メトヘモグロビンは健康な人にも微量ながら存在していますが、体内の還元酵素によって正常なヘモグロビンに戻されることで、一定の低濃度に保たれています。成人における基準値は0.04~1.52%、あるいは2%未満とされており、乳幼児でも3%未満が正常範囲です。この基準値を超えてメトヘモグロビンが増加すると、血液の酸素運搬能力が低下し、組織への酸素供給が不十分となる「メトヘモグロビン血症」という病態を引き起こします。
メトヘモグロビンとは、ヘモグロビン内の鉄イオンが酸化されて2価の鉄(Fe²⁺)から3価の鉄(Fe³⁺)に変化した異常ヘモグロビンです。この変化により酸素結合・運搬能力が失われ、さらにヘモグロビン全体の構造が歪められるため、正常なヘモグロビンの酸素放出も阻害されます。通常、体内ではNADHシトクロム還元酵素などの還元機構が働き、メトヘモグロビンを速やかに正常なヘモグロビンに戻していますが、この機構を上回る酸化ストレスがかかるとメトヘモグロビン血症が発症します。
メトヘモグロビン血症の詳細な医学情報(UMIN医学会総合情報)
メトヘモグロビンの濃度が上昇すると、その程度に応じて様々な症状が現れます。濃度が10~15%までは特に症状がなく、気づかれないことも多いですが、15~20%以上に増加するとチアノーゼ(皮膚や粘膜が青紫色になる症状)が生じます。これは、通常のチアノーゼがデオキシヘモグロビン5g/dL以上で出現するのに対し、メトヘモグロビンはわずか1.5g/dL程度でもチアノーゼをきたすという特徴があります。そのため、ほかに特に症状のない単独のチアノーゼの所見は、メトヘモグロビン血症を示唆する重要なサインとなります。
参考)メトヘモグロビン血症 - Wikipedia
濃度が20~30%になると、不安、頭痛、作業時の呼吸困難、精神状態の変化、倦怠感、めまい、意識消失などの症状が出現します。さらに40%以上では頭痛、めまい、呼吸困難、意識障害などの重篤な症状が現れ、50~70%では昏睡、発作、不整脈、アシドーシスが起こります。そして70%以上になると生命予後に関わる致死的な状態となります。メトヘモグロビン血症の特徴的な診断所見として、経皮的動脈血酸素飽和度(SpO₂)が低値であるのに対し、動脈血酸素飽和度(SaO₂)が正常範囲であるという乖離現象(saturation gap)が認められます。
参考)「メトヘモグロビン血症」とはどのような病気ですか? |メトヘ…
| 濃度範囲 | 主な症状 |
|---|---|
| 1~2% | 正常状態(健常者でも存在) |
| 10~15% | 無症状または軽度の皮膚変色 |
| 15~20% | チアノーゼの出現 |
| 20~30% | 頭痛、めまい、倦怠感、呼吸困難 |
| 40~50% | 意識障害、精神錯乱、頻呼吸 |
| 50~70% | 昏睡、痙攣、不整脈、重篤な低酸素症 |
| 70%以上 | 致死的 |
メトヘモグロビン濃度の測定には、いくつかの方法があります。標準的な検査方法としては、分光光度計を用いた測定法があり、pH6.6におけるメトヘモグロビンの630nmでの吸光度を測定します。この方法では、血液をヘパリン加採血管で採取し、遠心分離した後、上清の吸光度を測定することでメトヘモグロビンの割合を算出します。シアンメトヘモグロビン法と組み合わせることで、総ヘモグロビン量に対するメトヘモグロビンの割合を正確に求めることができます。
参考)http://www.iph.osaka.jp/s005/H13-1-3.pdf
近年では、非侵襲的な測定方法も開発されています。パルスオキシメータと同様の原理を用いた血液成分モニタリング装置により、採血することなく経皮的にメトヘモグロビン濃度(SpMet)を測定できるようになりました。また、血液ガス分析装置(CO-oximeter)を用いれば、動脈血ガスデータと同時にメトヘモグロビン濃度を自動的に測定できます。さらに、発展途上国などの資源が限られた環境向けに、採血した血液を白い吸収紙に滴下し、色調をカラーチャートと比較することで簡易的にメトヘモグロビン濃度を推定するベッドサイドテストも開発されています。採血後は、血液中でメトヘモグロビンの生成と還元が進行するため、測定までの保存方法に注意が必要です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2977536/
非侵襲的メトヘモグロビン測定技術の詳細(Masimo公式)
メトヘモグロビン血症には、先天性と後天性(中毒性)の2つのタイプがあります。先天性メトヘモグロビン血症は、NADHシトクロム還元酵素の欠損など酵素異常によるもので非常にまれです。一方、後天性メトヘモグロビン血症は、特定の薬剤や化学物質への曝露によって引き起こされ、臨床的に遭遇する大部分を占めます。
後天性の主な原因物質としては、以下のようなものが挙げられます:
特に注目すべきは、井戸水に含まれる硝酸性窒素による中毒です。日本国内でも、粉ミルクの調製に硝酸性窒素濃度の高い井戸水を使用したことにより、乳児がメトヘモグロビン血症を発症した事例が報告されています。水道法の基準では硝酸性窒素濃度は10mg/L以下とされていますが、井戸水では36.2mg/Lという高濃度が検出されたケースもあります。硝酸は煮沸しても変化せず、むしろ濃縮されて濃度が高くなる危険があるため、硝酸濃度の高い水を使用しないことが予防の要となります。
参考)No.77 日本での井戸水が原因の新生児メトヘモグロビン血症…
メトヘモグロビン血症は、成人よりも新生児や乳児に多く発症することが知られています。その理由は主に2つあります。第一に、乳児では生理的にメトヘモグロビンを正常なヘモグロビンに戻す還元酵素(NADHシトクロム還元酵素)の活性が、成人の50%程度しかないことが挙げられます。この還元酵素の活性が成人レベルに達するのは生後3か月頃とされており、それ以降は発症リスクが低下します。
参考)メトヘモグロビン血症とは?乳児に多い?小児科医が解説(坂本昌…
第二の理由は、赤ちゃんのヘモグロビンの特性にあります。胎児期の赤ちゃんは胎児ヘモグロビン(HbF)を持っており、これは成人型ヘモグロビン(HbA)とは構造が異なります。胎児ヘモグロビンは成人型よりも酸化されやすく、メトヘモグロビンに変化しやすいという特徴があります。出生後、胎児ヘモグロビンは徐々に減少し、約1年かけて成人型と置き換わりますが、乳児期は胎児型と成人型が混在した状況であるため、メトヘモグロビン血症を発症しやすくなっています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3459601/
実際の研究でも、臨床的に健康な6~10歳の小児におけるメトヘモグロビンの基準値は3.61~6.44%と、成人の1.9~3.8%よりも高い値が報告されています。これは、小児の赤血球中に可溶性補因子シトクロムb5の量が少なく、シトクロムb5還元酵素の活性も低いためと考えられています。したがって、新生児や乳児では、特に硝酸性窒素を含む井戸水で調製した粉ミルクや、メトヘモグロビン血症を引き起こしやすい薬剤の使用に注意が必要です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3459614/
乳児のメトヘモグロビン血症に関する詳しい解説(Yahoo!ニュース医療記事)
メトヘモグロビン血症の治療の第一選択薬は、メチレンブルーです。メチレンブルーは3価の鉄を2価の鉄に還元する作用があり、静脈内投与により速やかにメトヘモグロビン濃度を低下させることができます。日本国内で実施された臨床試験では、有効性評価対象症例41例における投与前後の血中メトヘモグロビン濃度は、それぞれ32.4%および2.0%であり、統計的に有意な低下が認められました。また、メトヘモグロビン濃度が半減するまでに要した時間の中央値は2.7時間であり、投与による速やかな効果が確認されています。
メチレンブルーは通常1~2mg/kgを静脈内投与し、必要に応じて追加投与を行います。ただし、いくつかの禁忌があることに注意が必要です。グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症(G6PD欠損症)の患者やNADPH還元酵素欠損症の患者では、メチレンブルーの投与により溶血が増悪する可能性があるため禁忌とされています。また、塩素酸塩によるメトヘモグロビン血症では毒性の強い次亜塩素酸塩が形成される可能性があり、シアン化合物中毒の解毒剤として投与した亜硝酸化合物によるメトヘモグロビン血症では、シアンによる毒性が生じやすくなるため、これらの場合も禁忌です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9291883/
メチレンブルー以外の治療法としては、アスコルビン酸(ビタミンC)の経口投与や静脈内投与があります。アスコルビン酸は非酵素系の還元機構として働き、メトヘモグロビンをゆっくりと還元します。ただし、予防効果を検討した研究では、メチレンブルーほどの即効性は認められませんでした。その他、リボフラビン(ビタミンB₂)、高圧酸素療法、重症例や難治性の場合には交換輸血や赤血球輸血も選択肢となります。急性薬物中毒が原因の場合には、メチレンブルー投与後もメトヘモグロビン濃度が反復性に再上昇することがあるため、血液透析による原因物質の体外除去を併用することも有効とされています。
メトヘモグロビン血症の予防には、原因物質への曝露を避けることが最も重要です。過去にメトヘモグロビン血症を起こしたことがある方や、家族歴がある場合には、薬剤の使用や生活環境に特に注意を払う必要があります。医療機関を受診する際には、過去の発症歴を必ず医師に伝え、原因となりうる薬剤(局所麻酔薬、サルファ剤など)の使用を避けるよう依頼してください。
参考)「メトヘモグロビン血症」とはどんな病気かご存じですか?【医師…
乳児のいる家庭では、井戸水の使用に注意が必要です。特に粉ミルクの調製に井戸水を使用する場合、事前に水質検査を実施し、硝酸性窒素および亜硝酸性窒素の濃度を確認することが推奨されます。水道法の基準では硝酸性窒素は10mg/L以下とされていますが、これを超える井戸水は使用を避けるべきです。硝酸は煮沸しても分解せず、むしろ濃縮される危険があるため、単に煮沸するだけでは予防にはなりません。硝酸濃度の高い井戸水が検出された地域では、乳児には安全な水道水やペットボトルの水を使用することが重要です。
参考)井戸水の「亜硝酸態窒素」と「硝酸態窒素」
職業的な化学物質への曝露も注意が必要です。有機染料工場などでアニリンやニトロ化合物を扱う作業では、適切な保護具の着用と十分な換気が不可欠です。特に、高温になる切削作業などでは、付着した化学物質が分解・気化してガス状のメトヘモグロビン形成物質が発生する危険があります。作業中にチアノーゼや頭痛、めまいなどの症状が現れた場合には、直ちに作業を中止し、医療機関を受診してください。また、化学物質への予期せぬ曝露が原因と考えられる場合には、その経緯を確認し、再発を防ぐための指導やカウンセリングを受けることも大切です。
参考)https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/pdf/saigai_houkoku_2024_04.pdf
メトヘモグロビンの測定方法に関する技術資料(大阪府立公衆衛生研究所)