電子移動度とは、固体物質中での電子の移動しやすさを示す物理量であり、易動度とも呼ばれています。物質に電場Eをかけたときに、電子が平均速度vで移動する際の比例係数として定義され、式で表すとv=μEとなります。単位はcm²/Vsまたはm²/Vsで表現され、この値が大きいほど電子が物質中を速く移動できることを意味します。
参考)電子移動度 - Wikipedia
電子移動度は、キャリアの電荷をq、電子の有効質量をm*、緩和時間をτとすると、μ=qτ/m*という式で算出されます。この物理量は半導体デバイスの性能を左右する最も重要なパラメータの一つであり、移動度が高い材料ほど電気抵抗が低くなり、高速動作が可能になります。半導体工学において、移動度は抵抗率に反比例する関係にあり、qnμρ=1の式で表されます。
参考)移動度(Mobility)
電場の影響下で電子は熱エネルギーによって激しくブラウン運動をしながら、電場方向に徐々にドリフトします。この時の単位電場あたりの電子のドリフト速度がドリフト移動度です。電子の移動には格子散乱や不純物散乱などの障害があり、これらの散乱を考慮すると、移動度の式は1/μ=1/μa+1/μbとなります(μaは格子散乱の係数、μbは不純物散乱の係数)。
主要な半導体材料の電子移動度を比較すると、材料ごとに大きな差異が見られます。以下は代表的な半導体材料の電子移動度一覧です。
参考)https://techlabo.ryosan.co.jp/article/24052900_1089.html
| 材料 | 電子移動度 (cm²/Vs) | 正孔移動度 (cm²/Vs) | 特徴 |
|---|---|---|---|
| Si(シリコン) | 1350-1500 | 480 | 最も一般的な半導体材料 |
| Ge(ゲルマニウム) | 3600 | 1800 | 電子・正孔とも高移動度 |
| 4H-SiC | 700-1000 | - | 高耐圧パワー半導体向け |
| GaN | 900-2000 | 100-200 | 高周波デバイスに最適 |
| GaAs | 8000 | 300 | 極めて高い電子移動度 |
| InAs | 30000 | 450 | 最高クラスの電子移動度 |
| β-Ga₂O₃ | 300 | - | 次世代パワー半導体候補 |
| ダイヤモンド | 2200 | 1600 | 電子・正孔とも高水準 |
シリコンの電子移動度は1350-1500cm²/Vs程度であり、正孔移動度は約480cm²/Vsです。電子の移動度は正孔の移動度より約3倍大きく、これがn型とp型半導体の特性差を生み出します。ゲルマニウムはシリコンと比較して電子移動度が3600cm²/Vs、正孔移動度が1800cm²/Vsと、両方とも高い値を示す点が特徴的です。
参考)シリコンは時代遅れ!?いえ、シリコンは永遠ですが次世代半導体…
ワイドバンドギャップ半導体では、SiCの電子移動度が700-1000cm²/Vs、GaNが900-2000cm²/Vsとなっています。GaNとSiCの最も重要な違いは電子移動度であり、GaNはSiCよりも電子が速く移動できるため、高周波用途に約3倍適していると言われています。一方、化合物半導体のGaAsは電子移動度が8000cm²/Vs、InAsは30000cm²/Vsという極めて高い値を示しますが、正孔移動度は300-450cm²/Vs程度と低めです。
電子移動度の測定には、ホール効果測定が最も一般的に用いられる手法です。ホール効果測定とは、磁場中の半導体試料に電流を流した際に発生する電場(ホール電場)を測定する方法であり、キャリア移動度を算出することが可能です。この測定によって求められた移動度はホール移動度とも呼ばれます。
参考)ホール効果測定とは:キャリア移動度の測定原理
ホール効果の原理は、半導体試料に一定方向の電流を流し、電流に対して直交する方向に磁場を印加すると、電流と磁場の両方に直交する方向に電場が発生する現象です。電子が磁場中を移動する際にローレンツ力を受けて偏向し、試料の一方の面に電荷が蓄積されることでホール電場が生じます。n型半導体とp型半導体では発生するホール電圧の符号が逆になるため、ホール効果測定により半導体のpn判定も可能です。
測定手順としては、まず電極間に電流を流して抵抗率を測定し、次に磁場を印加してホール電圧を測定します。得られた抵抗率とホール電圧のデータから、多数キャリア濃度と多数キャリア移動度を算出できます。具体的には、ホール効果測定で分かることとして、半導体のpn判定、多数キャリア濃度、多数キャリア移動度の3つの物性値が挙げられます。測定には通常ホールバー構造の試料が用いられ、横方向に電流を流して電流と垂直方向に発生するホール電圧を測定することで、キャリア密度と移動度が求められます。
参考)ホール効果測定は簡単に見えて奥が深い
電子移動度は温度、不純物濃度、結晶性など複数の要因によって大きく変化します。移動度の温度依存性は、主に格子散乱と不純物散乱という2つの散乱メカニズムによって説明されます。格子散乱は温度が高いほど格子振動が激しくなるため移動度が低下する一方、不純物散乱は低温で主要な散乱メカニズムとなり、温度のT^(3/2)乗に比例して移動度が変化します。
参考)http://www.material.tohoku.ac.jp/~denko/lecture/denshizairyo/elec_mate_3rd.pdf
結晶性の高い材料ほど電子移動度は高くなります。例えば、β-Ga₂O₃の低温電子移動度測定では、高品質な結晶において46Kで11,704cm²/Vsという記録的な値が達成されています。また、有機半導体においても単結晶を用いることで移動度が大幅に向上し、バンド伝導を示す材料では測定温度の低下とともに移動度が上昇する特徴が確認されています。
参考)https://pubs.aip.org/apm/article/7/12/121110/122498/Low-temperature-electron-mobility-exceeding-104
不純物濃度も移動度に重要な影響を与えます。一般に不純物濃度が高いほど不純物散乱が増加し、移動度は低下します。移動度は結晶の不純物濃度、結晶性、温度、結晶歪によって変化するため、高性能デバイスの製造には高純度かつ高結晶性の材料が求められます。半導体中では電子は格子や不純物に衝突(散乱)しながら移動するため、これらの散乱を最小化することが高移動度実現の鍵となります。
電子移動度は半導体デバイスの性能を直接決定する最重要パラメータです。移動度が高い材料ほど電気抵抗が低く、高速スイッチングや高周波動作が可能になります。特にパワー半導体では、移動度の高さが低損失・高効率動作に直結します。GaNデバイスはシリコンより30%以上速く動く高い電子移動度を持つHEMT構造により、低ゲート入力電荷、低出力容量といった優れた特性を実現しています。
参考)https://esh.rohm.co.jp/s/esh-blog/gan-main-20250703-MC4BEYFKWAA5EDXOC42TRLO6XVJA?language=ja
有機半導体分野では、移動度向上が大きな課題となっています。従来の有機電子輸送材料であるAlq3の電子移動度は10⁻⁶cm²/Vs程度と極めて低く、正孔輸送層と比較しても桁違いに小さいため、より高い移動度を持つ材料開発が進められています。最近の研究では、分子構造を最適化することで30cm²/Vsを超える極めて高いキャリア移動度を持つ有機半導体材料が発見され、バンド伝導を示すことが確認されています。
参考)「超」高移動度、低電圧駆動できる有機半導体材料
トランジスタの動作速度や飽和電流は移動度に比例するため、高移動度材料は次世代高性能デバイスに不可欠です。シリコンMOSFETでは、電子移動度が40,000cm²/Vsに達する高品質デバイスも報告されていますが、正孔移動度は約2,000cm²/Vsと電子に比べて一桁低い値となっています。移動度の大きな材料ほど高周波・高速デバイスに適しており、GaAsやInAsなどの化合物半導体が高周波通信デバイスに広く採用される理由もここにあります。
参考)http://arxiv.org/pdf/2502.21173.pdf
次世代半導体材料として、グラフェン、カーボンナノチューブ(CNT)、ダイヤモンド、酸化ガリウムなどが注目されています。グラフェンは室温で10,000cm²/Vsを超える極めて高い電子移動度を持ち、CNTでは直径1.5nmのものが室温で36,000cm²/Vsという驚異的な値を示します。これらの材料は従来のシリコンを大きく上回る移動度を実現できる可能性があります。
ダイヤモンドは電子移動度2,200cm²/Vs、正孔移動度1,600cm²/Vsと、電子と正孔の両方で高い移動度を持つ点が魅力です。グラフェンやCNTほどの極端な高移動度ではありませんが、バランスの取れた特性を持ち、さらに優れた熱伝導性と耐電圧特性も兼ね備えています。β-Ga₂O₃は電子移動度が300cm²/Vsと比較的低めですが、バンドギャップが4.8-4.9eVと広く、絶縁破壊強度が8MV/cmとSiCやGaNの約3倍近い値を持つため、超高耐圧パワーデバイスへの応用が期待されています。
GeSn合金も次世代材料として研究が進んでいます。GeSnはGeとSnの合金であり、高い電子移動度と正孔移動度を両立できる可能性があります。垂直ナノワイヤゲートオールアラウンドトランジスタとして実装されたGeSn素子は、シリコンCMOS技術と互換性を持ちながら、高移動度n型FETとp型FETの両方を実現できる材料システムとして注目されています。有機半導体でも、n型ポリマー半導体の電子移動度が従来比5倍以上向上した例があり、アモルファスシリコンレベルのデバイス応用が可能になってきています。
参考)https://advanced.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/aelm.202400561

電子移動 (化学の要点シリーズ 5)