神聖ローマ帝国ハプスブルク家と食卓を彩る陶磁器

神聖ローマ帝国を統治したハプスブルク家は、婚姻政策で領土を拡大しただけでなく、皇室直属の磁器工房を設立し、優美な食器文化を花開かせました。マリア・テレジアやルドルフ2世が愛した陶磁器は、今も世界中で愛されています。陶器や食器を愛する人にとって、ハプスブルク家の食卓芸術はどんな意味を持つのでしょうか?

神聖ローマ帝国ハプスブルク家の歴史

ハプスブルク家の栄華を物語る要素
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婚姻政策による領土拡大

「戦争は他家に任せよ、幸運なるオーストリアよ、汝は結婚せよ」の家訓通り、戦争ではなく婚姻で帝国を築き上げた

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神聖ローマ皇帝位の独占

1440年から1740年まで約300年間、帝位をほぼ独占し続けた名門貴族

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芸術と文化の庇護者

宮廷には芸術家や科学者が集まり、ヨーロッパ文化の中心地として繁栄した

神聖ローマ帝国ハプスブルク家の婚姻政策と領土拡大

 

神聖ローマ帝国の皇帝位を約300年にわたり独占したハプスブルク家は、スイスの地方領主から出発した一族でした。13世紀末にルドルフ1世が皇帝に即位して以降、帝位は長らくこの一族のものとなりました。15世紀後半からは帝位をほぼ独占し、婚姻政策を通じて広大な領土を手に入れます。マクシミリアン1世がブルゴーニュ公国の女相続人マリアと結婚することで、西ヨーロッパに強大な足場を築きました。さらにその息子フィリップ美公がスペイン王女フアナと結婚したことで、孫のカール5世は「太陽の沈まぬ帝国」を築き上げることになります。
参考)【神聖ローマ帝国とは?】ハプスブルク家と“形だけの帝国”の実…

政略結婚で知られるハプスブルク家ですが、実際に帝国を作り上げたのはたった4回の結婚政策によるものでした。ライバルだったハンガリー王マチアス・コルウスが戦争に勝ち続けても嫡子が無かったために死後に全てが無に帰したのに対し、負け続けたハプスブルク家が婚姻により大帝国を築いたことは歴史の皮肉とも言えます。「戦争は他家に任せよ、幸運なるオーストリアよ、汝は結婚せよ」という家訓は、まさにハプスブルク家の戦略を象徴する言葉です。
参考)ハプスブルク家の結婚政策 - Tu felix Austri…

16世紀にはカール5世が、スペイン、ドイツ、イタリア、新大陸をも包含する広大な帝国を統治しました。これはもはや神聖ローマ帝国の枠には収まらず、帝国はハプスブルク家が王朝政治を展開する舞台と化していきました。​

神聖ローマ帝国の宮廷文化と芸術への情熱

神聖ローマ帝国の芸術文化は、中央集権的な統制ではなく、都市や領邦ごとに異なるパトロン、様式、伝統が育まれたことが特徴です。帝国は政治的には分裂していましたが、芸術の世界では驚くほど豊かな土壌が育っていました。10世紀から12世紀にかけてはロマネスク様式の建築が栄え、シュパイアー大聖堂やマインツ大聖堂などが建設されました。13世紀以降は市民文化が広がり、ゴシック様式のケルン大聖堂などが次々に建てられ、都市の繁栄の象徴となりました。
参考)帝国の不統一が生んだ多様性─神聖ローマ帝国の芸術文化をひもと…

ハプスブルク家において公式行事や饗宴は常に大きな意味を持っていました。シェーンブルン宮殿で行われたマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世とパルマのイザベラの結婚披露宴のテーブルには、ウィーン磁器で豪華に飾られていました。1752年にウィーン近くの森で行われた皇帝主催の狩りでは、ハンガリー特産のトカイワインを詰めた磁器の瓶も使用されていました。​
特に注目すべきは、16世紀末から17世紀初頭にかけて神聖ローマ帝国皇帝として君臨したルドルフ2世です。1583年、ルドルフは帝都をプラハに移し、宮廷を学問と芸術の都に作り替えました。錬金術師、天文学者、奇才画家たちが集い、宮廷は知と幻想の温室となりました。彼が何より熱を上げたのはコレクションで、芸術、科学、占星術関連から自然物まで、あらゆるジャンルにわたってモノを集めました。3000点にも及ぶ絵画や当時の最先端技術だった望遠鏡、時計などが収集され、歴史に残る規模の一大コレクションが形成されました。
参考)なぜ皇帝は宮廷に籠ったのか?ルドルフ2世と魔術の時代

マリア・テレジアと神聖ローマ帝国の磁器工房

ハプスブルク家の中でも最も有名な女性統治者であるマリア・テレジア(1717-1780)は、磁器文化において重要な役割を担った人物です。1744年、マリア・テレジアは大公妃として帝国の実権を握り、デュ・パキエからウィーン磁器工房を買い取り、皇室直属の窯として再編しました。工房は「インペリアル ウィーン磁器工房」として命名され、全製品にハプスブルク家の紋章である横2本の盾が商標として焼き付けられることになります。
参考)https://www.lv-tableware.com/augarten-minichishiki.html

芸術好きのマリア・テレジアは窯に多額の出資をし、当時流行していたロココ風の作品を作らせる一方で、自然主義的な作品も生み出させました。ウィーン磁器工房は皇室からの庇護と支援に感謝し、マリア・テレジアの狩猟の館であるアウガルテン宮殿の完成記念に食器セットを寄贈します。それが今日の「マリアテレジア」シリーズで、現在でもアウガルテンを代表するパターンとして世界中で愛されています。​
マリアテレジアシリーズの特徴は、繊細でエレガントな花柄や流れるような曲線です。狩猟の象徴といわれる「もみの木」の重厚な緑色が使われており、シンプルながらも静かな気品を感じさせるデザインとなっています。2017年にはマリア・テレジア生誕300周年を記念して「マリアテレジア2.0」が発売されました。金の縁を排除した現代的な色遣いとアシンメトリーデザインながらも、本来のマリアテレジアシリーズの持つ帝国時代の華麗な雰囲気を兼ね備えています。
参考)【ウィーン磁器工房 アウガルテン】マリア・テレジア生誕300…

神聖ローマ帝国時代のハプスブルク家御用達食器の特徴

ハプスブルク王朝の栄華の中で誕生したアウガルテン磁器工房は、1718年に設立されました。マイセンに次ぐヨーロッパで2番目に古い磁器工房として、300年という長い年月の中で職人たちの誇りと繊細な技が受け継がれています。全行程をわずか30人の職人がすべて手作業で行っているため、その生産量は限られます。厳しい検品基準によって生み出される輝きや透明度は、時を経ても変化することがないため、親から子・子から孫へと何世代にも渡り受け継がれています。
参考)アウガルテン / AUGARTEN

素焼き後の器は、厳密な点検をパスした物にのみ、アウガルテンのマークであるハプスブルク家の盾型紋章が、製品の裏側にコバルトブルーで刻印されます。この盾型紋章を商標として使用することは、皇室直属の窯であることの証でした。アウガルテンの白磁は、繊細かつ優雅なフォルム、しっとりと手に馴染む艶やかな生地、細部まで精巧を極めた細工などにより世界中で高い評価を得ています。
参考)https://www.le-noble.com/event/augarten/

アウガルテンの代表作として、マリアテレジアシリーズの他に「ウィンナーローズ」と「プリンスオイゲン」があります。ウィンナーローズは1924年の再興時に発表されたクラシックなローズのデザインで、実は1744年にマリア・テレジアの勅命でデザインされたオールドウィンナーローズが派生したものです。プリンスオイゲンは中国趣味のデザインが特徴で、オーストリアの危機を救った英雄オイゲン公へ献納したものであったため、彼の名前にちなんで名付けられました。上品で控えめな装飾は、どの食卓にもマッチする普遍性を持っています。
参考)アウガルテン食器の価値とは?代表作や高く売るコツを解説|骨董…

神聖ローマ帝国ハプスブルク家の食卓文化が現代に与える影響

ハプスブルク家の食卓芸術は、単なる食器のデザイン以上の意味を持っています。それは権力と美意識、そして家族の歴史を繋ぐ文化的遺産でした。ハンガリーは約400年にわたってハプスブルク家の支配下にあり、ハンガリー磁器とハプスブルク家が最初に出会ったのは18世紀のことでした。マリア・テレジアの夫フランツ・ロートリンゲンが1736年にハンガリーの所領ホリチにファエンツァ工房を設立し、ヨーロッパの上流貴族の食卓を飾る華となりました。​
ウィーン磁器の芸術的水準は1784年から1805年のゾルゲンタール時代に全盛期を迎えましたが、1830年代から低下し始め、1864年には操業停止に至りました。しかし、その後現在のアウガルテン宮殿に拠点を移し、超高級磁器として再興されました。今日、アウガルテンの直営店では「ウィーンのバラ」や「マリアテレジア」といった定番デザインの他に、モダンな柄の食器や一点ものの置物なども購入できます。
参考)ハプスブルク家御用達。ウィーンの「アウガルテン磁器工房」を見…

日本の皇室もアウガルテンを愛用しており、ハプスブルク家の食器文化は国境を越えて受け継がれています。陶器や食器に興味のある人々にとって、ハプスブルク家が育んだ磁器工房の歴史は、単なる工芸品の域を超えた、ヨーロッパ文化の精髄を体現するものと言えるでしょう。300年以上続く職人技と皇室の美意識が融合したアウガルテンの食器は、現代の食卓にも優雅な歴史の香りを運んでくれます。
参考)ハプスブルク家や日本の皇室が愛した由緒ある磁器ブランド「アウ…

神聖ローマ帝国が1806年に解体された後も、ハプスブルク家が築いた芸術文化は、ドイツ、オーストリア、チェコなど各地に受け継がれています。特に磁器文化においては、マリア・テレジアやルドルフ2世といった歴史的人物の美意識が、今なお世界中の食卓で息づいているのです。陶器や食器を愛する人にとって、ハプスブルク家の食器を手にすることは、ヨーロッパ史の栄華と芸術の結晶に触れる貴重な体験となるでしょう。​