1947年11月29日 - 2012年3月3日)は、アメリカを代表するロックギタリストとして、多くのミュージシャンに影響を与えました。モントローズ結成前は、セッションギタリストとして活躍し、1971年にヴァン・モリソンのアルバム『テュペロ・ハニー』に参加したことがキャリアの転機となりました。その後エドガー・ウィンター・グループに加入し、アルバム1枚を残した後、自身のバンド「モントローズ」を結成しました。

 

ロニーの演奏スタイルは、シンプルながら印象的なリフを生み出すことに長けており、メロディ楽器がギター一本であるにもかかわらず、あの手この手で聴き手を魅了する技術を持っていました。「Rock the Nation」のギターパートを見ると、2回セットの2度目の頭で「空ピック」を入れ、伸ばす音符を強くビブラートで揺さぶることで、「ウッ」と息をのませる効果と下品なネチっこさを合体させ、いかにもロックらしい感覚を作り出していました。

 

モントローズ解散後、ロニーはガンマというバンドを結成し、さらなる音楽的探求を続けました。1987年にはモントローズ名義でアルバム『ミーン』を発表し、後にフォリナーに加入するジョニー・エドワーズや、キングダム・カムやスコーピオンズで活動するジェイムス・コタックといった才能あるミュージシャンと共演しました。1997年には、サミー・ヘイガーのソロアルバム『マーチング・トゥ・マーズ』で、モントローズのオリジナルメンバーが再結成し、「リーヴィング・ザ・ウォームス・オブ・ザ・ウーム」を録音しています。

 

悲しいことに、ロニーは2012年3月3日、前立腺がんのため64歳でこの世を去りました。5年前に癌の診断を受けて以来、闘病生活を続けていましたが、銃による自殺という手段を選びました。キース・エマーソンやブッチ・トラックスと同じく、偉大なミュージシャンの悲劇的な最期として、多くのファンに衝撃を与えました。

 

モントローズ ハードショック 日本での評価と影響

日本におけるモントローズの評価は特別なものがあります。1974〜75年頃に日本で発売された当時、エアロスミスやキッスが日本デビューした時期と重なっていましたが、多くのロックファンはモントローズを聴いた後では他のバンドが物足りなく感じたと証言しています。「レコードが擦り切れるくらいに聴いた」という熱狂的なファンの声が多く、日本のハードロックシーンに与えた影響は計り知れません。

 

ヴァン・ヘイレンがデビュー前にモントローズのファーストアルバムから2曲をカバーしていたという事実は、「アメリカのレッド・ツェッペリン」というキャッチフレーズが決して誇張ではなかったことを示しています。ヴァン・ヘイレンの初期サウンドの雛形となったこのアルバムは、70年代アメリカンハードロックの神髄を体現しており、後のメタルシーンにも大きな影響を与えました。

 

興味深いことに、全曲捨て曲なし、バラードなしという構成は、当時としては珍しく、ハードロック一直線の姿勢が多くのファンを惹きつけました。残念ながらセカンド以降はバランスの取れたアルバムになり、このハードロック一直線のスタイルは失われてしまいましたが、デビュー作の完成度の高さは今なお色褪せることがありません。

 

日本盤の発売が複雑な経緯を辿ったことも、ファンにとっては興味深い話題です。セカンドアルバムが先に日本で発売され、後からこのデビュー作が「ハード・ショック」という邦題で紹介されたという事実は、当時のレコード会社のマーケティング戦略を物語っています。しかし、この遅れた発売が逆にアルバムの伝説性を高め、コレクターアイテムとしての価値を生み出すことになりました。

 

現代においても、モントローズの音楽は古臭さを感じさせない普遍性を持っています。シンプルなリフとストレートなロックサウンドは、複雑化した現代のロックシーンにおいて、かえって新鮮に響きます。初めてこのアルバムを聴く若いリスナーでも、そのエネルギーと純粋なロック魂に圧倒されることでしょう。