柿釉は益子焼を代表する伝統釉薬のひとつで、栃木県益子町の北部で採掘される芦沼石の粉末のみを原料としています。鉄釉の一種で、焼き上がりは茶褐色から赤茶色の温かみのある色合いを呈し、まるで熟した柿のような風合いが楽しめることから、人間国宝の濱田庄司が「柿釉」と名付けたと言われています。益子では江戸時代末期から水甕・擂鉢・壷などの日用品として道具を生産し、これらの日用品にも柿釉が使われており、焼き物の産地として発展してきました。
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芦沼石を粉砕し高温で焼き上げた後に水に溶かして釉薬として使用しますが、高温で焼き上げた際に芦沼石の粉末が赤くなることから、益子では「赤粉(あかこ・あかっこ)」の愛称で親しまれています。赤粉のみを釉薬として使用すると陶器の表面にヨリが発生してしまうため、大谷津砂や八木岡といった益子近辺の土を合わせることでヨリの発生を防止する工夫が施されています。益子でのみ採掘される特別な石から作られる釉薬のため、柿釉は益子焼ならではの釉薬として広く認知されています。
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柿釉が益子で使用されるようになったのは明治の半ば頃と言われており、芦沼石を登り窯の焚き口の蓋として使用していたところ、石がドロドロと溶け出し色が変わったことから釉薬として発見されました。益子焼窯業の初期から使用され、古来から益子焼の多くは柿釉が施された日用の道具でした。
1924年に濱田庄司が益子に移住してからは、柳宗悦とともに「用の美」を探求する民芸運動の中で、柿釉の作品が多く見られるようになりました。濱田庄司は神奈川県で生まれ、1913年から作陶を学び、1916年から釉薬の研究に没頭し、1920年にイギリスの陶芸家バーナード・リーチと共同してイギリスのコーンウォールに築窯した後、1923年にロンドンで個展を開催して陶芸家としてデビューを果たしました。京都、沖縄、英国などで学んだ技や意匠を益子の土や釉薬で表現し、後に人間国宝となった濱田庄司の活躍により、益子焼と柿釉は今日の地位を築きました。
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柿釉の色には以前から多くの陶芸家が惹かれており、中国古窯を踏査した東洋陶磁の研究者で陶芸家でもあった小山冨士夫は、1941年に中国宋代の定窯の窯址を発見したことで知られ、白磁が名高い定窯にも柿釉の伝世品があり、小山自身も柿釉の鉢や茶碗を手掛けました。濱田庄司の柿釉は鮮やかなオレンジ色が特徴で、その技術は後継の作家たちにも受け継がれており、独立開窯した岡本芳久氏など多くの作家が独自の柿釉作品を生み出しています。
柿釉の最大の特徴は、芦沼石だけが原料のシンプルな配合で作られることです。鉄分が多いことから保温性が高く、古くから降雪が多い東北地方の屋根瓦に使用されてきた歴史があります。焼き上がりは赤茶色の温かみのある色合いが特徴で、まるで熟した柿のような風合いが楽しめます。
益子の土は鉄分が多いため焼き上がりは黒っぽく、その上から茶色い柿釉や白釉をかけて仕上げるのが一般的です。柿釉をかけた益子焼は土の素朴な風合いと温かみのある茶色釉薬が絶妙に引き立てあった、温かみのある風情を持っています。釉薬の流れに表現があり、縁の黒い変化が明るい茶色を引き締める効果もあります。
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作家によって柿釉の色合いや表現は異なり、岡本芳久氏は透明釉の割合を多くし、釉薬が動くように工夫することで独自の柿釉作品を生み出しています。濵田庄司の柿釉は鮮やかなオレンジ色が特徴で、その変化する黒の表現も高く評価されています。素朴で深みのある色が益子焼の生地によく似合い、民藝運動のなかで発展してきた歴史があるため、形式にとらわれない自由な作風のものが多く、ほかの焼物とは一味違う独特の魅力があります。
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柿釉の製造は、まず芦沼石を粉砕し高温で焼き上げることから始まります。高温で焼き上げた際に芦沼石の粉末が赤くなることから「赤粉」と呼ばれ、これを水に溶かして釉薬として使用します。赤粉のみを釉薬として使用すると陶器の表面にヨリが発生してしまうため、大谷津砂や八木岡といった益子近辺の土を合わせることでヨリの発生を防止する調整が行われます。
益子焼の製造工程は、陶土採掘から始まり、すいひ(精製)、土もみ、成形、素焼き、絵付・釉掛け、焼成・窯出しという順序で進みます。柿釉が施される段階では、犬筆を用いた塗り掛けといわれる方法で釉薬をかけていきます。焼成は1,200~1,300℃の高温で2昼夜から3昼夜かけて行われ、従来は薪が用いられてきましたが、最近ではガス釜が使われることが多くなっています。
参考)益子焼
益子焼はろくろで成形を行うのが主流ですが、石膏を使った型抜きもあります。ろくろで成形した後は一旦天日で適度な固さになるまで乾燥させ、その後再びロクロを用いて削り作業によって形を整えて仕上げていきます。酸化焼成という酸素量を多くする方法と、酸素を一定時間減らす還元焼成では焼き上がりが変わり、焼成の後は2日程冷ましてから釜出しとなります。
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柿釉の器を長く使うためには、使い始めに「目止め」という処理を行うことが推奨されています。目止めとは、米のとぎ汁をナベに入れて器を浸し、弱火で10分~20分ほど煮沸する処理のことで、釉薬の貫入に汚れや臭いがしみ込みにくくなり、粘土のあらい目をふさぐ効果があります。水に片栗粉または小麦粉を溶かしたものでも代用可能で、煮沸後は火を止めそのままの状態で冷まし、冷めたらぬめりを洗い流しよく乾かします。
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また、器の底(高台)をまず指で触ってみて、ガサガサしていたらテーブルなどを傷つけるおそれがあるため、細めの布ヤスリや金剛砥石で磨いてなめらかにしておくことも重要です。使用する前には数分程度水に浸してから使うことで、水を含むとうつわの表面がしっとりした肌合いになり、料理が映えるようになります。
参考)https://tsumugiya.jp/?mode=f18
日常的なお手入れとしては、使用後は出来るだけ早くスポンジに中性洗剤をつけて水洗いをし、布巾で拭いた後はすぐにしまわず一晩ほど乾かすのが理想的です。陶器は吸水性があるため、漬け置き洗いは避けた方が無難で、乾燥が不十分だとカビやにおいの原因になるため、器の底面を上にして重ならない状態で乾燥させてください。重ねて収納するときは、同じ材質や形のものを重ねると傷がつきにくく、キッチンペーパーや和紙などを挟むと傷を防ぎ水分を吸収してくれます。しばらく使用してなかった器は、また煮沸してから使用することが推奨されています。
参考)陶器のお取り扱い方
柿釉を使った益子焼の作家としては、人間国宝の濱田庄司が最も有名ですが、他にも多くの作家が柿釉作品を手掛けています。岡本芳久氏は兵庫県淡路島生まれで、1966年大学卒業後の会社員時代に体験教室で焼物づくりに魅せられ、会社を辞め陶芸教室の助手になった後、1955年に益子の高内秀剛氏に師事し、2000年に独立開窯しました。岡本氏の柿釉作品は、透明釉の割合を多くし釉薬が動くように工夫した独自の表現が特徴で、抜絵など他の地で学んだ意匠を駆使しています。
萩原芳典氏も益子焼伝統工芸士として柿釉作品を制作しており、柿釉線紋鉢や柿釉窯変茶碗など多様な作品を手掛けています。豊田雅代氏は益子で生まれ育ち、2012年に独立して作陶を始めた作家で、チューブ状の入れ物に釉薬を入れてクリームで模様を描くような独自の技法も取り入れています。
参考)https://toko-gallery.mashiko.com/products/yoshinori-hagiwara_101
柿釉の益子焼は楽天市場やYahoo!オークション、専門店のオンラインショップなどで購入可能で、皿や湯呑み、鉢など様々な種類の食器が販売されています。益子町では毎年春と秋に陶器市が開かれており、直接窯元や作家の作品を見て購入することもできます。食洗機やレンジに対応した商品もあり、日常使いからギフトまで幅広い用途で選ぶことができます。結婚式の引き出物や新築祝いなど、縁起の良い贈り物としても多く選ばれており、長い間使えるうえにおしゃれなものが多いのが特徴です。
参考)【楽天市場】益子焼 柿釉 皿の通販