中国の陶磁器ヨーロッパへ運び方と東西交易の歴史

中国から遠く離れたヨーロッパへ、繊細な陶磁器はどのように運ばれたのでしょうか?景徳鎮の白磁や青花磁器が海を越えた驚きの輸送技術と、東西交易の知られざる歴史をご存じですか?

中国の陶磁器ヨーロッパへの運び方

この記事で分かること
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海上輸送ルートの発展

シルクロードから海の道へ、陶磁器交易の変遷と東インド会社の役割

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革新的な梱包技術

割れやすい磁器を守った伝統的な包装方法と船倉での工夫

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景徳鎮窯の黄金期

世界を魅了した中国磁器の品質と、ヨーロッパ市場への影響

中国の陶磁器が海上シルクロードで運ばれた理由

中国の陶磁器がヨーロッパへ運ばれるようになったのは、8世紀以降の海上シルクロード(海の道)の発展によるものです。陶磁器は重量があるため、陸上のシルクロードでは大量輸送が困難でしたが、船舶による海上輸送によって「陶磁の道」とも呼ばれる交易ルートが確立されました。中国の大型船ジャンクは約300トンの積載量を持ち、三本マストと堅牢な構造により遠洋航海が可能でした。
参考)オアシスの道/シルクロード/絹の道

 

東南アジアから東南アジア、インド洋地域、さらにアフリカまで伸びる陶磁器の交易ネットワークは、唐代から本格的に発展しました。特に景徳鎮で生産された磁器は、高品質な白磁と青花(染付)磁器として世界中に知られ、元代から明代にかけて日本、ペルシャ、トルコ、アフリカ東岸へと大量に輸出されました。12世紀にはスペイン南部のイスラム宮殿から耀州窯青磁の破片が発見され、ベニスのサン・マルコ大聖堂には元時代の徳化窯白磁が伝世品として残されています。
参考)https://www.okigei.ac.jp/PhD/wp-content/uploads/2025/01/opua-doctoral-dissertation27.pdf

 

シルクロードという用語は19世紀にドイツの地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンによって陸上路ネットワークを指す言葉として使われ始め、後に海上路(Maritime Silk Route)の概念が加えられました。唐代の広州には南海舶、番舶、波斯舶、崑崙舶など様々な交易船が訪れ、東西交易の拠点となっていました。
参考)海上シルクロードの沈没船と港市研究プロジェクト href="https://www.marinearchaeology.jp/project/silkroad/" target="_blank">https://www.marinearchaeology.jp/project/silkroad/amp;#8211…

 

中国の陶磁器をヨーロッパへ運んだ東インド会社の役割

17世紀初頭、西ヨーロッパの海洋国家が外海を通る海洋航路を開拓し、東方に交易拠点を設けることに成功したことで、中国磁器が西欧で広く知られるようになりました。オランダ東インド会社とイギリス東インド会社が大規模な航路を開き、東西拠点間の商業貿易が一層盛んになると、陶磁器製の食器や茶器が富裕層の間に浸透していきました。
参考)セミ・チャイナ 英国陶器の黎明と発展

 

オランダ東インド会社は1608年から本格的に中国の景徳鎮貿易を開始し、大皿、小皿、バター皿、スープ皿、からし壺、果物皿、コーヒーカップなど多様な磁器を扱いました。しかし明・清王朝交代に伴う内乱で清による海禁政策が打ち出されると、景徳鎮からの磁器輸出が激減しました。このため、オランダ東インド会社は中国の技術を取り入れた日本の有田磁器に目をつけ、1659年から伊万里焼のヨーロッパ向け輸出が本格化しました。
参考)https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/13036/files/KU-0150-20090331-14.pdf

 

イギリス東インド会社は通常四隻の船団を組み、茶葉の他に絹や金属製品、磁器などを各船に分けて積み込んで輸送しました。景徳鎮の民窯が焼いた磁器は、広東の十三行と呼ばれる徽州商人を仲介として、イギリス向けに大量に買い付けられました。しかし1785年から1795年にかけて中国磁器貿易は急速に衰退し、1790年代後半にはイギリス東インド会社は景徳鎮磁器の輸入をほとんど停止しました。
参考)https://www.antiquecup.com/museum/chinease/chinease.html

 

中国の陶磁器の海上輸送における梱包技術と保護方法

繊細な陶磁器を長距離海上輸送するには、専門的な梱包技術が不可欠でした。1976年に韓国の新安郡沖で発見された元代の沈没船「新安船」は、1323年に中国の慶元(現在の寧波)から日本の博多に向かっていた貿易船で、2万点を超える青磁、白磁などの陶磁器と28トンにもなる800万点の銅銭を積んでいました。船体は竜骨を持つ構造船で、船艙は梁で8つの区画に分けられ、底にはバラストや濡れてもよい積荷があり、その上に底板が置かれるという防水構造になっていました。
参考)新安沈船 - Wikiwand

 

江戸時代の伊万里焼の輸送では、内部の製品個装にツトカラゲ(藁製の包装材)を用い、菰巻きの外包装という海上輸送専用の産業包装技術が発展しました。天保6年(1835年)には伊万里津から国内向けに積み出された陶器は35万6,000俵に達し、「俵」という単位が使用されたのは、藁による梱包が行われていたためです。この伝統的な「わら荷づくり」は、陶磁器産地で長く受け継がれた技術でした。
参考)http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/6865/1/KJ00000074828.pdf

 

中国から輸送される際、茶葉と共に運ばれた磁器は船の安定を保つバラスト代わりに茶箱の隙間に積み込まれたという説がありましたが、現在ではその信憑性が疑われています。実際には東インド会社は茶葉、絹、金属製品、磁器を各船に分けて積み込んで輸送していたと考えられます。船倉内では二重、三重の側板で堅牢に造られ、桐油・石灰で隙間をふさいで水漏れを防ぐ工夫がなされていました。
参考)ジャンク船

 

中国の陶磁器景徳鎮窯の世界的影響力

景徳鎮は中国最大の古窯であり、現代においても中国陶磁業界で第一位の地位を占めています。景徳鎮郊外の高嶺山(カオリン山)から採れる高品質な「高嶺土」を用いて、世界に先駆けて高品質な白磁の生産が行われました。この「カオリン」という名称は、高嶺山の中国語読み発音「カオリンシャン」から付けられたものです。
参考)景徳鎮(けいとくちん)とは|中国最高の白磁と青花の特徴と歴史

 

景徳鎮窯は元・明・清代を通して様々な時代で皇帝たちを魅了し、官窯が設けられるほど高品質な陶磁器を生み出しました。景徳鎮には皇帝・宮廷への献上品を製造する「官窯」と、その他に多くの「民窯」が集まっており、ヨーロッパ向けに輸出された磁器の多くは民窯が焼いたものでした。景徳鎮は元代から明代にかけて世界各国へ輸出され、隣接する朝鮮半島の李氏朝鮮時代初期から中期にかけても、景徳鎮の影響を受けた磁器が生産されました。
イギリス東インド会社が広東で買い付けた磁器は景徳鎮民窯の製品で、18世紀にはイギリスでの窯業設立と異なり、議会による許認可の議事録もなく、会社登記簿も納税記録も商標・意匠登録もない状態で生産されていました。しかし、その品質は極めて高く、薄く透けるような白磁と鮮やかな青花(染付)の美しさは、17世紀までのヨーロッパで焼けていた厚ぼったく、くすんだ色の陶器とは比較にならないものでした。
参考)http://www.harmony2.net/13/jk1.html

 

中国の陶磁器ヨーロッパ輸送の破損防止策と現代への応用

現代の陶磁器輸送においても、歴史的な知見が活かされています。ガラス製品や陶磁器などの壊れやすい美術品を海外輸送する際には、二重包装が重要です。まずミラーマットやエアーパッキンで全体を包み込み、箱の底にタオルなどの柔らかいものを敷いて振動を最小限にする方法が推奨されます。
参考)美術品を海外発送する際の梱包はどうすればいい?おすすめの梱包…

 

複数の陶磁器を一つの箱で海外へ配送する際は、お互いがぶつかり合って破損するリスクがあるため、縦に並べて運び、重ねないことが重要です。上下の振動が加わりやすい状態を避け、適切な梱包をすることで繊細な陶磁器の損傷を防ぎ、美術品の価値を維持することができます。
中国から日本への現代の陶磁器輸送では、海上輸送、航空輸送など適切な配送方法を選択し、運送会社の輸送経験、サービス品質、価格などの要素を考慮する必要があります。運送会社は通常、ドアツードアの集荷、梱包、通関、輸送、配送サービスを提供しています。出荷前には、第三者検査機関(SGS、BVなど)に委託して品質検査を実施し、製品が契約要件を満たしていることを確認することができます。
参考)中国からの陶磁器の輸入と発送ガイド - Basenton

 

陶器は壊れやすいため、輸送中に起こりうる損傷や紛失に対処するために貨物輸送保険を購入することが推奨されます。保険は通常、商品の損傷や紛失などのリスクをカバーでき、商品が目的地に到着した後は製品の数量と品質に応じて検査と受け入れを行い、温度と湿度の変化による陶磁器の損傷を避けるために適切な保管条件を整える必要があります。
中国からの陶磁器の輸入と発送ガイド - 現代の陶磁器輸送における通関手続きと保険、品質管理について詳しく解説
磁器の歴史 - 日本ヴォーグ社 - 絹やスパイスとともに南海路を経てヨーロッパ各地へ運ばれた陶磁器の歴史を紹介
IMARI/伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器 - サントリー美術館 - オランダ東インド会社による磁器輸出の変遷と伊万里焼のヨーロッパ展開