産業革命とイギリス陶器が変えた食文化

産業革命期のイギリスでは陶器産業が飛躍的な発展を遂げました。ウェッジウッドやボーンチャイナの誕生は、私たちの食卓をどのように変えたのでしょうか?

産業革命とイギリス陶器

産業革命がもたらした陶器産業の変革
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工場制機械工業の導入

18世紀後半、蒸気機関の実用化により陶器の大量生産が可能になり、食器が一般家庭にも普及しました。

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王室御用達ブランドの誕生

ウェッジウッドのクイーンズウェアが王室に認められ、イギリス陶器産業の地位が確立されました。

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世界市場への展開

品質と価格のバランスに優れた英国陶器は、ヨーロッパ中上流階級の憧れとなり世界中に輸出されました。

産業革命とイギリス陶器産業の発展

 

18世紀後半、イギリスで始まった産業革命は陶器産業に劇的な変化をもたらしました。中部イングランドのスタッフォードシャー州は、良質な粘土と豊富な石炭に恵まれた陶器生産の理想的な土地でした。この地域では、それまで家内工業的に行われていた陶器製造が、組織化された大規模工場へと生まれ変わっていきました。
参考)初期近代英国陶器、奥深さの一端

蒸気機関の実用化により、陶器の製造過程における動力源が革新されました。1760年代にジェイムズ・ワットが蒸気機関に改良を加え、1781年には回転式の蒸気機関が特許を取得しました。この技術革新により、工場の機械を動かす安定した動力が供給できるようになり、陶器の大量生産体制が確立されました。
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イギリスの陶器産業は、産業革命の波に乗って急速に発展し、19世紀には世界市場で圧倒的な地位を築きました。スタッフォードシャーで生産された陶器は、その品質の高さと手ごろな価格により、ヨーロッパ中の中上流階級から熱い注目を集めました。
参考)https://wabbey.net/blogs/blog/josiahwedgwood

産業革命期イギリスのクリームウェアと技術革新

18世紀半ばから19世紀初頭にかけて、イギリスではクリームウェアと呼ばれる乳白色の陶器が開発されました。ジョサイア・ウェッジウッドが完成させたこのクリームカラー陶器は、高品質でありながら大量生産が可能という画期的な製品でした。従来の粗悪な食器に代わって、一般家庭にも手の届く価格帯で提供されたため、瞬く間にイギリス中に広まりました。
参考)https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/record/2028698/files/HER_47-1-2_47.pdf

1766年、この優れた陶器は国王ジョージ3世の妻シャーロット王妃の目に留まり、「クイーンズウェア(女王の陶器)」という名称を与えられました。王室御用達の栄誉を得たことで、ウェッジウッド社の製品は国内外でさらに注目を集め、イギリス陶器産業の発展を象徴する存在となりました。
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クリームウェアには様々な亜種も生まれました。1779年以降にはパールウェア、1808年以降には完全に白化したホワイトウェアが開発され、技術の進化が続きました。パールウェアは素地にコバルトの顔料を用い、その上に白化粧をすることで美しい発色を実現していました。これらの技術革新により、イギリスは白い磁器が作れないという不利な条件を克服し、独自の陶器文化を確立したのです。
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産業革命イギリスで生まれたボーンチャイナ製造技術

イギリスの土壌には磁器製造に必要なカオリンが採掘できなかったため、ヨーロッパの他国のような白い磁器を作ることができませんでした。この課題を解決するために開発されたのが、ボーンチャイナ(骨灰磁器)という革新的な素材です。
参考)ボーンチャイナの歴史 - 鳴海製陶株式会社

18世紀、ボウ窯の技師トーマス・フライが原料の中に牛の骨を焼いて粉にした骨灰(ボーンアッシュ)を加えることで、良質な磁器を作ることに成功しました。この技術はジョサイア・ウェッジウッドの次男であるジョサイア2世によってさらに改良され、実用的なテーブルウェアとして確立されました。
参考)英国王室御用達 イギリスの名窯ウェッジウッドってどんなメーカ…

ボーンチャイナは、牛の骨灰を混ぜることで、白さと透光性、そして強度を兼ね備えた優れた磁器となりました。この発明により、イギリスは磁器製造における不利な条件を逆手に取り、世界に類を見ない独自の陶磁器を生み出すことに成功しました。産業革命期の技術革新と創意工夫が結実した成果と言えるでしょう。
参考)https://good-antiques.com/blogs/tableware/562413994155

産業革命イギリスの工場制度と経営革新

ジョサイア・ウェッジウッドは、単なる陶芸家ではなく、優れた経営者でもありました。1769年にエトルリア工場を開設した彼は、当時としては極めて先進的な工場管理システムを導入しました。始業ベルと入退出管理による就業時間の管理、飲酒の禁止を含む従業員の安全・健康管理など、近代的な労務管理の基礎を築きました。
参考)天才的な産業人「ジョサイア・ウェッジウッド」

製造面では、効率改善のために専門分化した製造プロセスを構築し、コスト低減を目的とした原価計算や品質管理の仕組みを導入しました。これは産業革命期における工場制機械工業の模範的な事例として知られています。ウェッジウッドが導入した原価計算システムは、近代的な工場経営における会計管理の先駆けとなりました。
参考)https://core.ac.uk/download/pdf/59175752.pdf

マーケティングの分野でも革新的でした。ロンドンに倉庫一体型のショールームを開設し、商品販売用のカタログを作成しました。さらに数多くのデザイナーとコラボレーションすることで製品デザインを改善し、まさにブランド・マネジメントの先駆けとなる企業活動を展開しました。​

産業革命イギリス陶器が食卓文化に与えた影響

産業革命による陶器の大量生産は、ヨーロッパの食卓文化を大きく変えました。それまで上流階級の特権だった美しい食器が、中産階級にも手の届く価格で提供されるようになったのです。イギリスで生産されたクイーンズウェアは、中国磁器の代替品として需要を満たし、一般家庭の食卓を彩りました。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenko/83/3/83_94/_pdf/-char/ja

18世紀には、中国や日本の陶磁器を目標にヨーロッパ各地で名窯が次々と誕生しました。イギリスの陶器は、東洋磁器の影響を受けながらも、コバルトの上絵付けや印判技法などの独自の技術を発展させました。輪花型のデザインや茶器というスタイルには東洋磁器からの影響が見て取れますが、パールウェアのマチエールの美感は、当時のイギリス人独自のセンスを示しています。
参考)実は日本が影響していた?【イギリス・ティーパーティー(ティー…

産業革命期の陶器産業の発展は、食文化にも影響を与えました。ヴィクトリア朝時代には、産業革命の成功により工業が生み出す機械製品が、産業ブルジョアジーの進出を促しました。美しい陶磁器に盛られた料理は、単なる食事を超えて、社交と文化を象徴する存在となったのです。​
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