メソポタミア文明で誕生した楔形文字は、人類最古の文字体系として知られています。紀元前3400年頃、現在のイラク南部にあたる地域でシュメール人によって生み出されたこの文字は、当初は絵文字から始まり、次第に抽象化されていきました。
参考)人類最古の文字「楔形文字」の書き方 - GIGAZINE
文字の発明は、ウルクという古代都市で税などの記録として始まったとされています。最初期のウルク古拙文字には約1,000の絵文字が使用されていましたが、紀元前2500年頃には約600に整理され、完全な文字体系として確立しました。この文字は、商業記録や農作物の管理といった実務的な目的で使用され、メソポタミア文明の発展を支える重要な役割を果たしました。
参考)【楔形文字とは?】ビジプリ美術用語辞典
楔形文字という名称は、17世紀にヨーロッパ人がペルシアのペルセポリスで楔(くさび)の形をした要素が組み合わさった文字を発見し、ラテン語で「楔形の文字」と呼んだことに由来します。この文字は3000年以上にわたり使用され続け、メソポタミアを中心とした古代オリエント世界の公用文字となりました。
参考)楔形文字
その後、シュメール人の都市国家を征服したアッカド人が楔形文字を借用し、セム系のアッカド語を表記するために改良を重ねました。これにより、異なる言語でも楔形文字で表記できる文字体系が確立し、バビロニア、エラム、ヒッタイト、アッシリアなど多くの国々で広く使われるようになりました。
参考)【文字の誕生と進化①】シュメール人が発明した楔形文字 - T…
楔形文字を記録するために使用されたのが粘土板です。メソポタミア地方はチグリス・ユーフラテス河の沖積層に属し、細かい粘土が上流から運ばれて堆積したため、粘土は無尽蔵に得られました。この豊富な粘土を活用して、紀元前3000年以前から西暦紀元直後まで、さまざまな言語の記録に粘土板が用いられました。
参考)粘土板 - Wikipedia
粘土板に文字を刻むには、葦(アシ)の茎を削って作った「スタイラス」と呼ばれる筆記具が使われました。先端を三角形に削った葦ペンを粘土板に押し付けることで、独特の楔形文字が形成されたのです。この書記方法は彫刻刀で彫るのではなく、スタンプを押すように粘土に押し込む技法でした。
参考)葦ペン - Wikipedia
粘土板は現代風に言えば文字の記録媒体であり、文字を記録しやすく携帯も可能であったため、広範囲で長期間使用されました。やわらかいうちに文字を刻み、乾燥させたり焼いたりすることで、虫に食われることもカビることもなく、火事に遭っても生き残る耐久性を持っていました。出土する粘土板は楔形文字だけが刻まれているものが圧倒的に多いですが、地図や図なども刻まれたものもあります。
参考)葦ペンと楔形文字 : 写真でイスラーム
今までに発見されている粘土板だけでも40万枚になると言われており、今後もまだ多くが発見される可能性があります。これらの粘土板には、日常的な領収書や納税記録だけでなく、学術書、外交文書、歴史書なども含まれており、人類の古代文学史上に輝く金字塔とされる『ギルガメシュ叙事詩』も粘土板に記されました。
参考)世界最古の物語「ギルガメッシュ叙事詩」|evaton
メソポタミア文明では、文字だけでなく陶器や食器の文化も高度に発達しました。チグリス川とユーフラテス川という二大河川に挟まれた肥沃な土地では、粘土が豊富にあり、土器は人々の日常生活に欠かせない重要な役割を果たしていました。
参考)https://manapedia.jp/text/6863
特に注目されるのが彩文土器です。彩文土器とは、赤や黒などの色を用いて幾何学的な模様や動植物の図像を土器の表面に描いたもので、紀元前6000年頃から紀元前2000年頃までの間にさまざまな地域で生産されました。この装飾は、宇宙、自然、豊穣を象徴するものであり、現代でいう「アート」のような意味合いも込められていました。
参考)彩文土器/彩陶
メソポタミアの彩文土器で特に著名なのがハラフ彩陶です。素焼の土器に色で装飾文様をつけたもので、赤色ないし白色の土器表面に酸化鉄による赤ないし黒の文様をつけ、幾何学文様あるいは人物・動物を描きました。これらの土器は、メソポタミアの文化や社会の変遷を知る上で重要な資料となっています。
参考)彩文土器(サイモンドキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
陶器の製作工程は、粘土に水を加え、成形し、焼き固めるという手順で完成しました。形状は長方形が基本でしたが、手のひらサイズの丸型・薄型・巻物型なども存在し、用途によって使い分けられていました。彩色された土器は大規模な中央の建物でだけ出土したことから、特別な儀式や権威の象徴として使用されていた可能性があります。
参考)粘土板とは?メソポタミア文明で生まれた最古の記録メディアを図…
メソポタミア文明において、粘土は建築材料としても日常生活の道具としても広く使用されました。この地域では石材や木材に乏しく、これらは輸入が必要な希少品であったため、河川が運んで堆積した粘土が主要な材料となりました。
参考)メソポタミア文明に学ぶ!土器を作るのに適しているのは昔の粘土…
食器として使用された陶器は、食べ物や飲み物を保存する入れ物として重宝されました。粘土を焼いて作られた器は食べ物の保存や調理に使われ、やがて食事をするための食器としても発展しました。紀元前7000年頃から食器が出現し、これにより穀物の利用が急速に拡大したとされています。
参考)https://lab-brains.as-1.co.jp/enjoy-learn/2024/12/71974/
メソポタミアの土器に関する最近の研究では、陶器に残る調理の証拠が分析されています。特に細かい溝が刻まれた特徴的な陶器は、パンのような加工食品を作るために使用されていたと考えられており、紀元前6400年から5900年頃の土器からは穀物を焼いた痕跡が発見されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11538533/
また、メソポタミアでは墓葬文化(死者を地中に埋葬する文化)が主流であったため、土器が非常に重宝されました。遺跡の発掘作業で発見されるメソポタミア土器の多くは墓の副葬品であり、「故人があの世で必要となる食べ物や飲み物をお供えするためのもの」として神聖な意味合いを持つ器具として利用されていました。土器に施されている豊かな装飾や文様は、死者への敬意や信仰心を表していると言われています。
楔形文字は長い間忘れ去られていましたが、19世紀中頃にイギリス人のヘンリー・ローリンソンによって解読されました。ローリンソンは1835年から2年間にわたって、イランのザクロス山脈中のベヒストゥーンの絶壁に彫られた楔形文字を書き写し、研究を続けました。
参考)ローリンソン
1847年、ローリンソンは解読に成功し、ベヒストゥーン碑文がペルシア帝国のダレイオス1世の戦勝を記念するものであることが判明しました。この業績により、古代ペルシャ語、バビロニア語、アッシリア語の楔形文字の解読の鍵が発見され、メソポタミアおよび中央アジアの文献学の研究が大きく進展しました。ローリンソンの最大の功績は、個々の記号が文脈によって何通りもの読み方をするということの発見でした。
参考)ヘンリー・ローリンソン (初代準男爵) - Wikipedi…
現在では、多数の楔形文字を記した粘土板が発掘され、解読が進んでいます。AIを活用した楔形文字の分析や年代推定も行われており、古代メソポタミアの粘土板文書に関する研究は飛躍的に進化しています。
参考)http://arxiv.org/pdf/2406.04039.pdf
土器に関する研究も科学技術の進展により大きく前進しました。土器の成分分析や透過型電子顕微鏡を使った微細構造の解析により、土器の原産地、製作工程、交易ネットワークがより具体的に分かるようになりました。土器の粘土に含まれる微量元素を調べることで原産地を特定できるため、川沿いを拠点とした都市間の交易活動が活発に行われていたことが明らかになっています。
楔形文字の歴史と解読に関する詳しい情報は、世界史の窓で読むことができます。古代文字の成り立ちから忘れ去られた後の再発見まで、楔形文字の全貌が解説されています。
粘土板の書写材料としての役割については、地球ことば村の資料が参考になります。粘土板文書の成立から使用範囲まで、詳細な情報が提供されています。
楔形文字の実際の書き方を知りたい方は、大英博物館が解説する楔形文字の書き方記事がおすすめです。葦ペンを使った文字の刻み方が具体的に紹介されています。