マルテンサイトの組織写真で最も特徴的なのが、針状または笹の葉状と呼ばれる形態です。共析鋼のマルテンサイトを光学顕微鏡で400~700倍程度の倍率で観察すると、微細な笹の葉状(針状ともいう)のものがランダムな向きに配置された組織として現れます。この針状組織は、鋼を変態点以上のオーステナイト状態から急冷してMs点を通過させることで形成され、室温まで炭素が固溶したまま維持される無拡散変態の結果です。
参考)凝固条件や熱処理条件がわからない場合,マルテンサイトとソルバ…
組織写真において、マルテンサイトは腐食液に対する反応性の違いから明瞭に観察できます。一例として、微細パーライトと比較すると、マルテンサイトは組織現出用のエッチング液で腐食されにくい傾向があり、これにより両者を判別することが可能です。光学顕微鏡による観察では、内部に多量の転位または双晶が存在するため、特徴的なコントラストが現れます。
鉄鋼のマルテンサイトには主に4つの形態タイプが存在します。ラス、レンズ、バタフライ、薄い板状という分類があり、それぞれ異なる内部微視組織と結晶学的特徴を持ちます。
参考)https://www.jim.or.jp/journal/m/pdf3/50/06/254.pdf
ラスマルテンサイトは一方向に伸びた幅の狭い薄い板状の形態を示し、高強度鋼に現れる代表的な組織です。界面近傍には湾曲し絡み合った転位組織が観察されるのが特徴です。一方、レンズマルテンサイトは非常に複雑な内部微視組織を有し、中央部の完全双晶から成るミドリブ(通常0.5~1.0μm程度の幅)と、その周囲の部分的な変態双晶領域から構成されます。
参考)https://www.jim.or.jp/journal/m/pdf3/54/12/626.pdf
これらの形態の違いは炭素量によっても影響を受けます。炭素鋼ラスマルテンサイト組織を光学顕微鏡で観察すると、炭素量による組織の変化が認められ、種々な腐食液による組織の現れ方にも相違が生じます。
参考)https://tetsutohagane.net/articles/search/files/63/11/KJ00004634699.pdf
マルテンサイトが鉄鋼材料の中で最も硬く脆い組織である理由は、複数の強化機構が同時に働くためです。炭素鋼マルテンサイトには、①固溶強化、②転位強化、③細粒強化、さらに④析出強化の4つの強化素機構がすべて含まれています。
特に重要なのは固溶強化の効果です。体心正方格子の鉄の結晶中に炭素が侵入した固溶体であるマルテンサイトは、炭素が侵入型位置に過飽和に固溶しているため、極めて高い硬さを示します。オーステナイトからマルテンサイトへの変態は拡散を伴わない無拡散変態であり、鋼内の炭素原子が不安定な位置に閉じ込められるため、非常に硬い組織が形成されます。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia/54/11/54_54.557/_pdf
マルテンサイト変態による硬度向上は、切削工具や金型、歯車などの用途で利用されることが多く、耐摩耗性が向上します。しかし、焼入れままのマルテンサイトは非平衡で不安定な組織であるため、焼戻しを行って適正な機械的性質を持つ焼戻しマルテンサイトに変化させることが一般的です。
マルテンサイト変態の詳細な機構と特性について(日本金属学会)
マルテンサイト組織を光学顕微鏡で明瞭に観察するには、適切な腐食(エッチング)処理が不可欠です。金属組織の観察方法は、包埋(樹脂埋め)、研磨、エッチング(腐食)、顕微鏡での組織観察という順序で進められます。
参考)金属組織の観察方法と観察・計測の合理化
組織写真の品質を左右する重要な要素として、腐食液の選択と腐食時間の調整があります。マルテンサイトとソルバイトのように組織がよく似ている場合、写真のみから違いを判別するのは困難であり、硬さや腐食性などの他の物性と併せた総合的な判断が必要です。焼入れした炭素鋼の表層部では、埋め込み樹脂と試料の間に腐食液が染み込むことによって生じるオーバーエッチングに注意が必要で、これは真のマルテンサイト組織とは見え方が異なります。
参考)https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/430700.pdf
フェライト、オーステナイト、マルテンサイトなどの金属組織をエッチングによって可視化し、光学顕微鏡を用いて観察する方法が標準的です。デジタルマイクロスコープを用いることで、より詳細な組織写真の取得も可能になっています。
参考)解説コーナー デジタルマイクロスコープを用いる溶接金属の観察…
マルテンサイト組織写真の解析は、鉄鋼材料の品質管理と特性予測において重要な役割を果たします。フェライト-マルテンサイト複合組織鋼(DP鋼)の研究では、透過型電子顕微鏡法(TEM)やSEM-EBSD法を用いた微視的変形挙動の実験的解明が不可欠です。
組織写真から得られる情報には、各相の体積分率、変形強度、分布状態、結晶粒径などがあり、これらの組織因子が力学特性と密接に関連しています。近年では、SEM-EBSD法によりサブミクロンレベルまで絞った微小領域の方位解析や弾性歪み/応力分布測定も可能となっており、より詳細な組織評価が実現しています。
実用的な応用例として、真空浸炭と高周波焼入れを複合した表面硬化処理では、マルテンサイト組織の形成プロセスが転動疲労強度や衝撃強度に影響を及ぼすため、組織写真による評価が欠かせません。過剰浸炭組織では、破面がマルテンサイトとセメンタイトの界面から破断する粒界割れを示すことが組織観察から明らかになっています。
参考)高濃度真空浸炭と高周波焼入れによる複合熱処理を施した肌焼鋼の…
複合組織鋼のマルテンサイト分率と引張特性の関係(日本鉄鋼協会)
📊 マルテンサイト組織の形態比較
| 形態タイプ | 内部組織の特徴 | 主な出現条件 | 機械的性質 |
|---|---|---|---|
| ラス状 | 絡み合った転位組織 | 高強度鋼、低~中炭素鋼 | 高強度・高硬度 |
| レンズ状 | ミドリブと変態双晶 | 中~高炭素鋼 | 複雑な内部組織 |
| 針状 | 多量の転位または双晶 | 共析鋼の急冷 | 最高硬度・脆性 |
| 薄板状 | 高密度双晶 | 特定の合金系 | 双晶による強化 |
🔍 組織観察のポイント
マルテンサイト組織の正確な評価には、倍率400~700倍の光学顕微鏡観察が基本となります。試料の前処理として、適切な研磨とエッチング処理を施すことで、形態的特徴が明瞭に現れます。腐食液の種類と腐食時間を最適化することで、マルテンサイト特有の針状組織やラス組織のコントラストを強調できます。
オーステナイトは常温下では残留オーステナイトでしか存在しない組織であるため、顕微鏡で直接観察することはできません。しかし、マルテンサイト組織中に残留オーステナイトが共存する場合があり、これが組織の単一性を失わせ、腐食速度や機械的性質に影響を与えます。
参考)やっとわかった熱処理! 理解不能な金属組織を説明しよう。
⚡ 実務での活用事例
工具鋼や金型材料の品質管理では、マルテンサイト組織写真から得られる情報を基に、熱処理条件の最適化が行われています。焼入れ後の硬度が非常に高く、耐摩耗性が求められる部品では、組織写真によるマルテンサイトの均一性と形態の確認が品質保証の重要なステップとなります。
バネ鋼の製造では、適切なマルテンサイト変態を経ることで高い弾性限界と耐疲労性を確保しますが、組織写真による変態完了度の確認が不可欠です。不完全な変態や残留オーステナイトの存在は、組織写真から判定可能であり、これにより製品の信頼性を高めることができます。